『烏梅(ウバイ)』ってご存知ですか?
私も「月ヶ瀬梅渓と富岡鉄斎」の講座で初めて知りました。
梅の果実を薫製にし、烏(カラス)様の黒い色が由来で、
中国では、後魏で著作された実用農書『斉民要術』に
実梅の製法が記載され、日本には遣唐使により樹木より先に、
漢方薬「wu mei」ウメイとしての持ち帰られてたそうです。
漢方薬としては鎮痛・解毒作用があるため、煎じて風邪薬や
胃腸薬として用いられ、中世になり梅には「クエン酸」が
多く含まれ、紅花から「紅」の色素を取り出す時、天然の
クエン酸を染色の「媒染剤」として利用したのです。
特権階級の人々が愛用した「紅花染め」や明治時代まで
日本女性を彩った口紅・頬紅の媒染剤として『烏梅』は、
欠くことのできない貴重な物だったそうです。
月ケ瀬梅林はこの烏梅を作るために植えられた梅林なんです。
月ヶ瀬の名は渓谷を流れる川面の漣に月光が輝くさまからで、
烏梅が作られるようになったのは、こんな謂れからなんです。
”後醍醐天皇の笠木落城(1331年9月)時に「園生側女」が月ヶ瀬
尾山に逃げ延び、村人達に助けられたことで「烏梅(墨梅)」の
作り方を教えた。この烏梅が高値で売れるので、村人こぞって
白梅の木を植えたと”
この白梅の木は野梅といわれる原種に近く、梅干しには不適で、
6月下旬から7月初旬にかけ、赤く実が熟し落下するまで放置され
落ちた実をザルに拾い集め、竈や煙突からの煤を入れて、ゆすり
ながらまんべんにまぶします。

風呂桶大の土穴で、もみ殻に火をつけて、
くすぶらせた煙りの上にまぶした実を竹蓆を並べ置き、

水を少し撒き丸一日燻煙し続けます。

この黒く燻した実を筵に並べ、二週間天日に干すと

真黒く皺のよったカラカラの烏梅ができます。

明治に入ると、化学染料の導入により月ヶ瀬は変貌をとげ、
梅樹を切り倒し、炭を焼いたり、茶畑・桑畑へ転作され、
10万本から1万本へと数を減らし、烏梅に携わる家も一軒また
一軒と減り、現在、月ヶ瀬いや全国で作ることのできる人は
ただ一人、国選定文化保存技術者の中西喜久夫妻だけ、

帆浦梅林・祝谷に「梅古庵」というお店を出されております。

また東大寺の修二会(お水取り)の『のりこぼし造花』とも
『烏梅』は縁があることを知りました。
昨年の修二会を案内していただけた宝珠院さんでお会いした
染色家の吉岡幸雄の名前が。

まず紅花染めの方法は、「日本の色辞典」吉岡幸雄によると
『紅花染め』は寒の紅ともいわれ、2月頃に染めるのが最適、
春色の紅梅の色を出すには、オレンジ色の紅花がアルカリ性の
灰汁で紅色を分離するため、紅花をたっぷり使い、何日も
繰り返し染めると赤く濃く染まり、韓紅色に染め上ります。
この次に烏梅が紅色を引き出す仕上げの決め手に使われます。
まずこの『烏梅』に熱湯を注ぎ入れ数日放置すると、成分が
溶け出し良質な果実酸が出来上がり、これを薄め、先ほどの
韓紅の布を手繰ると、より透明で鮮やかな紅梅色になります。

『のりこぼし造花』の紅色も『烏梅』を使った「紅花染め」で
作られております。

『烏梅』を作る技術が絶えると修二会も出来なくなりますね。
私も「月ヶ瀬梅渓と富岡鉄斎」の講座で初めて知りました。
梅の果実を薫製にし、烏(カラス)様の黒い色が由来で、
中国では、後魏で著作された実用農書『斉民要術』に
実梅の製法が記載され、日本には遣唐使により樹木より先に、
漢方薬「wu mei」ウメイとしての持ち帰られてたそうです。
漢方薬としては鎮痛・解毒作用があるため、煎じて風邪薬や
胃腸薬として用いられ、中世になり梅には「クエン酸」が
多く含まれ、紅花から「紅」の色素を取り出す時、天然の
クエン酸を染色の「媒染剤」として利用したのです。
特権階級の人々が愛用した「紅花染め」や明治時代まで
日本女性を彩った口紅・頬紅の媒染剤として『烏梅』は、
欠くことのできない貴重な物だったそうです。
月ケ瀬梅林はこの烏梅を作るために植えられた梅林なんです。
月ヶ瀬の名は渓谷を流れる川面の漣に月光が輝くさまからで、
烏梅が作られるようになったのは、こんな謂れからなんです。
”後醍醐天皇の笠木落城(1331年9月)時に「園生側女」が月ヶ瀬
尾山に逃げ延び、村人達に助けられたことで「烏梅(墨梅)」の
作り方を教えた。この烏梅が高値で売れるので、村人こぞって
白梅の木を植えたと”
この白梅の木は野梅といわれる原種に近く、梅干しには不適で、
6月下旬から7月初旬にかけ、赤く実が熟し落下するまで放置され
落ちた実をザルに拾い集め、竈や煙突からの煤を入れて、ゆすり
ながらまんべんにまぶします。

風呂桶大の土穴で、もみ殻に火をつけて、
くすぶらせた煙りの上にまぶした実を竹蓆を並べ置き、

水を少し撒き丸一日燻煙し続けます。

この黒く燻した実を筵に並べ、二週間天日に干すと

真黒く皺のよったカラカラの烏梅ができます。

明治に入ると、化学染料の導入により月ヶ瀬は変貌をとげ、
梅樹を切り倒し、炭を焼いたり、茶畑・桑畑へ転作され、
10万本から1万本へと数を減らし、烏梅に携わる家も一軒また
一軒と減り、現在、月ヶ瀬いや全国で作ることのできる人は
ただ一人、国選定文化保存技術者の中西喜久夫妻だけ、

帆浦梅林・祝谷に「梅古庵」というお店を出されております。


また東大寺の修二会(お水取り)の『のりこぼし造花』とも
『烏梅』は縁があることを知りました。
昨年の修二会を案内していただけた宝珠院さんでお会いした
染色家の吉岡幸雄の名前が。

まず紅花染めの方法は、「日本の色辞典」吉岡幸雄によると
『紅花染め』は寒の紅ともいわれ、2月頃に染めるのが最適、
春色の紅梅の色を出すには、オレンジ色の紅花がアルカリ性の
灰汁で紅色を分離するため、紅花をたっぷり使い、何日も
繰り返し染めると赤く濃く染まり、韓紅色に染め上ります。
この次に烏梅が紅色を引き出す仕上げの決め手に使われます。
まずこの『烏梅』に熱湯を注ぎ入れ数日放置すると、成分が
溶け出し良質な果実酸が出来上がり、これを薄め、先ほどの
韓紅の布を手繰ると、より透明で鮮やかな紅梅色になります。

『のりこぼし造花』の紅色も『烏梅』を使った「紅花染め」で
作られております。

『烏梅』を作る技術が絶えると修二会も出来なくなりますね。