大窪・山畑1号墳から少し登ったところに祠があり、そこから農道に出る石段があるのだが、その石段の麓を見てびっくり。
ダダのブロックの穴かと思っていたところを注意深く覗いてみるとなんと、なんと、なんと!ブロックの奥に石棺があるではないか。
何とも不思議な光景で、どうやらもともとあった横穴式石室の開口部をブロックで固めたようだ。石棺の周りは、横穴式石室の石組がちゃんと残っていた。ちなみにこれが大窪・山畑5号墳と呼ばれる古墳であり、ここも来迎寺北古墳という別称を持っているようだ。
石室内がかなり狭いので、石室内に潜入するのは断念して、外から体を乗り入れての撮影となった。
この古墳、開口部がブロックでほとんどが塞がれるというかなり珍しい形で残っている古墳だと思うが、この古墳について、全くと言っていいほど知られていないのは少々残念な気がする。八尾市のHP、パンフレットでもこの古墳についての記述はない。
石棺は、凝灰岩を刳り抜いて作られており、長さ196㎝、幅70㎝、高さ38㎝ということで、なかなか立派な石棺である。高安千塚古墳群でもこれほど完全な形で石棺が残っているのは珍しいようだ。
古墳は、直径13mほどの円墳と考えられ、石室の大きさは、長さ2.6m、幅1.7m、高さ1.3mとなっており、羨道は、土に埋まっており見ることができない。開口部とは言うものの、おそらくは羨道と玄室の接合部の石が抜けて、今のような状態になっているのだろう。
この石棺、古い八尾市の本だと蓋石は割れていない。しかし、いつの間にか今のように割れてしまっているのがとても惜しいことである。
大窪・山畑5号墳の後は、ここから来迎寺の墓地内にある抜塚を見てから、さらに群集墳がいっぱい集まっている服部川支群の方へ向かうことにしよう。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます