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アメフト観戦記や読書日記を綴っていましたが、最近は古墳(コフ)ニストとして覚醒中!横穴式石室をもつ古墳にハマっています。

手塚治虫

2013-05-17 08:00:46 | 読書日記
 手塚治虫 ~アーティストになるな~
 竹内 オサム 著 ミネルヴァ書房

 今年は、ブラックジャック誕生40周年ということで、手塚治虫関連の本を見つけるとついつい手に取ってを読んでしまう。今回も、日本史の研究者が中心になって出版しているミネルヴァ日本評伝選に「手塚治虫」が収録されているということで、購入し読了。著者は、早くからマンガ評論を手掛けていた同志社大学の竹内オサム氏である。

 本書は、以下のような構成になっている。
 はじめに
 第1章 豊かな環境と戦争 -宝塚の時代ー
 第2章 早熟な才能 -赤本漫画の時代-
 第3章 ストーリー・マンガの旗手に -月刊誌の時代-
 第4章 挫折と復活 -週刊誌と成人マンガ誌の時代-
 第5章 死と死後の評価 
 おわりに

 本書の内容としては、3章のストーリーマンガの旗手として、昭和20年代「ジャングル大帝」「鉄腕アトム」「リボンの騎士」などのマンガを描きマンガ界の中心人物となるまでのところまででかなりの比重を占めている。副題のアーチストになるなとは、手塚治虫がアシスタントたちに「アーチストになるな、アルチザン(職人)になれ」と言っていた言葉である。著者は理想と現実とのギャップに苛まれながらも、懸命にもがき(悩める天才)として生き抜いた姿を表現している言葉であろうと述べている。確かに、芸術家になってしまえば、おそらこれほど時代にあわせて作風が変貌をしなかったろうし、また芸術を指向しなければ、これほど人気も長続きしなかったのではないだろうか。単なる流行マンガ家の終わってしまったのでないだろうか。

 著者は、手塚治虫の果たした役割として、戦前の少年小説や映画のジャンルを長編のストーリーマンガに接ぎ木をし、悲劇的な要素を盛り込むことにより、子どもだましの低俗文化と見られてきたマンガを「芸術」にまで昇華させたこと、そして表現技法としては「映画的手法」と言われるが、映画のカットやクローズアップといった編集、カメラワークを積極的に取り入れたことと言っている。「すべてのストーリーマンガは、手塚治虫の模倣である」という言葉もあるくらいなのだから手塚治虫が、果たした役割というのは絶大なものがある。正直、手塚治虫がいなければ、マンガが今のような隆盛を極めていたかどうか疑問でもある。
 そういえば、僕が、子どものとき、マンガを読んでいると、「そんな子どもだましのもの読んで。」と親たちに口々に言われたこともあった。

 話は変わるけど、僕の記憶の中では、「ジャングル大帝」や「悟空の大冒険」といったアニメから入っていった。そして一番最初に読んだのは「ブラックジャック」だったと思う。当時は、ブラックジャックが目当てというわけではなく、おそらくガキデカやドカベンといったマンガを読みたさに少年チャンピオンを買ったのだと思う。でもたぶん自分でお金を出して買ったのは、ブラックジャックが最初だ。
 当時は、ブラックジャックの他に、マガジンで「三つ目が通る」も連載されていて、すでに復活を遂げていた時代であった。小学時代に、ブラックジャックに出合い、大学に入って、「アドルフに告ぐ」や「火の鳥」などが単行本で出版されたものを読むに及んで手塚治虫の奥の深さを知ることになった。その頃からぽつぽつと手塚治虫の本を集め始める。(漫画文庫などで本が手に入りやすくなったんだな。)でも大学4回生の時に亡くなられた。ショックだった。使い古された言葉だが、「巨星墜つ」という言葉を実感したものだった。
 教育実習に行ったとき、手塚治虫の死去にふれ、いつの時代が終わったと授業で言ったことも今思い出す。

 考えてみれば、戦後のマンガ史とともに手塚治虫の活動はあった。これだけの長期間に作風もモチーフの変えながら第一線に近いところで終始創作活動を続けてきたところが驚嘆すべきところなのではないだろうか。

 現在、「ブラックジャック創作㊙話」などの書籍等で伝説化、神話化が始まっている。文字通り「マンガの神様」になってゆくんだろうか?

 

  
 
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