WATERCOLORS ~非哲学的断章~

ジャズ・ロック・時評・追憶

ソニー・クリスのゴー・マン

2006年08月15日 | 今日の一枚(S-T)

●今日の一枚 31●

Sonny Criss     Go Man !

Scan10013  数日前、インターネットで注文したCDが今日届いた。そのうちの一枚 Sonny CrissGo Man ! を早速聴いてみた。1956年の録音であることを感じさせないいい音だ。モノラル録音であることを忘れてしまいそうだ。どうも最近はやりの24bit デジタル・リマスタリングのようだ。

 とても艶やかなアルトの音色だ。音はどこまでも明るく、どこまでも伸びやかだ。アドリブもメロディアスで歌心に満ちたものだ。しかし、この饒舌さはなんだろう。音数が多く、休むまもなく次の音がでてくる。手もとにある『ジャズ喫茶マスター、こだわりの名盤』(講談社+α文庫)は、「初期の音数が多めなのも、歌おう歌おうとする彼の思いからすれば仕方のないことだと思う」と好意的だが、この饒舌さは尋常ではない。何かにせかされるように、あるいは静寂を恐れるかのように、彼は吹き続けるのだ。それは、うるさいというより、神経症的である。

 ソニー・クリスは、このアルバムから約20年後の1977年、ピストル自殺という衝撃的な人生の結末を迎えるのだが、もちろんこのアルバムとは無関係であろう。しかし、この作品から垣間見ることのできる、何かを求め続けずにはいられないような彼自身の神経症的な資質と後年の悲劇的な結末を関連づけずにはいられないのは、私だけではないかもしれない。


ジョニー・グリフィンのケリー・ダンサーズ

2006年08月15日 | 今日の一枚(I-J)

●今日の一枚 30●

Johnny Griffin     The Kerry Dancers

Scan10012_1  お盆休みも今日で終わりだ。墓参りと親戚まわりを済ませて、ちょっと叙情的なのが聴きたいなと思って取り出したのがこのアルバムだ。 Johnny GriffinThe Kerry Dancers(1961,1962録音)。もちろん、④ The Londonderry air (ロンドンデリーの歌,ダニー・ボーイ)を聴くためだ。やはり、名演だ。さびのところを消え入るようなかすれた音で吹くのが良い。ググッときて、ああ、もう卒倒しそうだ。

  しかし、しばらくぶりに聴いたが、他の曲もすごく良いではないか。はっきりいって全曲あきるところがなく、結局、2回も聴いてしまった。特に、② Black Is The Color Of My True Love's Hair (彼女の黒髪)や⑧ Ballad For Monsieur は好きな演奏だ。⑦ Hush-A-Byeは、彼の作品の中でもかなりの名演ではなかろうか。 

 寺島靖国さんは『辛口!Jazz名盤1001』(講談社+α文庫)の中で、「入門者には『ハッシャ・バイ』だが、そのうち必ず『彼女の黒髪』がよくなる。演奏が深いのだ。一番気持ちがこもっていて、その証拠にテナーの音がギュッと絞りこまれていてそこが聴き物。」といっている。寺島さんもたまにはまっとうなことをいう。「彼女の黒髪」はたしかに感動的な演奏だ。「入門者には…………」という寺島さんらしい権威主義的なものいいは好きではないが、私の好きな「彼女の黒髪」を評価してくれるのはうれしい。 

 全体的になんというか、本当にしばらくぶりにジャズらしいジャズを聴いた感じがする。やはり、ジャズはいい。


9.11テロなど大したことではない

2006年08月15日 | つまらない雑談

 先日の朝、ホームドラマチャンネルでアニメ映画「はだしのゲン」を放映していた。原子爆弾の悲惨さを伝えるドラマだ。朝食中の子どもたちは、テレビに釘付けになり、私は涙が止まらなかった。その中で、ゲンの母親が言った。「戦争が憎い」と……。それは基本的には正しい認識なのだろう。しかし、と思った。原爆を投下し、人々をあのようにしたのはアメリカなのではないか。アメリカが日本をこのようにしたのだと……。もちろん、日本が一方的被害者なのではない。日本が中国侵略や東南アジア侵略でやったと同じように、あるいはそれ以上にアメリカは原爆を使って人々を殺戮したのである。

 アメリカではなく、戦争が憎いといった日本人は、やはり良心的だ。そのような視点は間違ってはいないだろう。しかし、愚かな私は思ってしまう。日本に原爆を落としたように、アメリカはベトナムに枯葉剤をばら撒き、アフガニスタンで無実の人々を殺戮し、そしてイラク戦争でひとつの国をめちゃめちゃにしたのだと……。そして、こうも考えてしまう。わずか数千人が死んだにすぎない9.11のテロなど、アメリカがしてきたこと(そしていまでもしていること)に比べれば大したことはないのだと……。

 無論、それは感情的な思いにすぎない。しかし、戦争が悪いというまっとうな視点からだけでは、アメリカの行為を隠蔽することになりはしないだろうか。

 私は右翼ではない。ナショナリストでもない。被害者としてのヒロシマ・ナガサキを強調することで侵略戦争を隠蔽しようなどとは考えていない。ただ、罪のない多くの日本人が意味なく殺されたことについて、あるいはベトナムやアフガニスタンやイラクで大勢の人々が殺戮されたことについて、憤りの思いを否定できないだけだ。そしてそう思うのは私だけではないだろう。

 戦争と平和の問題は理性的に解決されねばならない。「戦争が憎い」という良心的なスタンスも正しいだろう。しかし、わたしの(そしておそらくは多くの人の)憤りの思いは亡霊のように残り続ける。

 国際政治は、この「思い」の問題を考えなければだめだ。そしてそれはおそらく「赦し」の問題に関係している。