教育勅語が話題になっている
教育勅語がどう言う内容か戦後生まれの人ほとんどが知らないんじゃないだろうか?
僕も知らない
戦後の教育界で教育勅語は触れちゃならない物
論じちゃいけない物
タブーなんだと
先生はかわいい生徒たちに軍国主義に走らないように
先生たちは生徒を愛しているんだと
僕は中学生まで自分の県の教育を受けた
日教組が強い県らしくて‘君が代,を習った事も歌った事も一度も無かった
隣町がもう他所の県なので高校は隣の県に入学した
入学式に校長?教頭?の「国歌斉唱!」と
掛け声と共に全校生徒が一斉に立ち上がり‘君が代,を歌った
僕と同じ中学校出身者は歌え無かった
(習って無いもん)
其の日、僕は感動の連続だった
(これが学校や学び舎や)
(ようし!今日から勉強しまっくったらー)
とか思ったね
続かなかったけれど
まあ日教組がどうのこうのと言うより県民性もあるんだろうが
それにしても現在はどうだか知らないが
僕の中学の同級生は60人
中学を出て働いたのが2~3人
中学校と同じ県の高校に進学した同級生は2人程
そのうちの一人は入学した高校を中退して
1年遅れで隣の県の僕の入学した高校に入学し直して
彼は出世した
残りの大多数の同級生達は隣の県の高校に全て進学した
それより何よりその頃は僕のでた中学校と同じ町に高校がちゃんとあったんだ
その高校に進学した同級生は0
皆、自分の県の教育を信用して無かったんだ
隣の県の教育に真実味があった
現在隣の県の高校が統廃合して
選択肢が狭まった
現在、僕の出た中学校から一番近い隣の県の高校と
中学校と同じ県の一番近い高校の偏差値は20近く違う
現在でも目標は隣の県の高校なんだ
僕の出た県の教育は人間形成だったのかな?
自分がアホやのに自虐教育でアホばかり作りよって
わし隣の県が隣町で良かった
人生最初の‘運,やな
今日もえらい暖かいね
春・・・やね
春は出会いと別れ
そして旅立ち
春・・19歳の春に僕の人生を左右する人物に出会い
20歳の時に大阪から東京に旅立った
取るに足ら無い屑みたいな人生だけれど
あの時あの人物に出会わなくて
あの日上京し無かったら
今頃どうしていただろう?
釜ヶ崎の公園でホラ話をしながら安酒食らうとるか
田舎で歯の抜けたおっさんになって
汚い野球帽をかぶって長靴を履いて
夕方自転車に跨って港まで出て
「今日はぬくいのぅ~おまんくの漁はどいたんな」
「わしはもう漁にはよう行かん、これからはシッタイじゃ!」
とかなんとか言うてるんやろな・・
そっちの方が幸せだったりして