王様の耳はロバの耳

横浜在住の偏屈爺が世の出来事、時折の事件、日々の話、読書や映画等に感想をもらし心の憂さを晴らす場所です

長崎市長 銃撃死

2007-04-18 07:25:38 | 政治
銃撃された伊藤長崎市長が死亡 出血多量で (朝日新聞) - goo ニュース

昨日夜8時前銃撃された長崎市長伊藤一長氏が今日未明に逝去された
謹んでお悔やみ申し上げます
この話を昨日夜知ったときに爺は直ぐテロだなーと感じた

今朝「みのさんの朝ズバ」を見て概要が分った
市長は「後ろから背中を2発撃たれ主要血管と右心室が破れていた」そうだからほぼ瀕死の重傷を負ってしまった こんなのプロの腕前だよ
一方犯人はその場で選挙事務所の人達に押えられ捕まり警察に引き渡された 巻き添えは防げたのは不幸中の幸いでした

爺は幾つか思った:
その1:平素から伊藤市長は「核兵器廃絶・平和宣言などに関連して強い反政府・反米国」の発言と行動をしている
その2:前市長も「天皇戦争責任」発言で銃撃され重傷を負ったと思う
その3:であるから県警?や県庁での市長警護体制はどうしてたのか?
例えば「米国の歌手や俳優」の様に大柄な若者で前後を囲むだけでも盾の代わりになり銃による狙撃など格段と難しくなる 予兆はなかったのかな?
その4:暴力で言論を封殺するのは長崎という土地柄なのか? 穏やかな土地柄に発言が過激に過ぎるという事なのか?
その5:犯人は暴力団員で「市と車のトラブル」と言ってるそうだが4年前の事件でそれが原因とは!? 本当の狙いは「殺傷による言論封殺」--つまりテロ行為でないか

その6:選挙戦最中である 弔い合戦は奥さんか長男と相場が決まっているが立つか立たないか? 夫や父の仇を家族がとは「革新陣営」らしくはないがテロに屈しないとの意思表示にはなる 勿論思想を同じくするグループに二番手がいれば急遽立つのも一つの方法であろう

戦前それも昭和に入り軍部(特に陸軍)が力を持つと取り巻を使ってテロをやらせた それに内務省(特に警察関係)が協力したり或いは敵とみる要人や反対意見を述べる者の警護の手抜きをしたり嫌な時代があった 海軍等は武力があるのに陸軍との抗争と取られるのを恐れ(これも国民を抜きにした自己保存の考えだが)軍人で政務にある者の身辺保護を徹底せず政務から身を引いた 名目は兎も角陸戦隊を編成して要人保護を徹底すれば「三国同盟の締結」も防げたか或いは遅らせる位の事は有り得たのだが 歴史に「もし、ならば、そうしなければ」は無いそうだからその反省を生かし
「政治的発言」に対し「暴力でこれを封殺する」行為は許してはいけない

安倍総理の本件に対する見解は目の付け所が低い よく物を言う事で命の心配をする様な社会はいけない テロは民主主義の破壊行為の第一なのだから
続報に注目しましょう

朝日新聞:
17日午後7時50分ごろ、長崎市のJR長崎駅前にある大黒町の選挙事務所前の歩道で、短銃を持って待ち伏せしていた男に背後から数発撃たれた同市の伊藤一長(いとう・いっちょう)市長(61)が18日午前2時28分、出血多量のため収容先の長崎大付属病院で死亡した。銃弾2発が胸に撃ち込まれていた。伊藤市長は22日投開票の市長選に4選を目指して立候補していた。
 長崎県警は殺人未遂の疑いで現行犯逮捕していた同市風頭町、指定暴力団山口組系「水心会」会長代行、城尾哲弥容疑者(59)の容疑を殺人に切り替えて調べる。
 伊藤市長は、同市初の戦後生まれの市長。原爆投下の2週間後に疎開先の山口県で生まれた。長崎市議、県議を経て、95年に本島等氏を破って初当選した。

 就任後は、被爆地の市長として国際会議などでも発言してきた。当選した年の11月、オランダ・ハーグの国際司法裁判所での証言で、広島市長とともに「核兵器の使用は国際法に違反していることは明らか」と陳述。「違反とまでは言えない」との立場の外務省からは、文言をめぐって直前まで働きかけが続いたが、曲折の末、「違法」を明言した。
 02年8月には「原爆の日」の「平和宣言」で、同時多発テロ後の米国の核政策を「国際社会の核兵器廃絶への努力に逆行している。こうした一連の独断的な行動を断じて許すことはできない」と述べ、初めて米国を名指しで批判した。
 05年5月、米ニューヨークの国連本部で開かれた核不拡散条約(NPT)再検討会議の本会議場で発言。長崎の原爆で黒こげになった少年の写真を掲げ、「核兵器と人類は共存できない」と訴えた。(以下省略)
コメント (11)
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