もう釜ヶ崎も40年以上前の事で街の様子もすっかり忘れてしまったが
ただ町中が小便臭かったのを鮮烈に覚えている
何年か前にストリートビューで釜ヶ崎の現在の町の様子を見てみたら
今でも真っ昼間に立小便をしているおっさんが映っていて笑ってしまった
1980年釜ヶ崎
一つ年上の土方の先輩に吉田がいた
吉田はいつもえらそうにしていて根性なしの癖に背中に入れ墨を入れていた
それにどこやらの組の事務所に出入りしていてそこの親分に盃を貰うたと言っていた
先輩土方連中にもタメ口を聞いていて嫌われもんだったけど
吉田は物心ついた時にはもう土方をしていてエリート、土方界の市川海老蔵だ
小さい頃からのモッコ担ぎとブロック積みで鍛えた馬鹿力は侮れなかった
よその子供が学校給食を食べてた頃、吉田はもう飯場の飯を食べていた
だからかどうか分からないが危険を察知する能力が高くて
こりゃもめ事が起こりそうやなと言う時、いつの間にかすっといなくなっていた
「ボス(親分)がわしの事かわいがってくれてな、いつでも正組員にしたる言うねん」
吉田は頭が足りんアホやからいい気になって言うていたけど
それなりの親分になるような人は頭が良かった
吉田は案の定、誰ぞの身代わりに豚箱に入れられた
副監督格に成田さんがいた
この人も性格がこすからかった
毎日、仕事が始まる前に社員の奢りで喫茶店でモーニングサービスを食べるんだけれど
たかだか数千円のおごりでえらいふんぞり返っていた
「ひろ造、わりゃ役に立たんわりにパン旨そうに食うやんけ」
「えらいすいません」
長椅子に腰を沈めて足を組んでたばこの煙吐きながら上から目線でわしに意見した
もう気分は仁義なき戦いの成田三樹夫に成り切っていた
成田さんは自慢話をよく言っていた
「昨日仕事帰りに天六のパチンコ屋でフィーバーを3回当ててなタクシイで家に帰ったんや」
「へえ~すごいですね、」
「わし近いうちにここの仕事辞めて独立すんねん」
「だいたい月にこれこれこんだけ儲かる計算や」
「へえ~こりゃまたすごいわ」
「そやから独立するにあたってお前とお前それにお前は雇うたる」
「ひろ造はいらん、お前はいつまでも釜ヶ崎で見張りをしとけ」
いつもこんな話をしていた
あの1980年頃パチンコ台のフィーバーが登場した
仕事が終わって現場で別れた土方仲間が帰りのパチンコ屋で皆揃った
もう空き台が無くて誰かの持ち金が無くなるのを待って並んでる状態で
パチンコ中毒者、破産者が続出した