孝昭天皇陵から、国道24号線に戻り、南下する葛城川と交差する辺りから、自動車の多い道は避けたいと思い、国道から一本、東側の道に入る。少し歩くと正面に野口神社があった。
鳥居をくぐって、拝殿の左手の方を見ると、綱引きの綱のようなものがぐるぐる巻いて置かれていた。
よく見ると四角い石組に蛇塚と刻まれており、どうやらこの綱のようなものは、蛇を表しているようだ。ちゃんの先端には顔も作られている。
怖いような、怪しいような、それでいて少し可愛らしいようなちょっと不思議な雰囲気である。
野口神社は、神倭伊波礼比古命(神武天皇)と彦八井命(神武天皇と皇后の比売多多良伊須気余理比売の子、ただし古事記のみに記載。)を祭神としている。
はて、何故に祭神がこの二柱なんだろう。あまりこの地と関係がなさそうではあるのに・・・。
そう考えると、意外とこの神社自体の創建はそう古くないのかもしれないな。
しかし、5月5日には、蛇穴の蛇曳き汁掛け祭りが行われ、この蛇綱を引いて、蛇穴のまちを引き回して練り歩くのだそうだ。昔は、その際には、見物人にみそ汁をかける風習があったらしい。そして、この祭りは、五穀豊穣を祈り水を得るために龍神に祈願するために行われるものであり、御所市の指定文化財となっている。
ちなみにこの野口神社周辺は、蛇穴(さらぎ)という地名となっており、神社の中にある説明板によると、元は「新」さら、「来」きで「さらき」というのが始まり、おそらく、新たにこの土地に入って来た人を指すようだ。また蛇がとぐろを巻いて、住処である穴を作ることもサラキと言うらしく、また土器を土をとぐろのようにして巻きあげて作ることもさらきと言うことから、これらの意味も合わさってさらき、後にさらぎを呼ばれるようになったのであろう。
ここも奈良県の難読地名の一つだなあ。
ここでもこれからの旅の安全を祈願したのち、南に向かい、室宮山古墳とネコ塚古墳をめざす。この道は、周りが工場か畑地、田んぼ以外のものがなく、所々白い花が一面に広がるような所もあり、なかなか清々しい気持ちになれるものである。
そうして、一面の畑地や水田を眺めながら歩いていると、足元をすっと横切る気配を感じる。
動いた方向には、写真の様な鳥が一匹。
調べるとキジのようだ。こんなにまじかで、キジの姿を見たのは生まれて初めてかもしれない。そういやケーン、ケーンと鳴いてたわ。
そして顔をあげて、南東の方角を見ると、室宮山古墳の巨大な墳丘とその左横に四角い猫塚古墳の姿が見える。
さあ、いよいよ古墳探訪の開始だ。
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