HIROZOU

おっさんの夜明け

ニュース

2021-12-15 07:03:32 | グチ

今日も寒いね

テレビはほとんど見ないけれど朝と昼にちょこっと見る

あいかわらずニュースは嫌なニュースばかりだな

生コン会社で生き埋めになった70代の2人の作業員の方はどう言う生活を送っていたんだろう?

僕と同じ様に貯金も無くて国民年金だけの収入で働かざるを得ない状況だったんだろうか

たぶんそうだろう

下水工事なんか見ていると穴の中に入っているのは年寄りの作業員ばかりで

上から穴を覗いているのは若いお役人さん達だ

赤ん坊が親に2階から投げ落とされたニュースが2件あった

1件は火事で逃げられなくなって下に子供を受け止めてくれる人がいた

もう1件投げ落とされた赤ん坊には受け止めてくれる人が誰もいなかった

一人の子は親に・・・

(助かってくれ)って念じながら投げられて

もう一人の子は

(死んでしまえ)って投げられたんだよ

仙台で清掃員の女が男性に刃物で切り付け逮捕された

39歳だそうだけど自分の置かれた立場に不満があったんだろうな

テレビで警察の車両に乗りこむ彼女の顔がアップされるんだけど

そんなん映すなよ

相手が死んだわけじゃ無いのに

どこかの脱税した元理事長の奥さんなんか顔を隠して貰ってるやん

いつの世の中も職業や立場で貴賤の差別があるんだよな

わしなんかテレビに映った女子アナなんかより

タワシ持って男子便所掃除しているオバハンの方がよっぽど綺麗に見えるわ

あいかわらずあおり運転が多いね

い今の世の中不平不満だらけなんだね

そう言うわしもだったりして

 

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タコ部屋

2021-12-13 07:53:30 | 

     

ちょっと思う所があって図書館で借りて来た

少し重い内容かな・・・

感想は別として日本のタコ部屋制度について書かれていた本があった

東京や大阪の繁華街たまり場と呼ばれる辺りから

手配師の甘言に乗って借金を背負わされ北海道の鉄道建設現場に連れて来られて

それこそ暴力と監視に縛られ事故やリンチで亡くなる事もあったと言う

僕も一度危うく飯場という名に騙されて連れていかれるところやった

現在こそタコ部屋と言うおぞろおぞろしい名じゃ無くても

金と言う足かせで繋がれて嫌々

タコ部屋もどきの労働を強いられてる人もおるんでは無いだろうか

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大阪物語、完

2021-12-11 08:16:07 | メモリー

アパートは第〇〇三和荘と言って同じ名前で数字が違うアパートが

その地区に数件建っていてたぶん同じ不動産屋の持ち物だったんだろう

アパートに入るすぐに管理人室があって下駄箱に土足を入れスリッパを履いて入った

アパートは2階建てで真ん中に廊下を挟んで左右に部屋がそれぞれ5部屋程あったが

だから一つのアパートに20所帯ほど住んでいたことになる

トイレは共同の男女兼用、洗濯場もあって洗濯機も自由に使えた

住人のほとんど単身者で学生が主だった

管理人も常駐していたんで廊下も磨かれていてトイレも綺麗だった

部屋はほとんど四畳半で僕の部屋は2階の左の角部屋でこの部屋だけが三畳だった

たぶん建築上四畳半で区切っていくと僕のいた三畳間だけ四畳半がとれなかったんだろう

だから部屋は畳三畳は敷けても台形をしていた

その分家賃は一番安くて月に8000円だった

その他の部屋は12000円くらいで後年知り合った隣のアパートの6畳間の住人の

家賃は16000円だと言っていた

部屋はどっち向きだったんだろう夏はむちゃくちゃ暑くて

角部屋を良い事にいつもドアを開けっぱなしでパンツ1枚でいた

反対に冬は隙間風が吹き込んで寒くていられない

隙間に目張りをしたらどうにか冬をやり過ごせた

窓は鉄枠の網入りガラスで風が吹くとカタカタと音がした

窓の外はトタンの風よけがあって脇から覗くと

鉄橋を渡る茶色の阪急電車が見えた

終わり

 

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大阪物語1

2021-12-10 07:15:30 | メモリー

今日も今日とてさぶいね

今から40年も前の昭和55年頃か大阪の茨木市ってところに住んでいた

トシちゃんと聖子ちゃんの全盛期でパチンコのフィーバー台が登場した年だ

最寄りの駅は阪急茨木駅の隣の総持寺って駅だ

急行が止まらない分家賃が安く大阪の梅田へも京都の四条河原町にもそれぞれ

30分~40分と立地も良かった

その頃、駅周辺のどこからでもエレベーター会社の100メートル越す試験塔が見えた

駅の名の通り総持寺って言うお寺があったんだけど

2年間住んでいて一度も行った事が無かった

駅前にはパチンコ屋と立ち食いのうどん屋、炉端焼きの居酒屋なんかがあって

駅を出るとパチンコ屋の喧騒とうどんの匂いが漂っていて

よくうどん屋の隣の自動販売機に酔っ払いがもたれて寝てたりした

くにゃくにゃ道の両脇に小さな商店街があってバケツや笊を売る雑貨屋とか

親子丼や牛丼を出すそば屋に用水路に沿った路地に小汚い飲み屋が連なっていた

しばらく歩くと中産階級の住む広い敷地の中に団地が立ち並んでいて

それを過ぎるといつも通った銭湯にコインランドリーがあった

いちど銭湯の親父にごみの不法投棄をとがめられ風呂に行きにくくなった

コインランドリーのばあさんはここに町に住んで唯一話を交わす人物だった

住んでいたアパートは文化住宅が並ぶ路地の突き当りで脇にどぶ臭い水路が流れていて

たぶん私道だったと思うんだけど

アパートの前に住人の自転車が並んでいて近所の子供たちが遊んでいた

典型的な戦後昭和の貧乏長屋ってところか

その貧乏長屋の住人でも一番貧乏なのが僕だった

つづく・・


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寒いだろうな

2021-12-08 07:41:19 | Weblog

今日はシトシトと冷たい雨が降りよる

今日もお客さんそんなに来ないだろうな・・

シトシトシト・・・ぴっちゃん

シト・・・ぴっちゃん♪

悲しく冷たい 雨すだれ~

ちょうど40年前も先が見えない状況に置かれていた

冷たい冷たい

比叡おろしがピューピューと河原町通りに吹き付けて

鴨川の川面に湯気のような気嵐がゆらいだ

革ジャンもどきのジャンバーとスリムの黒いジーパン

いつも同じ格好で河原町通りをさ迷った

さしずめ現代なら包丁を持って通行人に切りつけただろうか

そんな事はせえへんだろうけど

実際その頃の10数年前に永山と言う青年が

八坂神社境内でピストルによる殺人事件を起こしている

昔も今も被害妄想が時として世間と他人に向けられる

だけど僕が京都に足繁く通った事は良い思い出だ

四条大橋を渡ると八坂の森が見え

花見小路を右に折れ建仁寺に向かうと途中に場外馬券場がある

観光客とは似ても似つかわない馬券買いのおっさん連中を見るとなぜか気が落ち着いた

〇〇なんはわしだけや無いんや

建仁寺を過ぎて金毘羅さんを左に折れると清水寺に向かう

三年坂を登り清水の舞台に立つと京都市街を一望する

いつも京都に行くと最初に辿るコースだ・・・

そうだ!京都に行こう

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印税

2021-12-07 08:47:54 | 

           

図書館で壷井栄の本を取り寄せて貰った

ほとんど全編、戦争、貧困、差別、世相、が話に盛り込まれている

涙亡くしては読めない話も随所に出て来る

父や兄の戦死

不条理な世間

理不尽な出来事

とても考えさせられる内容ばかりだ

ご自身も少女時代随分と苦労をなさったみたい

上京後は林芙美子さんとか付き合いがあったみたいだけど

林芙美子さんも不遇な少女時代を送ったみたい

晩年、林芙美子さんは新宿の豪邸住まい

壷井栄さんも軽井沢の別荘で療養しながら執筆活動

お二人とも貧乏はしたけど一発逆転したんだね


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私見

2021-12-07 07:48:51 | グチ

コロナウィルスがある程度落ち着いて来たと思っていたら

何とかという変異株が発見されたと言って

(怖いぞ~怖いぞ~)

マスコミは散々不安を煽っている

まだこれで死んだ人は出て無いんちゃうん

よう分からんけど

ふと思い出したんだが、何年か前に狂牛病 が世間を賑わした

世間の人が牛肉を食べなくなって僕の行きつけのステーキハウスも潰れた

時の農水産大臣が畜産農家の子供達とステーキを食べると言うパフォーマンスも

焼け石に水で何の鎮静化も図れなかったが

いつのまにやら狂牛病は忘れられた

あの頃の牛肉に関連するありとあらゆる業種が影響を受けた

もちろんその家族たちにも

進学とかの夢を絶たれた子供もいるはずだ

鳥インフルエンザと言う鳥の感染病があって

ほとんど人への感染は無いそうだ

しかし鳥インフルエンザが影響で亡くなった人がいる

鳥インフルエンザが養鶏所で発生したにもかかわらず黙っていた養鶏所の経営者が

散々マスコミにパッシングされ隣近所にも目の敵にされた結果

経営者の両親老夫婦が自ら命を絶ってしまった

自らの命と引き換えに謝罪したんだ

いったい誰に謝罪をしたんだろう?

叩きに叩いた連中は一時の

(へぇ~そうなんだじいさんばあさん死んでもうたんや)

(ふん!わしのせいじゃないわ)

(お前らが悪いんじゃ)

と言う事で

自分達は普通に金を儲け

すけべな事を考え

美味いもんを食べながら

変わらない日常を過ごして行くんだろうな

必要以上に不安を煽り

死ぬまで他人を叩き

社会正義を標榜し知る権利とかを旗印にしてるんだろうけど

段々と人と人が支え合う世の中じゃ無くて

人と人とが憎しみ合う世の中になっているような気がするんだけど



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二十四の瞳

2021-12-04 12:40:46 | 

       

高峰秀子さんの流れで何十年ぶりかで二十四の瞳を読んでみた・・・

昭和初期のまだ日本中が貧しい時代

島の12人の子供たちが戦争と貧困と言う過程でどう言う人生を辿ってゆくか

涙無くしては語れない各々の人生を綴っている

また大石先生の人生も

元はお金持で大きな屋敷で生まれた富士子は芸者に売られ

母を亡くした松江もまた10歳でうどん屋に奉公に出された

同じ様に小学6年が終わって奉公に出たコトエは肺病に罹って22歳で死んだ

反対にミサ子の家は闇屋で儲けた

5人の男の子たちは3人が戦死して1人は盲目となって復員した

大石先生のご主人も戦死

末の娘はまだ青い柿を食べて腸カタルで死んでしまった

この本一冊を読み終わるまでに3回ほど読者を泣かす内容がある

令和と言うこれからの時代もこの話の様に

大勢の貧乏人の中に一握りの金持ちが存在する

そんな時代になりそうな気がしてしまう

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現実

2021-12-04 07:38:52 | グチ

連日連夜、三密の宴会が続いている

最初こそマスクをしたり外したり声も小さいが

酔いが進むにつれ声も大きくなってマスクも忘れがちになってくる

特に居酒屋の宴会は周りも賑やかだ

先ごろの超三密だったお酉様の賑わいでもクラスターが出たなんて聞かない

この頃の東京でも10人台の感染経路ってどうなっているんだろう?

テレビでは新しいなんたら?って言う新しい株のコロナの心配を散々煽っているけど

どうなんだろう?

実はたいした事が無かったりして

コロナに罹って死ぬ心配より

経済苦でクビ括る方が100倍程現実味を帯びるんだが

 

 

 

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寒いね

2021-12-02 07:32:03 | メモリー

今朝もさぶいね

朝と言うか夜中と言うか歩いていたらいつもすれ違うおっさんに会う

帽子のライトを点けて両手に懐中電灯を持って

これで肩に鉄砲を担いでおったら八墓村やで

またまたこの時期になると10代最後の年の師走、

毎日、京都に通った記憶が蘇る

あの年も寒かったな・・

鴨川の川から煙の様な毛嵐が漂ってたり

道行く人が肩をすぼめてオーバーに身を包んで

そう言えば坊さんで頭に野球帽被った人は見いへんな

被ったらいかんのかいな

わしはいつも被ってるけど・・

釜ヶ崎のホームレスも山谷のそう言った連中もだいたい野球帽をかぶってるな

野球帽はホームレスのトレードマークやな

一昔前は頭の毛がカチカチに固まってインドの修行僧の様なホームレスがいたけど

今はそんなん見かけないし

生活保護貰ってええもん食ってるもんやから

健康体のホームレスが多いな

わしが今どうあがいても買えないタバコもスパスパ吸ってるし

あっ、それにドヤも皆ちゃんとあるからホームレスちゃうやん

そうしたらなんやろ

世捨て人・・かな

・・・

何の話やったかいな?

そうそう京都

毎日パチンコ打ちに通ったがな~

40年も前

街にダンシングオールナイトが流れていた


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