GWの中日、自転車に乗って大阪歴史博物館までサイクリング。3時ごろに大阪歴史博物館に着いたので、特別展「幽霊・妖怪画大全集」を見るために博物館に入ろうとすると、予想に反して博物館前には長蛇の列が出来ていた。えっそんなに人気あるの?と目を白黒させながら、入場券を購入し、列に並ぶ、入場制限をしていたので、結局は入れたのは、4時を過ぎていた。
中に入ると最初に骸骨がが並んでいる。特に歌川国芳「相馬の古内裏」という絵。骸骨が極端にデェフォルメされていて、眼を惹いたね。骸骨の絵というのは、どことなく無常を感じさせる。眺めていて、一休禅師の「門松は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし」という和歌が頭の中に浮かんだ。
そして幽霊画へ。もともと幽霊を独立して幽霊画という分野を確立したのが円山応挙であるらしい。足のない幽霊を最初に書いたのも円山応挙だと言われるが、異説もあったりするようだ。
解説もなかなか楽しく、女性の生首をぶら下げた幽霊の絵に対して、女の嫉妬は怖いやお父さんを連れてきなさいなんて文言が並んでいたりする。ちょっと苦笑いだね。
幽霊って基本的に女性なんだよね。出産や婚姻などいろいろと思いを残すことが多いからなんだろうか。考えてみれば子どもをお腹にお腹の中に残したまま死んじゃうなんて、その無念を考えると、化けて出たくなるよな。ただ、わが身に置き換えて思うと、それぐらいの執着心を持ってたら、自分の人生ももっと変わってたかもしれないなあ。何かすべてが淡泊だもんなあ。
宮田登氏は、「民俗学への招待」という著書の中で、「出産時に出血多量で母親が死亡することが当時きわめて多かった事実が、下半身半ば欠損させた図像を作り出したのではなかろうか。」と述べている。
そして、妖怪画、最初に妖怪を書いた絵巻物が展示されていたのだが、おなじみの「ひょうずべ」だとか「ぬらりひょん」だとか「おとろし」など著名な妖怪の絵が並んでいる。このあたりは、水木しげるの「のんのんばあとオレ」を思い出すよね。
百鬼夜行絵巻や付喪神図、年数を過ぎた器物に魂が宿るという、いろいろなものに精霊が宿るという日本人の霊魂観が現れたものである。使い捨て文化となった現代への警鐘のようにも思える。解説に百鬼夜行を見た人は死ぬと言われているのに、絵が残っているのは何ででしょうって書いてあったのが印象的であった。
妖怪図の世界では。鬼や天狗に交じって人間もあった。妖怪よりも妖怪らしい人間っているものね。そしてそういった絵に交じって、歌川国芳の「江戸の人体顔面図」がありました。裸の人が集まって、人の顔を作っている絵です。昔探偵ナイトスクープで実際に学生を集めて作ってましたね。
想像していたよりは絵自体が小さかったな。顔面図には、猫バージョンもあった。
しかし妖怪の絵、いろんなイメージが表出する。森羅万象をモデルに描かれる。絵師の想像力が働く世界である。恐ろしくもあり、ユーモラスである。そこに妖怪の魅力があるのだろう。
どことなくユーモラスではあるが、妖怪という存在のもの悲しさ。そんなものを感じる。
妖怪がブームになるときというのは社会に不安がある時という話がある。見に来ている人の多くは若い人だった。どこか先行きの見えない、不透明な世相を表しているのだろうか。そんな事も感じたりした。
最後に、この展覧会の企画で、YKI48総選挙という企画はいいですね。結果が楽しみです。僕は幽霊の女性「彼女候補」に一票を入れさせていただきました。
追記
木曽義仲四天王という絵があった。(木曽義仲に四天王と言われる家来がいたというのも初耳だったのだが、そこの手塚光盛という人物が描かれていたが、この人物って手塚治虫氏のご先祖って言われる人ではないのかい?
参考にこの展覧会のURLを掲載しておきましょう。
特別展「幽霊・妖怪画大集」
中に入ると最初に骸骨がが並んでいる。特に歌川国芳「相馬の古内裏」という絵。骸骨が極端にデェフォルメされていて、眼を惹いたね。骸骨の絵というのは、どことなく無常を感じさせる。眺めていて、一休禅師の「門松は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし」という和歌が頭の中に浮かんだ。
そして幽霊画へ。もともと幽霊を独立して幽霊画という分野を確立したのが円山応挙であるらしい。足のない幽霊を最初に書いたのも円山応挙だと言われるが、異説もあったりするようだ。
解説もなかなか楽しく、女性の生首をぶら下げた幽霊の絵に対して、女の嫉妬は怖いやお父さんを連れてきなさいなんて文言が並んでいたりする。ちょっと苦笑いだね。
幽霊って基本的に女性なんだよね。出産や婚姻などいろいろと思いを残すことが多いからなんだろうか。考えてみれば子どもをお腹にお腹の中に残したまま死んじゃうなんて、その無念を考えると、化けて出たくなるよな。ただ、わが身に置き換えて思うと、それぐらいの執着心を持ってたら、自分の人生ももっと変わってたかもしれないなあ。何かすべてが淡泊だもんなあ。
宮田登氏は、「民俗学への招待」という著書の中で、「出産時に出血多量で母親が死亡することが当時きわめて多かった事実が、下半身半ば欠損させた図像を作り出したのではなかろうか。」と述べている。
そして、妖怪画、最初に妖怪を書いた絵巻物が展示されていたのだが、おなじみの「ひょうずべ」だとか「ぬらりひょん」だとか「おとろし」など著名な妖怪の絵が並んでいる。このあたりは、水木しげるの「のんのんばあとオレ」を思い出すよね。
百鬼夜行絵巻や付喪神図、年数を過ぎた器物に魂が宿るという、いろいろなものに精霊が宿るという日本人の霊魂観が現れたものである。使い捨て文化となった現代への警鐘のようにも思える。解説に百鬼夜行を見た人は死ぬと言われているのに、絵が残っているのは何ででしょうって書いてあったのが印象的であった。
妖怪図の世界では。鬼や天狗に交じって人間もあった。妖怪よりも妖怪らしい人間っているものね。そしてそういった絵に交じって、歌川国芳の「江戸の人体顔面図」がありました。裸の人が集まって、人の顔を作っている絵です。昔探偵ナイトスクープで実際に学生を集めて作ってましたね。
想像していたよりは絵自体が小さかったな。顔面図には、猫バージョンもあった。
しかし妖怪の絵、いろんなイメージが表出する。森羅万象をモデルに描かれる。絵師の想像力が働く世界である。恐ろしくもあり、ユーモラスである。そこに妖怪の魅力があるのだろう。
どことなくユーモラスではあるが、妖怪という存在のもの悲しさ。そんなものを感じる。
妖怪がブームになるときというのは社会に不安がある時という話がある。見に来ている人の多くは若い人だった。どこか先行きの見えない、不透明な世相を表しているのだろうか。そんな事も感じたりした。
最後に、この展覧会の企画で、YKI48総選挙という企画はいいですね。結果が楽しみです。僕は幽霊の女性「彼女候補」に一票を入れさせていただきました。
追記
木曽義仲四天王という絵があった。(木曽義仲に四天王と言われる家来がいたというのも初耳だったのだが、そこの手塚光盛という人物が描かれていたが、この人物って手塚治虫氏のご先祖って言われる人ではないのかい?
参考にこの展覧会のURLを掲載しておきましょう。
特別展「幽霊・妖怪画大集」
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