1980年頃、釜ヶ崎の三角公園横の工事現場で土方見習いをした
公園には大勢の浮浪者がいて、皆寝転んだり端っこの方で固まってバクチをしていた
寝ている連中は皆、乾いた咳をしている人が多くて咳をしちゃ焼酎を煽っていた
その頃、釜ヶ崎のドヤ(簡易宿泊所)の住人の6割が結核に罹っていると言われた
あくる年、僕は東京の病院の呼吸器内科のTB(隔離病棟)で雑用をしていたけど
入院患者は皆、咳なんかしていなかった。
稀に重度で個室に隔離される新規の入院患者さんが咳をしていた
だからあの時に三角公園で咳をしていた連中はけっこう重度だったのに違いない
土方見習いには僕と同じように・・
「高給、簡単な軽作業」に吊られて同世代の連中が何人かいて
梅本、通称ウメと言う僕と同い年の男は夜間の関西大学の学生だった
(大学に通っている気配は無かったけど)
ウメとは気が合って土方を辞めた後、次のバイトも一緒に行った
長髪で久本雅美似のウメがある日僕に言った
「昨日、現場監督がわしのアパートに一升瓶持ってたんねて来てな、わしに正社員になれっちゅーんじゃ」
「そいでもってお前の事聞いたらあんな役立たず正社員になんぞ出来るかい!って言いよったで」
「いひひ!」と楽しそうに言った
5~6歳年上の吉岡さんがいた
吉岡さんは好人物でいつもニコニコしていた
でも吉岡さんはどこか暗いところがあって、聞くと前の職場で人身事故を起こして仕事を辞めたそうだ
世捨て人的な所があって最初の給料を貰うとウメや他のバイト何人かを誘って天六のスナックで散在して
一晩で給料を使ってしまった・・(後の生活どうするんやろ)
ウメに言ったら
「わしは知らんで、吉岡さんが奢ったるちゅーてわしボトルまで入れてもろたで」言うた
2歳上の社員に野本さんがいた
野本さんはシン〇ーを吸い過ぎで前歯が無くて笑うとかわいらしい顔をした
通称が‘歯抜け,だった
歯抜けの野本さんは手先が器用で博奕ばかりしていた
それでやくざにまで借金を作って一度やくざが現場まで取り立てに来た
弟分二人連れて来た弟分はまだジャージを着た部屋住み(やくざ見習い)だ
僕らは汚い作業着を着た(土方見習い)だ
「おお!歯抜け、あるだけ出さんかい!」
「わし今3000円しかおまへんねん、これが全財産ですぅ」
「あほんだら、無かったら誰ぞに借りんかい!おいお前、歯抜けになんぼか貸したれや」
っと僕に言うんで僕は
「僕ぅ30円しか持って無ぅて昼飯も食べられません」
言うたらやくざが
「ほんまにここは貧乏ったればっかりやな、しゃーないこいつらにコーシーでも買うてきたれ」
部屋住みを缶コーヒー買いにやらせて缶コーヒーを奢って貰った
歯抜けの野本さんは3000円とられて泣きながら缶コーヒーを飲んでいた
野本さんはその後何日かして蒸発した