休日はデジカメ持ってぶらぶらと📷

アメフト観戦記や読書日記を綴っていましたが、最近は古墳(コフ)ニストとして覚醒中!横穴式石室をもつ古墳にハマっています。

正倉院展に行った

2006-11-13 07:49:15 | 博物館へ行こう
 奈良国立博物館へ正倉院展を家族で見に行った。最終日であったためおそらく混雑すると思い、早い目に家を出て奈良に向かったが、案の定、博物館に着いたときは朝9時半ごろという早い時間にもかかわらず、長い行列ができていた。
 やっとの思い出中に入ると、中でも大混雑。今回の展示は、「国家珍宝帳」などの古文書関係が多く、熱心に目を通す人が多かったので、流れが止まる所が多かったようだ。「国家珍宝帳」は正倉院に納められた宝物(聖武天皇の遺品)を書き記した巻物で、納められた宝物は、その数600件以上になるという。最後のほうに藤原仲麻呂らの直筆の署名もあり、この部分だけはよく歴史の本に掲載されているので目に覚えがあった。あと戸籍や計帳なんてのもありました。昔から戸籍と税とは切っても切れない関係にあるんだなあ。
 武具や馬具も多く展示されれました。馬具についている「あおり」を見て、ふと「あおりを受ける」という言葉の語源はこれにあるのかと得心を得たりしました。また、梓弓も展示してあり、これが和歌にもよく出てくる梓弓と思い、意外と大きいと思ったりして。
 そうそう昔、正倉院には多くの武具が納められていたそうです。ただ恵美押勝の乱のときに多く持ち出され、帰らずじまいだったとのこと。そういえばよくお寺に武器があったりする記述を見かけますが、古代の寺院は武器庫となっていたんでしょうか???
 今回は聖武天皇と光明皇后の愛情というか人間性というかそういったものがふわっと感じられる展示であったかと思います。「鳥毛篆書屏風」には「主無獨治 臣有賛明」が書かれています。(君主が独断で物事を決めようとしなかったら、臣下の者が君主をたすけてくれると言う意味だそうです。)こういった言葉を自分の政治方針としていたのかもしれないですね。聖武天皇自身は、小さいときから帝王学を授けられていた人です。「日本書紀」もそのために編纂されたという説もあったような。とにかく奈良時代前半は、この人を天皇にするために、元明、元正といった女帝による皇位継承が行われていたわけで、後半はこの人の後継者を争ってどろどろな政変劇が繰り広げられたわけですが、そして大仏、正倉院などのいろいろなものを現世に残し、まさに奈良時代を体現したような人と言えんこともないですね。
 ただ、今回は例年のような雅な眼を見張るような美術品自体は少ないような気がします。子どもにとってはちょっと難しかったかな。
 ちょっと退屈していたようでした。
 
 しかし考えれば正倉院の宝物はおよそ1300年ぐらい前のちゃんと残っています。その事実は、発見後わずか30年足らずで壁画を守りきれなかった現代科学と比較すると愕然とさせてくれます。科学万能といいつつもまだまだ先人の知恵には及ばないところがあるんではないでしょうか。われわれもちょっとは謙虚にならないといけないと思います。
 ただ、昔正倉院の校倉造の構造は、木が膨張伸縮して、自動的に宝物の温度湿度調整をしているという話を聞いたことがありますが、あれは事実ではないそうです。実際は木の重みなどで荷重がかかっておりそんなことは不可能なんだそうです。思い込みは恐ろしいね。
  
 その後常設展へ、ちょっとリニューアルしたのか、目の前には法隆寺の四天王が立っていました。
 中国の古代青銅器を見る。圧倒的な過剰なまでの表現。一体此処まで駆り立てるものは何という気がします。子どもたちの此処は面白かったようでいろいろな感想が出てました。「ラーメン鉢の模様」と喜んでいたのは私どもです。
 当時の人は目にすごい霊力を感じていたんだろうなあと思う。そういえば宮城谷昌光さんの小説で、戦の前に女性が眼力でお祓いをするみたいな描写があったような気がします。
 
 その後常設展の仏像を見て、少し紅葉の奈良公園を散策し、帰路に着きました。
 いきなり周りは紅葉してました。そういえばもう秋なんですよ。すっかり忘れてました。なんとなくあったかいのでそんな気がしませんでした。あと1ヶ月半でもう年が改まってしまいます。すご・・・。
 
 ちなみに宮内庁正倉院HPを紹介。
 http://shosoin.kunaicho.go.jp/
 
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 立命VS関大戦 速報 | トップ | 飛鳥でサイクリング »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

博物館へ行こう」カテゴリの最新記事