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アメフト観戦記や読書日記を綴っていましたが、最近は古墳(コフ)ニストとして覚醒中!横穴式石室をもつ古墳にハマっています。

桜井市の古墳をあるく(鳥見山周辺編)⑦ ~コロコロ山古墳~

2021-01-10 23:31:59 | 史跡を歩く

 メスリ山古墳の前方部の裾の方にコロコロ山古墳がある。もともとは、この場所にはなく、1984年に土地区画整備事業の際に発見され、翌年に発掘調査が行われ、1987年に現在の場所に移築保存されている。

 

 古墳全体は金網のフェンスに囲われており、中に入ることはできないようになっている。(ただ、訪れた時は、フェンスの鍵は開いていたのだが、勝手に入ることもよろしくないかなと思い、入っていない。)

 古墳は、一辺30m、高さ5m以上の方墳で、全長11mで、玄室の大きさが、長さ5.5m、幅2mという両袖式の横穴式石室を持っている。

 

 移設された石室には、天井石等もきちんと残っているように見えるが、実のところ、発見されたときは、天井石や石室の上部の石が欠けており、側壁と奥壁の石が残っている状態であり、移築された復元されたようである。

 また、古墳の底面には礫が敷かれていた。

 

 コロコロ山古墳の6世紀後半から7世紀初めにかけて築造され、7世紀の中頃に追葬されたと考えられている。

 また、東側に、調査時に小石室の存在が確認されているが、現地では確認することはできなかった。

 コロコロ山古墳は、この後予定している谷首古墳や艸墓古墳などの阿部丘陵と呼ばれる丘陵上にある横穴式石室を持つ古墳としては一番古いと考えられている。この辺りを支配していたと考えられる阿部氏との関係が想定される。面白いことに、阿部丘陵上のこれらの古墳は、方墳が多く、阿部氏と蘇我氏との近しい関係も想像できるとこである。例えば、蘇我稲目の時には、大夫として阿部大麻呂が政権の中枢に食い込んでいた。蘇我氏の台頭とともに阿部氏も政治の表舞台に出てきているのである。

 

 コロコロ山古墳からは、少し北へ向かって新興住宅地の中を入っていくことにしよう。


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