●今日の一枚 190●
Art Farmer
The Summer Knows
数日前までの猛暑も嘘のように、今日は涼しい日だった。こうやって暑さと涼しさを繰り返ながら夏は終わっていくのだろう。夏の終わりは何かしら人をセンチメンタルな気持ちにさせる。それは「熱狂」や「開放」の終わりであり、うがった見方をすれば、「より自然的なもの」から「文化」への回帰なのであろう。肌を露出した服装が人間を開放的にし、より自然的なものへと誘うのであれば、肌を隠すファッションが人々を「文化」へと導く。文化は自然的なものを覆い隠す装置であり、さまざまな「規制」や「規律」をともなう。夏の終わりは、人々に過ぎ去ってしまった「開放的」な日々への郷愁を感じさせ、ノスタルジーの感情を抱かせるのだ。
アート・ファーマーの1976年録音盤『想い出の夏』、日本制作作品である。アートー・ファーマーに熱狂したことはないが、好きか嫌いかといわれれば、いつだって好きだった。彼のフリューゲルホーンの響きが好きだ。トランペットでは決して出せない、フリューゲルホーンの響きが素晴らしい。この『想い出の夏』にしてもそうである。フリューゲルホーンの優しい音色が全編にわたってタイトルの「想い出の夏」の情景を描き出している。やはり、これは表現力というべきなのだろう。後藤雅洋氏をして「少女趣味」と言わしめたジャケットそのままに感傷的な演奏であるが、過ぎ去っていく夏への感傷を、ファーマーはあくまでも硬質なリリシズムで表現していく。それは乾いた感傷だ。感傷的ではあるが、それに流されず、対象化する視線が、かえって去り行くもののかけがえのなさを際立たせるのだ。