アリスの曲の歌詞の中に
「何もいいことが無かったこの街で」のくだりがある
実家を出て暮らした街は三つ
はじめて暮らした街は大阪の小さな町、高校を出て18~19歳の2年間
歌詞どおり何もいい事は無かった
その代り
ここでの出会いがその後の自分の人生を誘った
他人様から見ればどうでもいいようなちっぽけな人生だけれど
自分の性分からして早めに進むべき道と出会えたのはありがたかった
19の歳の夏の終わり・・
騒々しく店に軍艦マーチが響き渡っていた
77・・・7
「おお!揃た揃た、そろたでぇ~フィーバーじゃ!」
「あっ!俺もや俺もそろた」
「あれ!、僕は3がそろった」
(えっ?わしはそろてへんで)
周りを見渡したら皆、いっせいに7と3の数字が揃いだし
店員が忙しげにパチンコ台に紙で出来た白い花を貼り付けた
「おお!こんな事があるんか!ここのシマ(列)皆、フィーバーしとるでぇ~」
(いや、わしはフィーバーしとらんて・・)
自分の列も後ろの列も皆、一斉にフィーバーしてパチンコ台が白い花で埋め尽くされたが
自分の打つ台だけはいくらつぎ込んでも数字が揃わなかった
皆が喜んでいるんでつられて泣き笑った
とうとう有り金全部入れあげた
「けっ!けったくそわるぅ~~」
腹がへっていたが、飯代もパチンコにつぎ込んだ
アパートへの帰り道、商店街を通ると、うどん屋からうどんの旨そうな匂いがした
(また今日も買い置きのコーンフレークに水かけて食わにゃならん)
ズボンのポケットに手を入れて肩を落としながら歩いた
その頃は将来の目的も先の見通しも何もなくただ毎日、パチンコ屋に通っていた
目的を探そうともしなかった10代最後の年
アパートに着くとアパートの前でバットの素振りをしている青年に出会った
(えらい、元気な奴やな、ここで見かけん顔やな)
と思った。
彼はアパートの新入りで何度か顔を会わすうちに口を聞くようになった
「キャッチボールの相手してくれへん?」
彼、タケイシ君はズボラで運動嫌いの僕をよく誘った
タケイシ君はたばこもパチンコもやらない健康体で高校時代は野球部だった
飲む打つ昼寝大好き浮浪体の僕は高校時代、これしかないと言う帰宅部だった
何度かキャッチボールの相手をした
話をしてるうちに彼が同い年で同郷だと分かった
それとこのアパートは仮住まいと言う事だった
タケイシ君は放射線技師の卵で夜間の学生だった
昼は病院で助手をしていた
何でも学費も病院から出ていた住まいも病院持ちで
病院が職員用の新築マンションを建築中だったからその間このアパートに居た
僕は金があるとパチンコ屋通いだったから年中文無しだった
堅実なタケイシ君は病院から給料も出ていたから
よく居酒屋で奢って貰った
ほろ酔いぎみになるとタケイシ君は僕に説教をした
「そんなんやあかんやん」
僕は「えへへ」と笑いながらタケイシ君より大酒を飲んだ
なさけない事に同い年の真面目な青年に奢って貰うのに何も恥じてない自分がいた
タケイシ君のマンションが出来上がって遊びに行ったら
「タケイシ君いる~~?」
やさしい看護師さんがお菓子を持って来てくれた
そしてその頃はまだ珍しかった鉄のドアに青い絨緞敷きのおしゃれな1Kのマンション
自分の暮らすボロアパートとえらい違いだった
同い年のタケイシ君には将来の職業がすでに決まっていて道が切り開かれていた
僕には何の手立ても無かった
こう言う職業選択の道がある事を知らなかった
自分の出た高校は成績が悪くても、誰もがとりあえず大学の進学をめざした
大学を出た後、どんな職業に就くかは分からない
人間は目標と言うか到達点が分かれば強い
今、やるべきことが分かるから
タケイシ君に聞いてみた
「僕もこんな‘クチ,ないか?」
「あるやろけど、学校に受かってから学校に紹介してもろたらええねん」
タケイシ君に学校のパンフレットを見せて貰った
学校の名は行岡だった
行岡には行かなかったが
現在の自分に繫がった
その後、結婚するまで衣食住を職場に面倒みてもらった
その時、大阪で暮らしていた町に、数年前、行岡の学校が出来た
見せて貰ったパンフレットが行岡じゃなかったらまた違った人生を送っていただろう
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