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アメフト観戦記や読書日記を綴っていましたが、最近は古墳(コフ)ニストとして覚醒中!横穴式石室をもつ古墳にハマっています。

コミック版 どくとるマンボウ昆虫記

2013-09-16 15:11:51 | 読書日記
「コミック版 どくとるマンボウ昆虫記」
 北杜夫原作 手塚プロダクション画

 北杜夫の名著、どくとるマンボウシリーズの「どくとるマンボウ昆虫記」がマンガになって帰ってきた。今になってという気もするが、平成23年に亡くなられてからも、ぽつぽつと新刊が出版され続けていることを考えるとこれはこれでありなんだろうなと思う。

 読んでみて、僕自身がもともと手塚治虫のファンということもあり、そんな違和感を感じることなく読み終えることができた。北杜夫のもつどことなく上品な雰囲気と手塚漫画の丸い柔らかい描線がマッチしたような気がする。(この作品の画を担当した手塚プロダクションの小林準治氏は、手塚治虫の昆虫図鑑の編集を行っている。)

 読後感とすれば、懐かしいの一言。中高生の頃、どくとるマンボウシリーズやエッセイ集を楽しんで読んでいた時の記憶がよみがえってくるようだ。あのころは、読む本、読む本が新しい世界に導いてくれるそんな感じだった。使い古された言い回しを使えば、昔、ほのかに憧憬を抱いた女性に再開したような気持になった。

 僕も子供のころは、虫取り網を持って、虫かごをたすき掛けにして、バッタやカナブンなどを追いかけたものだ。梅雨の時期には、水たまりの中にオタマジャクシがいっぱい泳いでいたりした。周りに生命の息吹が充満していたような気がする。
 家に帰ると、昆虫標本セットに入っている注射器を使って、薬品を注射したりしていた。しかし、不思議なことにそうやって捕まえた昆虫を標本なんぞにすることはまずなかったな。結局はいたづらに殺生をしただけである。でもそういったことを繰り返すうちに、命の尊さみたいなのを感じていくのかもしれない。
 
 コミック化と言っても、内容をすべてをコミック化しているわけではなく、どくとるマンボウ昆虫記を構成しているエッセイの中からコミック化しやすいところを抜粋している。「人はなぜ虫を蒐めるのか」から「あらずもがなのしめくくり」までの12編と手塚治虫との対談をもとにした外伝が2編収録されている。

 このほかにも手塚ファンにはうれしい仕掛けがあって、例えば昆虫記の「さまざまな甲虫」という章から抜粋されている「タマヌキイとクマサイ」というお話は、手塚漫画ではおなじみのアセチレン・ランプとハムエッグの共演になっている。また、ピノコらしき女の子ちょろっといたりところどころに手塚キャラクターが散見されるのも、ちょっと楽しいところではある。

 ただ、北杜夫と手塚治虫の共通点を示した一覧表が掲載されているのだが、北杜夫が国民的作家(?)になったのは、株で失敗して破産する前だと思うのだが・・・。

 しかし、昆虫や自然という視点で日本を見たとき、日本の国土の7割は森林なのである。工業国というイメージがある中で、まだ、これだけの自然が残っているのである。この自然をどう残して生かしていくのかはこれからの日本の課題であるような気がする。科学技術文明ではない、森の思想がやはり必要なのだろうか?

 この本をきっかけに、どくとるマンボウシリーズ、そしてシリアスな小説、そしてもっといろいろな文学の世界と広がっていく。そんな風になればいいなあと思う。

 また、コミック版どくとるマンボウ青春記だったり、どくとるマンボウ航海記などの続刊が出版されるのもいいなあ。
 最近の漫画にはない、ゆったりとした品の良さを感じる漫画になるんじゃないかな。

  
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