●今日の一枚 189●
大瀧詠一
A Long Vacation
家族にせがまれて、急遽、3日間北海道に行ってきた。本当に「急遽」のことで旅行社のパックにも入れず、金額的にはちょっと高くついてしまった。リスツ・リゾートはあいにく小雨続きで、付属の施設を十分に楽しむにはいたらなかったが、それでもいつもよりはリラックスした時間を楽しむことができた。自宅から空港までの2時間半、クルマを運転しながら、たまたまそこにあった古いカセット・テープを聴いた。レコードの針飛びの音がするそのカセットテープはかなり古いもので、いつからその場所にあったか不明であるが、サウンドは鮮明だった。いい作品だと改めて思った。そして、そのサウンドは、旅行中、頭の中でずっと鳴り響くことになった。
大瀧詠一の1981年作品『ロング・バケーション』である。周知のように、日本のポップスの金字塔といわれることもある名盤である。「はっぴいえんど」の一員として一世を風靡したものの、以後のマニアックな音楽が市場には受け入れられず、商業的には不遇の1970年代を過ごした大瀧だったが、この作品のミリオン・ヒットにより以後の日本のポップスに決定的な影響を与えることとなった。wikipediaによると、このアルバムは、発売1年で100万枚を突破し、これは2006年の音楽市場規模に換算すると400万枚に該当する、ということだ。
一体何年ぶりに聴いたか記憶にさえないが、まったくもってすごいアルバムである。感動的だといってもよい。全編にわたって弱点がない。どの曲も個性的で瑞々しく、25年以上経過した現在もまったく色褪せることはない。それは、この作品がアメリカンポップスの歴史と伝統をきちんとふまえた正統的で高水準のポップスだからかもしれない。『ロング・バケーション』以後の日本のポップスにどれほどこれと肩を並べる作品があっただろうか、などと権力的なことを言ってしまいたくなるほどだ。けれども、『ロング・バケーション』は、そういった大げさで権力的な物言いからは最も遠くに位置する作品だというべきだろう。なぜなら、ポップスとはもともと権力的な言説や感覚とは異質ないわば「非権力」的な音楽であり、『ロング・バケーション』はそのような意味で真のポップスであると思うからだ。『ロング・バケーション』には、日本の音楽が良くも悪くももっているあのじめじめした感じが一切感じられない。「貧乏」やそのルサンチマンの形態である「情念」というイメージが完全に払拭されている。そこにあるのは、シンプルな気持ちよさと乾いた感傷である。
村上龍はかつてサザンオールスターズに関する文章の中で、ポップスについて次のように書いた。
《 「喉が乾いた、ビールを飲む、うまい!」「横に女がいる、きれいだ、やりたい!」「すてきなワンピース、買った、うれしい!」それらのシンプルなことがポップスの本質である。そしてポップスは人間の苦悩とか思想よりも、つまり「生きる目的は?」とか、「私は誰? ここはどこ?」よりも大切な感覚について表現されるものだ。 》
この文章は、『ロング・バケーション』にもまったくあてはまるのであり、むしろその完成度の高さから、この作品こそ日本が戦後の貧しさから真に文化的な意味で脱出した記念碑なのではないかと私は思う。