おととい近くの八幡宮でツツジと桜のコラボが綺麗でした。
先週の日曜日は都内の下町を徘徊しましたが
今日はこれから何処へ行こうかな
最近、テレビを見てもほとんどの出演者の名前も知らない
面白くも無いのに、アハハと笑いの効果音がいつも流れている
驚くほどの事でも無いのに番組の出演者がとって付けたかのように・・
ホー!と驚く
どの番組を見ても‘テレビショッピング,に見えるのはわしだけか
ほとんどのタレントさんの名前を覚えないわしだが
唯一女優さんや女性タレントの名前を覚えられる番組がある
蛭子さんと太川さんの「ローカル路線バスの旅」だ
この番組だけは欠かさず見ていたので‘マドンナ,と呼ばれるタレントさんを覚えた
野村真美さんやはいだしょうこさん、熊切あさ美さんとか
皆、けっこうええ歳のタレントさんなんだが
あの番組に出演するとおっさんのファンを増やす‘登竜門,かも
ベッドで就寝した事で多少なりとも鼻炎は改善されましたが
それでも朝、外に出たり別の建物に入ったりした時の寒暖差から起こるアレルギー症状は変わりませんでした。
朝、外に出るだけで鼻水が必然的に出るもんだから
もういっその事どこまで鼻水が出続けるか試してやろうと
朝寒いうちに起きて外を徘徊したんです。
そう、だいたい1時間半くらい
もう鼻水が出る出る、クシャミは止まらない
そうこうするうちに、どうせなら歩くならジョギングにするかと思い
走り出したんです。
恥ずかしい話、僕は学生時代はずっと帰宅部で運動をする習慣はありませんでした。
走り出すと最初の頃は鼻炎が気になってしょうがないんですが
そのうち走る事が楽しくなるんですね
朝起きて走る事が習慣となり
そしてその頃スポーツクラブがあちこちに出来て
僕もそのうちの一つのクラブに入会したんですが
入ってみてその頃に流行っていたエアロビに嵌ったんです
あの鏡で自分の姿を見ながら体操をすると言う事が自分の中に埋もれていた何かが目覚めたんです。
もう毎日エアロビにのめり込んでおしっこに血が混じるぐらいに汗をかいて
水泳は得意だったので水泳もしました。
朝、1時間半のジョギングに
夕方は2時間程エアロビで汗をかいて
気が付くとアレルギー性鼻炎が治っていたんです。
あれから30年以上たちますが以来、鼻炎の症状はほとんど出ません
体質が変わったんですね
耐性が出来たと言うか
扁桃腺も腫れなくなりました
アレルギー性鼻炎、花粉症で悩んでいる方はぜひやってみてください
そんな暇は無いと言う方がほとんどでしょうけれど
いろんな治療を受けたり薬を飲んだりしたんですが
薬を飲むと一時的には良くなるんですが
仕事中に眠くなったりまた鼻炎の噴霧器に入っているステロイド系の薬の危険性がその頃、指摘されたりして
相変わらず鼻炎には悩まされました
そんな時、僕の生活環境が変化してきました。
ベッドを買ったんです。
それまで床に布団を敷いて寝ていたんですが
それも独身で無精者だったのでいわゆる万年床っていう奴です。
その頃はもうアレルギー性鼻炎が花粉やほこりが原因で起こる事が知れ渡ってきた時期ですが
自分のアレルギー性鼻炎がどれが発生原因か特定できる検査はまだありませんでした。
アレルギー症状が季節的の起こる人もいますが僕の場合1年を通して患っていました。
花粉にしろ、ほこりにしろ、床に近い所が多く存在するわけで
ましてやめったに掃除をしない独身男性の部屋の床なんて尚更です。
その時、ベッドで寝起きした事で
おや?と思われるぐらい鼻炎の症状が軽くなったんです。
最近でも鼻炎で悩んでいる方に
「床にふとんで寝ているでしょう?」
と尋ねると
「ええ」
とおっしゃる方が今でもけっこう多いんです。
ベッドにした事で少し鼻炎の症状は軽くなったんですが
そしてとうとう、アレルギー症状を画期的に改善できた行動を起こしたんです。
・・・
そんなに大げさな事かいな
夜中にうつらうつら目覚めると外は雨が降っていた
パラパラと音がする
そして枕元の目覚まし時計がチクタクと
闇の世界にただその音だけが響いて来る
じぃーと目をつむったまま横たわり耳を傾けると
パラパラ
チクタク
と同時に幻のような昔の光景が浮かんできた
終電間際の電車に乗っている
梅田行きの阪神電車
乗客はほとんど乗っていない
眠りについた街の灯りが流れてゆく
僕も長椅子から足を投げ出してうつらうつらしている
ふと瞼を開いたら向かいの長椅子に座った小さな女の子が僕の顔をじっと見つめていた
こんな時間の電車にお母さんと二人
お母さんはやはりうなだれて眠っていて
ガタンゴトン揺れる車内で女の子だけが確かに目を開けて僕を見ていた
あの女の子は何だったんだろう
何処かの大臣が失言で更迭されたが
失言、ちゃうやん
ジョークやん
昔、イタリアの映画祭か何かでビートたけしが
「また一緒に組んで戦争をやりましょう」と受賞会場でスピーチをしたが
あんなブラックユーモアでもマスコミは何の問題も言わなかった
そりゃ大臣とビートたけしは立場が全然に違うが
公人は酒の入ったパーティ会場でのスピーチもジョークを使ったら叩かれる
パーティだろうが何だろうが
あの大臣をマスコミは貶めてでも叩いてやろうと狙っていた
ターゲットだったんだ
おー!怖
そんな僕も就職するんですが
就職先は総合病院の理学診療科(リハビリ)に技師として勤めました。
お隣の科は耳鼻科だったんです。
鼻炎持ちの仕事先の隣りが耳鼻科だったのは幸いでした。
耳鼻科の先生とは仲が良くてよく診てくれたので毎日のように通いました
何せ隣の部屋だったので
いつも先生が何やら薬の付いた細い鉄の管を鼻の穴に差し込んで
その後、一般患者の子供達と一緒に並んでネブライザーを鼻に入れるんです。
最初の年は、ほぼ毎日この治療を受けましたが一向に良くならなくて
いつも白衣のポケットに鼻水を止めるステロイド系の薬が入った鼻に挿す噴霧
器が3本も4本も入っていて
仕事中に始終ささないと仕事が出来ないんです。
他人相手の仕事なので鼻水をすすってばかりだと集中出来なくて
おかしな事に仕事の対象が苦手な人の前では鼻水がよけいに出て
朝、職場の病院に向かっていて病院の建物が見えると鼻がむずむずとするんです。
そんな症状が24歳の時にぴったりと止まったんです。
薬も使わず、変なサプリメントも飲まずに
・・・
ふふふ
いつ本題に入るんだろう?
高校を卒業して都会で一人暮らしを始めるんですが
鼻炎の症状は続き
一人部屋でこんこんと咳をしながら熱を出して臥せっていることが良くありました。
両親は僕が人並みに就職が出来るか心配していましたが。
その頃、僕は夜間の医療系の専門学校に通っていたんですが
昼間は都内の総合病院で働いていて配置先は呼吸器内科の病棟でした。
いつも呼吸器で苦しんでいた僕の勤め先が呼吸器病棟だったんです。
仕事は雑用ですが僕が熱を出したりして風邪の症状が出ると
その道の専門の病棟の医師が診てくれるんです。
病棟はTBと呼ばれる結核患者の隔離病棟もあってマスクをして入るんですが
マスクをすると一時的に鼻炎がラクになる事が分かりました
その頃に病棟の医師から
「君はたぶん花粉症だよ」
と初めて花粉症と言う言葉を知ったんです。
最先端の病院でしたから喀痰の検査やX線など充実していて
鼻炎持ちで病弱な私の最適な勤務先でした。
それでもアレルギー性鼻炎も扁桃腺炎も一向に良くなりませんでした
いつも鼻の頭は真っ赤で鼻の下は鼻のかみ過ぎでカビカビでした。
今日は今期初めての介護認定審査会
かれこれ10数年係わって来てまたこの先2年間委託されたわけだけど
本業が2年間どころかあと半年持つかどうか
本業を辞めると委員自体を続けられない
職務組合が推薦先だから
介護保険制度が出来て20年近く経って
とやかく言われる方もいたけれど
日本の社会に根付いて来たと思う
制度が出来てすぐに
訪問調査とケアマネ業務に従事したけれど
本業とはとても兼業は無理なので1年で撤退した
それでも兼業が可能な機能訓練指導員として
特養、グループホーム、デイサービスを何か所か受け持った
けれど初期に僕が手掛けた機能訓練指導員としての業務は現在完全に隔絶された業務体系になっている
柔整師は元よりPT,OTと言った資格の価値が介護保険制度初期から比べて非常に低下した所以でもある
この機能訓練指導員も施設が機能訓練以外の送迎や介助と言った補助業務を受け持たせ
人手不足を補う戦力的要員として常勤として雇用するようになったので必然僕の様な非常勤の者はいらなくなった
それでも僕が初期の機能訓練指導員としてこれら施設で行い且つ実際僕が行ったやり方が引き継がれ
また退職したスタッフが他の施設でも同じようなカリュキラムを行っている
最近になって僕は過去に従事した事のあるこれら施設に電話をしている
「なんぞ仕事はありまへんか?困ってるんですわ!」
「いやー!若い元気な子を常勤で雇いましてな、おたくのようなお方はとてもとても」