来迎寺の墓地、お墓が林立する向こうに墳丘が見える。
これは古墳だなと思いながら、近づいてみる。
これが大窪・山畑7号墳と呼ばれる古墳で、通称「抜塚」と呼ばれる古墳である。そして、古墳の前に立ってみるとこれまたびっくり!
なんと、トンネルのように貫通しているではないか!!
まあ、抜塚とはよく言ったもので、本来古墳にあるはずの奥壁などが全くない。
調べてみると、この部分は、横穴式古墳の羨道にあたる部分らしく、トンネルを抜けた向こうに本来は石棺などが置かれる玄室があるはずなのだが、すでに破壊されて跡形もないような状態である。
ただ、反対側に回って見上げてみると、天井部の石が、みあげ石のように見える。
しかし、羨道だけで、長さ8m、高さ2mあったというのだから、この古墳が高安千塚古墳群の中でも有数の規模の古墳であるのが推察できる。
側壁に使われている石を見てみても、そのことは十分想像ができる。
本来の古墳の大きさは、直径30mの円墳と推定されており、石室は、全長14m、玄室の長さ5~6m、幅は3mにもなるという。形式としては右片袖型であり、築造されたのは、7世紀に入ってからのものと言われている。
本来の古墳の姿が残っていれば、かなり重要な古墳であったことは間違いはない。惜しいなあ。
この大窪・山畑7号墳の周辺には、同じく6号墳と8号墳があるのだが、時間がなかったので見送ることにした。
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