江戸時代、幕府の天領だった旧水原町。(阿賀野市から岩船の一部までの広い地域)
気候、土質、水利が安定し、米の収量が比較的安定した地域を徳川幕府は地方に統治させずに天領として直接統治した。
ずるいといえばずるいのかもしてないが、人口の多い江戸庶民の食料を確実に確保するにはうまい方法だったかもしれない。
魚沼から水原はずいぶん遠いが、当時江戸から十日という距離は近いところだったそうだ。
時代劇に出てくるいばった御代官様は作り話で、実際は粛々と業務をこなす公務員だったそうだ。
だが、権限は実に大きく、統治と年貢上納米の管理だけでなく、警察の機能、裁判所の機能、土木、基盤整備、お役所仕事全般から寺子屋の果てまでこなしていた。
武士階級は代官一人だったそうだが、罪人は親類縁者まで裁きを受けるという罰の重さから、実際の犯罪は少なかったようだ。
二十二代に渡り代官が赴任してきたが、たいした争いもなく、この地は本当に住みよい安定したところだったようだ。
農業、米を治めるものが国を治める。
現代の混沌とした政局に比べれば、江戸時代は安心して暮らせる時代だったかもしれない。
新潟県切花振興協議会の総会、阿賀野市でした。
水原には農林水産大臣賞5回受賞の熊島さんがいらっしゃいます。
知る範囲では、新潟県一の技術を持った菊農家です。
春のチューリップコンテストの農林水産大臣賞も水原の方でした。
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