HIROZOU

おっさんの夜明け

生き血を啜る

2023-03-20 08:10:57 | グルメ

    

王子まで来たらやはりここまで足を延ばします。

赤羽の超有名店まるます家に来ました。前は休みの日には朝9時から開いていたんですが

コロナ過から11時開店になったんですね

昔は川口辺りの鋳物工場の夜勤明けの工員さんが常連客だったようです。

昨日は開店30分前に着いてもう20人程並んでいました。開店時間には40人くらいいました。

この日は初めて整理券をくれました。これはいいですね

行列あるあるでグループやカップルが先に一人並ばせておいて途中で合流するなんて輩もいますから

  

入店すると先に飲み物を頼みます。

皆が・・「ジャン酎にモヒート」と頼むので釣られて「ジャン酎モヒート」

を頼んでしまった

ジャン酎なんて旨か無いもんね

   

ぼくはいつも鯉のあらいから頂きます。

開店入店の人はだいたい鰻の兜を注文してますね人気の数量限定ですから

この店は元々川魚料理専門店で鯉や鰻、鯰にスッポンなんかありますね

もちろん今は鰹に鮪、馬刺し何かもあります。

   

牛筋煮込みにメンチカツ

   

鯉こく

いろんなツマミがありますが料理が旨いとか値段が安いとか言われますが

この店の最高の売りは何と言っても‘歴史,ですね

The昭和って感じ

だから同じ形態で店の造りも料理も全く同じ物を出したとしても

たぶん繁盛しないと思います。

  

捌いた時にだけ出るスッポンの生き血を頂きました。

ラッキー!


 

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飛鳥山

2023-03-20 08:02:09 | 徘徊

       

昨日は初めて王子の駅で降りました。

普段は少し先の駅、赤羽に昼飲みに行くくらいなんですが

  

飛鳥山にD51がありました。

  

飛鳥山と言ったら江戸時代より桜の名所で有名ですが思ったとおりまだ早かった

ソメイヨシノじゃ無くて別の桜が咲いていた

  

下を見下ろしたら早稲田行きの都電が走っていました

ちょっとノスタルジーを感じました。

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開き

2023-03-20 07:24:32 | 朝ごはん

       

今朝は卵かけご飯にアジの開き

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高いね

2023-03-18 06:59:42 | 朝ごはん

         

今朝は雨が降っていたのでウォーキングはお休み

ふぅ~~

いずれにしても食材が高いね

貧乏人の食卓がどんどん質素になって来る

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特産たまご

2023-03-16 07:27:18 | 朝ごはん

     

いつも変わり映えしない朝ごはんです。

ニラたまに使っている卵は地元特産の赤い卵で一個50円ほどします。

前まで普通の卵が安かった頃はとても買えませんでしたが

最近、普通の卵と値段の差がそんなに違わ無くなったのでこちらを使っています。

地元特産の卵で高いのは一個80円もするのがあるんですが

さすがに食べられません

🐔に何を食わせてるんやろ

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油断大敵

2023-03-14 07:33:22 | 朝ごはん

    

今朝は鯖の干物にニラタマ、ブロッコリーに納豆

今日も早朝ウォークに出かけました

最近,暖かくなったので油断して薄着で出かけてしまいました。

こりゃ風邪を引いたな

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味噌汁が旨い

2023-03-11 07:33:59 | 朝ごはん

           

暖かくなって来たので中断していた早朝ウォーキングを再開しました。

久しぶりに朝ごはんを撮って見ました。

豆腐となめこの味噌汁、納豆にメザシにら玉にキャベツ

朝、女房は起きるのが遅いのでほとんど顔を会わす事がありません


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ここは天国3

2023-03-07 07:40:14 | メモリー

もう釜ヶ崎も40年以上前の事で街の様子もすっかり忘れてしまったが

ただ町中が小便臭かったのを鮮烈に覚えている

何年か前にストリートビューで釜ヶ崎の現在の町の様子を見てみたら

今でも真っ昼間に立小便をしているおっさんが映っていて笑ってしまった

1980年釜ヶ崎

一つ年上の土方の先輩に吉田がいた

吉田はいつもえらそうにしていて根性なしの癖に背中に入れ墨を入れていた

それにどこやらの組の事務所に出入りしていてそこの親分に盃を貰うたと言っていた

先輩土方連中にもタメ口を聞いていて嫌われもんだったけど

吉田は物心ついた時にはもう土方をしていてエリート、土方界の市川海老蔵だ

小さい頃からのモッコ担ぎとブロック積みで鍛えた馬鹿力は侮れなかった

よその子供が学校給食を食べてた頃、吉田はもう飯場の飯を食べていた

だからかどうか分からないが危険を察知する能力が高くて

こりゃもめ事が起こりそうやなと言う時、いつの間にかすっといなくなっていた

「ボス(親分)がわしの事かわいがってくれてな、いつでも正組員にしたる言うねん」

吉田は頭が足りんアホやからいい気になって言うていたけど

それなりの親分になるような人は頭が良かった

吉田は案の定、誰ぞの身代わりに豚箱に入れられた

副監督格に成田さんがいた

この人も性格がこすからかった

毎日、仕事が始まる前に社員の奢りで喫茶店でモーニングサービスを食べるんだけれど

たかだか数千円のおごりでえらいふんぞり返っていた

「ひろ造、わりゃ役に立たんわりにパン旨そうに食うやんけ」

「えらいすいません」

長椅子に腰を沈めて足を組んでたばこの煙吐きながら上から目線でわしに意見した

もう気分は仁義なき戦いの成田三樹夫に成り切っていた

成田さんは自慢話をよく言っていた

「昨日仕事帰りに天六のパチンコ屋でフィーバーを3回当ててなタクシイで家に帰ったんや」

「へえ~すごいですね、」

「わし近いうちにここの仕事辞めて独立すんねん」

「だいたい月にこれこれこんだけ儲かる計算や」

「へえ~こりゃまたすごいわ」

「そやから独立するにあたってお前とお前それにお前は雇うたる」

「ひろ造はいらん、お前はいつまでも釜ヶ崎で見張りをしとけ」

いつもこんな話をしていた

あの1980年頃パチンコ台のフィーバーが登場した

仕事が終わって現場で別れた土方仲間が帰りのパチンコ屋で皆揃った

もう空き台が無くて誰かの持ち金が無くなるのを待って並んでる状態で

パチンコ中毒者、破産者が続出した

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ここは天国2

2023-03-06 09:34:21 | メモリー

1980年頃、釜ヶ崎の三角公園横の工事現場で土方見習いをした

公園には大勢の浮浪者がいて、皆寝転んだり端っこの方で固まってバクチをしていた

寝ている連中は皆、乾いた咳をしている人が多くて咳をしちゃ焼酎を煽っていた

その頃、釜ヶ崎のドヤ(簡易宿泊所)の住人の6割が結核に罹っていると言われた

あくる年、僕は東京の病院の呼吸器内科のTB(隔離病棟)で雑用をしていたけど

入院患者は皆、咳なんかしていなかった。

稀に重度で個室に隔離される新規の入院患者さんが咳をしていた

だからあの時に三角公園で咳をしていた連中はけっこう重度だったのに違いない

土方見習いには僕と同じように・・

「高給、簡単な軽作業」に吊られて同世代の連中が何人かいて

梅本、通称ウメと言う僕と同い年の男は夜間の関西大学の学生だった

(大学に通っている気配は無かったけど)

ウメとは気が合って土方を辞めた後、次のバイトも一緒に行った

長髪で久本雅美似のウメがある日僕に言った

「昨日、現場監督がわしのアパートに一升瓶持ってたんねて来てな、わしに正社員になれっちゅーんじゃ」

「そいでもってお前の事聞いたらあんな役立たず正社員になんぞ出来るかい!って言いよったで」

「いひひ!」と楽しそうに言った

5~6歳年上の吉岡さんがいた

吉岡さんは好人物でいつもニコニコしていた

でも吉岡さんはどこか暗いところがあって、聞くと前の職場で人身事故を起こして仕事を辞めたそうだ

世捨て人的な所があって最初の給料を貰うとウメや他のバイト何人かを誘って天六のスナックで散在して

一晩で給料を使ってしまった・・(後の生活どうするんやろ)

ウメに言ったら

「わしは知らんで、吉岡さんが奢ったるちゅーてわしボトルまで入れてもろたで」言うた

2歳上の社員に野本さんがいた

野本さんはシン〇ーを吸い過ぎで前歯が無くて笑うとかわいらしい顔をした

通称が‘歯抜け,だった

歯抜けの野本さんは手先が器用で博奕ばかりしていた

それでやくざにまで借金を作って一度やくざが現場まで取り立てに来た

弟分二人連れて来た弟分はまだジャージを着た部屋住み(やくざ見習い)だ

僕らは汚い作業着を着た(土方見習い)だ

「おお!歯抜け、あるだけ出さんかい!」

「わし今3000円しかおまへんねん、これが全財産ですぅ」

「あほんだら、無かったら誰ぞに借りんかい!おいお前、歯抜けになんぼか貸したれや」

っと僕に言うんで僕は

「僕ぅ30円しか持って無ぅて昼飯も食べられません」

言うたらやくざが

「ほんまにここは貧乏ったればっかりやな、しゃーないこいつらにコーシーでも買うてきたれ」

部屋住みを缶コーヒー買いにやらせて缶コーヒーを奢って貰った

歯抜けの野本さんは3000円とられて泣きながら缶コーヒーを飲んでいた

野本さんはその後何日かして蒸発した

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ここは天国

2023-03-04 06:54:51 | メモリー

この時期だいたい高校大学とも受験の合否が決まったみたいだね

僕も40年以上も前、2度目の受験に失敗した時・・・

(これはこまった、こまった)こまったちゃん状態だった

その頃の大学受験は現役合格の方が少なくて1年2年の浪人は普通だったんだけど

さすがに2度目も失敗となると3度目をあきらめざるを得なかった・・

けれどもまだ働きたくなかった、ぬるい状態でいたかった

大学で緩いサークルに入ってかわいい女の子をゲットする目論見がはずれた現実

この後の人生に何の夢も目標も持って無かったのでとりあえずのバイトを探した

その頃、まだページ数の薄いアルバイトニュースが大阪でも創刊された

確か100円だった

どうせなら一番時給が高いバイトを探した

時給が高いのに・・(簡単な軽作業)と書いてあった

(ほうほう一番時給が高いのに簡単な仕事やて)

人生初めての仕事先が西成の釜ヶ崎だった

釜ヶ崎がどんな所か知らんかった

仕事が土方の‘手元,だった

土方仕事も知らんかった

天六の商店街に近い南森町の事務所に面接に行ったら

横山やすしさんに似た監督が出て来て

「兄ちゃん、この仕事やっとことがあるんかいな?」って言うので

「ありません」って言ったら

「しゃー無いのぅ~まあ人もおらんし、あほうでも務まる仕事やから明日から来いや」

と言われて行った先が釜ヶ崎だった

今でこそ釜ヶ崎も綺麗になってyoutube何かのグルメスポットで取り上げられて

いろんな店で飲み食いしてるけど

1980年頃の釜ヶ崎って言ったら町中が小便臭くて

それに町中で写真なんか撮っていたらただじゃ済まなかった

土方現場は意味不明な単語が飛び交っていた

「あかん、あっか~ん、わしの手元は役に立たんわ~」

・・て先輩土方に言われて

大学に入っていたら落第していただろうけど土方仕事も2~3日で落第した

「あほ!ボケ!ひろ造はもう手元はやらんでええわ!今日からお前は見張りじゃ!」

と言う訳で現場労働から離れて現場の見張りになった・・

(今で言う警備員かな?でも釜ヶ崎の現場の見張りは車の誘導じゃ無くて・・)

(盗人と与太者を見張るけっこうシビアな役だった)

昼飯時に職人が誰もいなくなった現場を見張っていたら怪しいおっさんが近づいて来た

「兄ちゃん、ええ天気やなあ、日当なんぼ貰うとんねん?」

「えっ!4800円そりゃ安いわ、うちの飯場はこんだけ出すでぇ~」

5本の指を広げて見せられたど小指と薬指の先が無かったのでなんぼか分からなかった

そうこうするうちに先輩土方が昼飯から帰って来たので怪しいおっさんは引き上げた

先輩土方に聞くと怪しいおっさんは‘タコ部屋,のスカウトマンだそうだ

タコ部屋に入れられると博奕と借金で一生出られないそうだ

僕がそうだった・・

タコ部屋じゃ無かったけど土方を辞められなかった

その頃の僕は金が出来るとあればあるだけパチンコにつぎ込んでいつもスカンピンだったから

土方から逃げられなかった

それに土方仲間は結束が強かった

ひ弱な見張りの僕に地元の与太者が近づいたりしたら暗に与太者を威嚇した

その頃の土方は与太者より強かった

役立たずな僕でも横山やっさん似の監督はクビにしなかった

皆で一膳めしやに入ってガラス棚からおかずを取って

口に割り箸を咥えて左手を前ズボンに突っ込んだ時にゃ・・

(わしも一端の土方やな・・)

と悦に入ったりした

その頃、住んでいたのは学生専用のアパートだった

住人のほとんどは予備校生か大学生

その年、大学に受かった連中は恋に勉強におしゃれに人生を謳歌し

大学にすべった僕は土色の作業着と汚い安全靴を履いて一日中

(アホ!ボケ!)と海千山千のおっさん連中に怒鳴られいじめられていた

釜ヶ崎の三角公園はマグロ市場の光景のようにアオカン?のおっさん連中が寝転がっていた

皆、コンコンと咳をして元気な連中は焼酎を煽って

一日中ホラ話をして

たまに立ち上がって小便をして

僕はずっとその光景を眺めていて・・

(ええなあ~ラクそうやな、わしも土方やめて仲間に入ろうかな・・)

(ほやけんどここは臭いわ、それに冬はどないすんねん)

とか思いながら19歳の青春をあぶれもんのパラダイス釜ヶ崎で送っていた

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