アルバム『手作りの画集』収録の「遠い夏休み」。"いまでもファン"の多くが支持する名曲である。もちろん、私も大好きだ。日本的な哀愁を帯びた旋律、古き良き(?)日本の情景を思い出させる歌詞。思わずジンときて、涙腺が緩みそうになる。
しかし、歌詞の描く世界が妙に遠くに感じるのはどうしたことだろう。「ランニングシャツ」「小川で沢ガニ」「夕焼け道」などのことばは、現代の生活の中ではリアリティーが薄くなってしまったのではなかろうか。おそらく、ある年代以下の人間にはもはやイメージできない情景だろう。「カタコト首振る古扇風機」「線香花火に浮かんだ顔」「(髪の毛を)風でとかした」などの表現から伝わってくるノスタルジックなニュアンスもぴんとこない人が多いに違いない。
1970年代とは社会も生活も風景も感性も大きく変わったことを感じざるを得ない。かつては、地方はまぎれもなく「田舎」や「国」であり、人々の心の中には「田舎」の原風景が存在したのである。
高度資本主義は、都市と田舎の境界を解体し、日本列島の均一化を推進してきた。そして、今や日本全国どこにいってもコンビニエンスストアーにがある時代になったのである。多くの若者が旅先で安堵の感情をもつのは、心の原風景に触れることではなく、コンビニがここにもあったということであるという。
そんなことを考えつつ、「遠い日の夏休み、もう帰らない」という歌詞をしみじみとと噛み締めたのだった。