気軽に茶道をしてます。

日々のお稽古とともに、できるだけ手作りのお菓子で
お茶を楽しんでいる様子や、四季折々の変化もお伝えします。

福引で引き当てた吉祥は「春」の軸に

2017-03-11 14:17:51 | しつらえ
あの日から6年、・・・・・・合掌。
避難されている方々がまだ12万人も、
いつになれば、平穏な日々が訪れるのでしょうか?
東日本大震災にて大変動した地殻、今後100年間は
修復過程で落ち着くまで地震や火山噴火が続き、
さらに東海・東南海・南海トラフ地震も想定されており、
日本列島どこでも天災と上手にお付き合いをせねばなりません。

奈良東大寺の修二会も本行11日目、今日含め残り五日に。
修二会(十一面悔過)は古代においては、天災、疫病や反乱は
国家の病気とされ、国家万民のために取り除く法会になります。
鎮護国家、天下泰平、風雨順時、五穀豊穣や万民快楽を意味し
このことから、人々の幸福を練行衆の方々が祈られております。

過日、薬師寺「吉祥天にちなむお香とお茶の会」へ伺ったおり
福引き抽選会にて吉祥を引き当て、軸荘をお願いしたところ、
村上太胤管主さんに箱書きもお願いして下さり、
軸荘なった吉祥が我が家にやってまいりました。
 
』に歌が
紀友則(小倉百人一首33番・「古今集」春下84)、
ひさかたの光のどけき春の日に
         しづ心なく花のちるらむ

寂しさも表した日本的な歌でになり、意味としては、
”暖かくなってきた春の日なのに桜の花だけは
 さっさと散っていってしまうのはなんでだろうか”

季節はまだ八候で『桃始笑』と少し早いですが・・・
嬉しくて、昨日のお稽古にそのまま掛けておりました。

咲きだした山茱萸と紅白の椿、有楽椿と初嵐椿で。
 
吊った雲龍釜が揺れ出し、少し準備が早かったのでしょう、
湧き過ぎで、早く来てくださいね。

福寿草の咲く大和文華苑

2017-03-10 11:16:08 | 季節の花々
大和文華館では「花の美術-季節の彩-」展が開かれており、

私が訪れた弥生二日、駐車場の塀越しに紅白の梅園が。
 (HP)
中門を入り右直ぐの呉服枝垂(くれはしだれ)の梅は満開。
 
ところが、エントランスの道沿いはなんだか寂しく
神代椿、寒椿が咲くのみで
神代椿
白木木蓮はまだ蕾、雪柳も一輪だけ、これからなんでしょう。

本館前には、本館のなまこ壁に映える無類絞りの梅
 
雨でしたので寂しい雰囲気、あたりをよく見渡すと
反対側の花壇に黄色がちらっと・・・『福寿草』です。
3/2 3/5(HP)
『膝もとに明るさ誘う福寿草』
           愚句
幸福と長寿を意味し、新春を祝う花として鉢植えにされるも、
本来は旧正月頃に咲きだすのですね。

でもこれからの主役の「三春の瀧桜」の蕾はまだ固く、
 
3月下旬には咲くことで、HPには3月28日(火)に
さくらの無料招待日としてアップされております。
 昨年3/31
昨年も大勢の方々がお見えでしたが、
今年も拝見させていただきたいものです。

大和文華館「花の美術-季節の彩-」へ

2017-03-09 12:20:10 | 大和文華館
先日、急な朝雨のなか大和文華館へ伺うと、
梅も盛りを過ぎて寂しいエントランスから館内へ入ると
 
2月24日から4月9日まで「花の美術-季節の彩-」展が
開かれており、嬉しいことに、学芸部係長の瀧朝子先生の
解説を聴きながら館内を巡ることが出来ました。

いつもの通り、左、中、右に三点
左側は「梅雀図六角筥」平福百穂筆 昭和時代
 松竹梅が描かれ、たらしこみも使われております
真中は「五彩花鳥文大鉢」景徳鎮窯 清前期
右側は「銅製銀象嵌柳水禽文浄瓶」高麗
 四面に四季が表され、柳に梅そして鴛鴦も
 背面
コンセプトは白居易の詩「寄殷協律」の一句
雪月花時最憶君』で言い表されており、
意味は「四季折々(雪月花の時)最も君を憶う」となります。
花や植物は、季節を感じさせる美しい景物の象徴であり、
季節の移ろいや吉祥の意味も込められた意匠を紹介します。
中国、朝鮮半島、日本の三部構成で76点(国宝1、重文1含む)
Ⅰ.中国-寒梅に春の訪れを思う(36点)
「清水裂」明
茶の湯で梅花に鳥の文様が紺地に表した錦を「清水裂」と称し
紺地で夜、銀箔の箔紙で月が描かれ、月の光に浮かぶ吉祥図
梅樹にカササギは早春の吉兆、蜂(官位の意味の封と音通)を
採る猿(高位 候)や鹿(俸給 禄)は立身出世を指し、
霊芝、竹、石、鹿、番の動物は不老不死や子孫繁栄を表す。
 
「放鶴亭図」蘇州版画 梅雪迎春図部分 明
と鶴を愛した宋の林和靖(りんなせい)を描く
「青磁雕花蓮華文瓶」耀州窯 北宋

「赤絵仙姑文壺」磁州窯系 元後期
女性は西王母?、蓮華や慈姑(くわい)等の文様が

「白地黒搔落牡丹文梅瓶」磁州窯、北宋
地は鉄分で黒いため上から白土を塗り搔き取り写実性の牡丹
「美人琴弾図」蘇州版画 清:金木犀が描かれています

Ⅱ.朝鮮半島 夏の蓮に見る清廉と繁栄
「銅製銀象嵌柳水禽文浄瓶」高麗
「鉄砂葱文壺」朝鮮:坊主が
「辰砂蓮華文八角瓶」京畿道広州群金沙里窯 朝鮮
八面に面取りされ、厚い辰砂で大輪の力強い蓮華

「芸苑合珍書画冊 貞」朝鮮後期
菊が描かれ、菊を愛した晋の陶淵明の詞書が
 
Ⅲ.日本-桜に祈る豊作、菊に願う長寿
「色絵松竹梅文大壺」有田(伊万里)江戸前期
吉祥の松竹梅、柴垣の後ろには梅と薔薇が描かれ
輪郭線も花などは繊細で細く、岩などは力強い太さで

「寝覚物語絵巻」国宝、平安後期
出家した母を探す物語ですが、欠落しており
第一段も初めも詞書がなく絵から始まっており、
の花の下で三人の童子が楽器を演奏しており
女がいる部屋の中をのぞく人が
第一段
第二段は中の君の息子が女二宮を垣間見ており、
松の枝に藤蔓が絡み藤の花が咲いております
第二段
「蒔絵南蛮人文印籠」江戸
「秀歌覚書」烏丸光広筆 江戸前期:紫陽花、鹿や笹
「黒味銅地銀象嵌藤花鹿文太刀金具」鎌倉 重文
春日社談義屋跡より出土し、藤原氏を表す、そして
特に鹿は高肉彫りも精緻です。

「金銅蓮華形馨」鎌倉前期 重文
馨(けい)は吊るして使う中国の打楽器
表裏とも同じ蓮華形の左右対称、蓮の実や花

「鎌倉彫牡丹大合子」室町時代:牡丹

「僧正遍昭落馬図」英一蝶筆 江戸中期
古今和歌集を絵画化されており、江戸の美意識で、
馬の力動感と女郎花の楚々として風情が巧みです

「蒔絵籬(まがき)菊文机」鎌倉時代 重文
中央の州浜等にと芒(すすき)が、平蒔絵や絵梨地・針描で
描かれ、次世代の高台寺蒔絵に過渡的な作例になります。

「辻が花裂」桃山時代
最後にこの作品で瀧朝子先生から宣伝です。
4月2日(日)14時から 講堂にて京都国立博物館 山川曉氏の
特別公演「桃山時代を飾る花-小袖裂の世界-」にて

聞き終わり、もう一回、館内を3巡しておりました。
先生の説明、難解なことを簡略に説明していただき
楽しかったのですが、知識不足で勉強しなくては・・・

連翹に包まれた奈良「AIDA」でランチを

2017-03-08 11:55:16 | グルメ
奈良も冬に逆戻り、最低気温は-1.4℃と寒い朝、
本当にお水取りが過ぎないと奈良には春は訪れませんね。
修二会も昨日で、内陣後堂に安置されていた小観音御厨子が
礼堂に出御された後、内陣正面に安置されました。
今日は本行8日目になり、本行後半の行事予定になります。

練行衆の方々も、今頃は食堂へおいでですので、
先日頂いたランチのお話を。
お稽古日だったのですが、昼までに切り上げ急なお客様を、
迎えました。義理のお姉さまご家族で、オシャマな六歳と
一歳の姉弟の孫も一緒に御出でなりました。
相方と姉弟の用事を済まされたのが、午後1時過ぎており、
小さな声で”お腹が空いた”という子供の声が聞こえます。
”もうこんな時間ですので、お昼を一緒に”とお誘いし・・
頭の中で座敷様なスペースもある子連れでも大丈夫なお店は
ならやま大通り沿いに佇む『AIDA(あいだ)』なら
平日でも12時頃は満席ですが、今の時間なら空きだすはずと、
車を走らせ駐車場に着くと、数台空があります。よかった。

樹木に囲まれたお店で、『AIDA』に初めて伺ったのは、
開業すぐの十数年前になり、二階にも席がありましたが、
今はどうなのでしょうか?。
繁盛されるとともに、一階を広げられ、座敷スペースや
様々なテーブルや椅子がお客様を迎えてくれます。
(オーナーのご主人は建築士さん、家具などの販売も) 
咲きだした「連翹」のアーチをくぐります。
『連翹の黄色噴水潜り抜け』愚句
 
石畳のエントランスを入口へと向かうと
 
足元にはクリスマスローズが咲いており、
硝子越しに、店内の様子が伺え、空席が、
待たなくても良いようで、ラッキー。
 
店内は、ご夫婦連れで8分の入り、
座敷スペースでは、幼児用のベッドや絵本も置いてあり、
赤ちゃん連れの若い奥様達も、人気なんですね。
私たちも座敷スペースに案内していただけました。
メニュー
「本日のランチ1200円」とキッズプレート600円を注文、
野菜たっぷりで栄養バランスの良いランチですね。
余り待たずに、サラダが運ばれてきました。

子供には、キッズプレートに。
美味しいものは最後だそうで、なんでしょう?

サラダを間食するとメインが運ばれました。
ご飯は男子は大きな茶碗で、女子は小さな茶碗に

デザートで、コーヒー、紅茶やジュースから選べます。

御馳走様でした。

引千切(ひちぎり)を

2017-03-07 16:52:30 | 主菓子とお干菓子
雛祭りの翌日の自宅稽古は高校生と子育てママさんで、
雛祭りに欠かせないお菓子は「ひちぎり」になりますね。
雛まつり宴の後のひちぎりや
          浅野節子
名が示す通りよもぎ餅の真ん中を窪ませ、
端はひっぱってちぎりとった形で、小豆餡をのせたもの。
雛祭りの菓子として配色美しくつくったり、金団をのせた
ものもあるそうで、「ひっちぎり」ともいう。
           (茶道大辞典より)
一昨年教えて頂いた京都「老松」風を前日に作ってみました。
ヨモギは若菜摘みに行ければよかったのですが・・・
昨年の冷凍保存分にて
こなし生地は、こなし用あん、ふるった薄力粉、上用粉を
手でよくもみあわせますが、混ぜすぎてはいけません。

こなし生地を30分蒸しあげ、よくこなし、そして
上白糖を入れさらによくこなします。(一晩置く方が良い)

きんとん餡は生あんに白ザラメ、水を加えやわらかく炊く
炊きあがる寸前に食紅を入れ、通しに通します。

30gの生地をとり、成形します。
俵形を作り手前を薄くのばし
太い方をつまんで、たてて引っ張り引き千切ります
きんとん箸できんとん餡をのせ丸を作り、完成に。
  
出来栄えは・・・

『引千切』の由来は、
平安時代、宮中の子供生育を祝う儀式などで用いられた
「戴餅(いただきもち)」、「小戴」だそうで、
「戴餅」は丸めた餅の真ん中を窪ませ、餡をのせたものを
子供の頭に三度触れさせるという儀式になり、
紫式部日記の中にもその記述が見受けられるのだそうです。
また一節には餅菓子の用意に手が足りず、餅を丸めている
暇がなかったことから、餅をちぎって窪みを作り、
そこにあんこを乗せたのが原型になったとも。
又あこや貝に似ていることから「あこや餅」と呼ばれます。

茶道資料館「描かれた茶の湯」展へ

2017-03-06 08:15:30 | 美術館・博物館
今にも雨が降りだしそうな暖かな朝を迎えました。
朝から月一回の大先生のお稽古日になり、
家に帰りつくまで雨が降りませぬように願っております。
なお雨の後、また寒気が来て冬型の気象配置だそうで、
寒暖の差にお気をつけて下さい。
今朝の奈良の最低気温は6.6℃、修二会の練行衆の方々も
楽なのでしょうか?、いえ終わるまでは・・・
昨晩は「実忠忌」「過去帳」「走り」の行事が加わり、
実忠忌」は752年に修二会を始められた実忠和尚の命日。
過去帳」は、五日と十二日の初夜に奉読されており、
 千二百年途切れることなく続けてこれたのは、聖武天皇以下
 歴代の功労者の名前を読み上げ、菩提を弔らわれており、
 一つの逸話がつたえられております。
 鎌倉時代初期、練行衆の集慶さんが過去帳を読まれていると
「なぜわが名を読み落としたるや」と一人の女性が目前に現れ
 着衣の色からとっさに「青衣女人」と読み上げられたそうで
 実際に、源頼朝から18人目に「青衣女人」と書かれ、
 当役の練行衆も心得たもので、低い声でゆっくりと
 読み上げられており、温かみを感じさせるひとコマに。
走り」は五,六,七,十二,十三,十四日、半夜の時の後に行われ
 これは実忠和尚が霊感を得て兜率天の菩薩たちの修業を
 まのあたりにされ、地上界にも遷そうとされたが、
”此の所の一昼夜は、人間の四百歳にあたる。然ば行法の軌則、
 巍々として千返の行道懈らず。人中の短促の所にては更に
 修めがたし。また、生身の観音をばましまさずば、
 いかでか人間すべからく摸すべきと云う。 和尚重て申く。
 勤行の作法をば急にし、千返の行道をば、走りて数を満つべし。
 誠を致て勧請せば、生身何ぞ成給はざらんとて、
 是を伝えて帰りぬ。”(東大寺Hpより)
つまり
”天上界の一日は人間界の四百年にあたるので無理と”
「それでは走ってでも勤めます」”と答えられたことにより、
連行衆たちは袈裟や衣をたくし上げ、内陣を走り回り、
最後に五体投地をされ、自分の席に戻られます。
その後に堂司から一滴の香水を頂かれるのですが、
昼食以後、一口も飲食をされておられませんから、
まさに「甘露」になるそうです。
走り五体投地

先日「茶の湯の書」講座の後、お友達になった方を含め
三人で茶道資料館「描かれた茶の湯」展へ伺っております。

男性主体に行われてきた茶道が、明治時代になると女性にも
身に付けるべき礼法の一つとして、描かれており、
勉強になることが多く、女三人、小声で話していたのですが、
姦しかったそうで・・・スミマセン
「女礼式之図」1887年 安達吟光
「女礼式茶の湯」1901年 揚州周延

「春秋遊楽図屏風」江戸時代前期、作者不詳
室町時代以前お茶は、客をもてなす部屋とは別の場所で点てられ
運びだされる様子が描かれており、花見の茶会なのでしょう。
「春秋遊楽図屏風」右隻部分
「春秋遊楽図屏風」左隻
石臼で引かれるお茶、席入りからの様子や
ウグイス?と?、鳥かごも面白いですね。
春秋遊楽図屏風・左隻部分

「茶の湯絵巻」橘尚利 江戸時代後期
侍三人が茶事に招かれた様子が描かれおり、濃茶席。
茶の湯絵巻

「四条河原遊楽図巻」江戸中期 
下町の茶店で茶を振る舞う様子が
四条河原遊楽図巻

「賀茂競馬図巻」江戸時代前期~中期
荷い茶屋の行商人がお茶を振る舞う様子
賀茂競馬図巻

併設展「春のくらしと茶道具」も前期より展示品が増え、
桜を愛でる茶道具と酉(鳥)も集められております。
画賛「花下半日客」裏千家14代無限斎筆 
酒盃 五種 12代永楽善五郎(和全)
桃香合 9代楽吉衛門(了入)
桃花絵茶碗 9代大樋長左衛門
夜桜棗 千家2代小庵好、7代中村宗哲
画賛「奈良朝の」伊藤深水画、吉川栄治賛  
鷺香合 真葛長造            等が

割引も効きて500円で呈茶や偶然にも解説も聴くことが出来
もう少し時間を作り、忘れないで伺わなければなりませんね。

弥生月は釣り釜にて

2017-03-05 15:05:50 | お稽古
穏やかな暖かい朝を迎え、若草山はぼんやりと春霞?
庭に出ると途端に・・クスン・・マスクを忘れています。
昨日今日と花粉がたくさん飛び出しているのでしょうか。

昨日、昼からの自宅稽古にお二人の予定で、
二月末に、五徳を取り払い、五徳を干しており、
 
鎖を懸け、雲龍釜を吊して調整すれば、
釣り釜のお稽古が、今年もできます。
床のしつらえもしなくてはね。
 
庭に出ると早咲き水仙も終わり、さんしゅゆも少し早く、
使えるのは侘助椿、有楽椿、と思いきや殆どの花に瑕が
メジロと鵯の吸蜜での仕業です。使える椿はほんの少し
花器は使っていない竹の酒器で活けてみました。
  
軸は、『桃花笑春風
 
釣釜の揺れみとどけし雛笑う
                愚句
稽古中、一つだけ名前がすぐ出てこない雲龍釜の摘みの名前は
?????「搔立鐶(かきたてかん)」でしたね。
茶道大辞典によると、上張鐶(じょうばりかん)に記載され、
”鐶の一種。常張鐶とも書き、搔立鐶ともいう。
 油皿の灯心を押え、また搔きたてる道具の形をしており、
 その摘みの部分を鐶付の穴に通すので、鐶付の穴が左右に
 向って開いている釜(上張釜、唐犬釜、九輪釜など)に使用
 円形・四方形のものがある。”と
ボケ防止に、書くことできっと忘れない?!はず。

お茶事は一汁二菜

2017-03-04 19:22:50 | お稽古
昨日は「茶の湯の書」講座を受けに京都へ。
伺うたびに、気付かされることがあります。
最後の講座は、茶の湯の書にかかわらず、
お茶に関する事で疑問に思ってる事をそれぞれ持ちより
先生が答えてくださる「Q.&.A」でした。
色々な質問があり、あっという間の講座だったのですが、
その中に「将来、家で茶事をしたいと思いますが、
料理の段取りなどの実習ができず、無理なように思いますし、
前日の魚など心配もありますが?」と言う質問があり、
それに先生は明解に答えてくださり
私自身が茶事を行うにあたり重荷になっている事が
ちょっと解決できたように思います。
それは、茶懐石では、原則的に生臭を使わないと言う事、
前日に準備できるものを用意し、
当日は温め、盛り付けるだけにする。
向付に昆布締めを多く使う理由も解りました。
先生、曰く、”お茶がメインですので、仕立ては
「一汁一菜」が基本なのです。それでは少し寂しいですから、
煮物椀を付けての「一汁二菜」で良いのです”とのこと。
私は今まで、始めに教えて頂いた先生の教え通り、
「おもてなし」として御馳走をお出ししなければという思いで、
献立を考え、準備などの手配や当日お出しするタイミング等々
お茶がメインなのに、懐石が終わったら
大半が終わったような気になってしまっていたのでは・・・
反省です。
お茶事は一服の御茶をいかに美味しくいただいて
いただくかを考えなくては、又お客様も
懐石が長いとそれで疲れてしまいますよ。
と先生に言われ「なるほど、なるほど」
重ねて反省です。

最近読んだ雑誌に一際目を引いた記載が二つありました。
「淡交」3月号、特集は「楽歴代の作陶」3月から東京での
開催に合わせ特集を組まれているのでしょうが、
京都で伺っており、それはそれで興味深く拝読しましたが、
この特集ではありません。

一つは仕立てについてで、
筒井紘一文庫長の連載「茶の湯と仏教」15回目
『興福寺四聖坊と奈良僧徒』で「松風雑話」のなかで、
侘茶が深化した時期の心得を描いており、
奈良風の「ぬるき茶の湯」が、一期一会の新しい時代の茶の湯に
通じなかったくだりが奈良に住む人間として、現代の奈良の
気風に通じることが、歯がゆくもあるのですが・・・、
茶会の様子が記載されており、一部を垣間見てみますと、
1571年、円明院と松屋久松が興福寺・成身院宗慶に招かれたおり
『松屋会記』によると
  十一月六日、・・・略・・・
  コホウ 
  セリ 汁ヒラ竹
 タヲフ 飯 中段イモマキ 後段ユツケ
一汁二菜、湯漬で茶会は終了しています。

二日後の返礼には、「二汁一菜」と四種の菓子
 後段で、小豆餅とヒラタケの吸い物

侘び茶が成立した時期、質素な仕立てだったんですね。
「目から鱗」とはよくいったもので、お話をお聞きして、
もう少し気楽にお茶事が出来るのではないでしょうか。

  
二つ目は、「今日庵稽古始め」のなかに、
 ”薄茶席の主茶碗に『諫鼓(かんこ)』と銘を・・”
読み進めると
 ”「諫鼓苔深うして鶏驚かず」と
 世の中が平安で あれば鼓は叩かれずに苔生し、
 鶏も悠々とどまっている。”
ここまでは私も調べており、初釜に諫鼓香合をしつらえ
私はここ止まり、勉強しなくては。
 ”その光景から初削茶杓の銘を『苔好古』、
 「古き苔を好む」と読みますが、酉年だけは
 『コケコッコ』と読んでください”と
座を和ませる発想の豊かさに頭が下がります。

不穏な世界情勢、『諫鼓』であってほしいものです。

「十一面悔過」と、「祈りの美」

2017-03-03 15:55:16 | 日記
朝六時まだ薄暗い中、有楽椿に鵯とメジロが交互に訪れており、
今朝の最低気温は4.6℃と暖かい朝になりました。

修二会・本行も3日目に入っております。
『十一面悔過』とは日常犯している過ちを二月堂の本尊
十一面観世音菩薩のまえで懺悔することを意味しており、
鎮護国家、天下泰安、風雨順時、五穀豊穣、万民快楽
つまり人々の幸福を願われており、
六時に唱えられる経文の基本内容は以下になります。
1) 三礼文(さんらいもん):
    仏・法・僧への帰依を表す華厳経・浄行品の一節
2) 供養文(くようもん):観仏三昧経巻十が原典
3) 如来唄(にょらいばい):
    四箇法要の一つで、梵唄で勝鬘経からの引用で省略も
4) 散華(さんげ):「光明子熾盛照十方」などの四句を唱える
    梵唄で中段と法華経化城喩品の後段からで、節は独特に
5) 呪願(しゅがん):経ではなく平安以降に法会の趣旨を挿入
6) 称名侮過(しょうみょうけか):重要
    玄奘三蔵訳「十一面神呪心経」からの抜粋で、
    観音様を称え、慈悲を願われます
7) 宝合(ほうごう):重要、初段は名号の「南無観自在菩薩」
    二段「南無観自在」、三段「南無観」と節を替え唱える
8) 観音要文(かんのんようもん)
9) 五仏御名(ごぶつごみょう)
10)大懺過(だいさんげ):初夜と後夜のみ
11)小懺過(しょうさんげ):初夜と後夜のみ
12)破偈(はげ)
13)後行道(ごぎょうどう)
14)廻向文(えこうもん):廻向とは結果をふりむけること
    練行衆の苦行の功徳を三宝、神々や人々に振り向けられ
    六時それぞれで24か所、14日で2016回にも
省略化されているとはいえ、難行苦行の限りですね。

先日訪れた奈良県立美術館『祈りの美』展から、
清水公照さん「祈りの心」は紹介済みでしたので、
 
杉本健吉さん「祈りの形」、平山郁夫さん「祈りの美」を。
Ⅱ.杉本健吉、「奈良は道場だった」と魅せられた洋画家
自画像1993年
興福寺の「仏頭」も、抑えた色調で重厚な量感が
仏頭
奈良の風景で「登大路」、コンテの墨色での陰影が
二月堂が小さく描かれています。
登大路、夏
「二月堂お水取り」墨、1945年
松明を手に駆け上がるスピード感が
二月堂お水取り
「東大寺二月堂修二会(お水取り)、お香水」墨、
咒師が練行衆とともに階段を下りて若狭井へ向う様子が
厳かな感じが潤いのある墨で塗り重なれています。
東大寺二月堂修二会(お水取り)

Ⅲ.平山郁夫「祈りの美」平和への願いを感じれる展示に
1)仏教、
「天山南路(昼)」1960年、広島県立美術館
求法を終え、疲労と安堵の僧たちが黙々と帰路につく
天山南路(昼)

2)シルクロード、悠久の歴史を

3)奈良を通じて平和への願いが
「神の山 三輪山の月」1999 大神神社
神々が宿るお山、満月が輝き、静かに波打つ水面
神の山 三輪山の月
「大仏殿の夜」1974年 佐久市立近代美術館
静寂感のある夜の闇の中に、堂内の灯りと星屑が石畳に
反映し、時を経ても変わらぬ歴史の重みを暗示している
大仏殿の夜

二月堂もお松明の後も行をされており、午後8時ごろには
静かな暗闇の中から二月堂から眺める奈良市内そして
堂内では灯りに浮かび上がる練行衆を拝見しながら
ふりむけられた功徳を感じ、平和への祈りを。

興福寺仮講堂で「阿修羅」、東金堂で「仏頭」が見られます

2017-03-02 17:19:16 | 日記
昨日の夜、最初のお松明が二月堂に上りましたね。
TVで観させていただくと、小雨の中大勢の方々がお見え、
毎日一本通常は約40Kg、12日のお水取りだけは大松明で、
約70Kgもあるのが上ります。
火の粉を浴びると無病息災になりますとのことですよ。


昨日は「興福寺の放生会を知る」講座を聴きに奈良へ。
(このお話は後日に)
少し早く着いたので、興福寺まで足を延ばしますと、
国宝館が、耐震工事のため閉館中で、
こんな立て看板が掲げられておりました。
 
講師は、興福寺 執事:辻 明俊さん
さわりの話だけで大いに盛り上がり、紹介します。
中国から帰られたばかりで、日に焼けた顔なのに
マスク姿で登場されました。マスクを外され、
暖かくなったので花粉症がでてきましたと言いながら
暖かくなったと言えばと修二会の話に。
2016年練行衆、中灯の筒井英賢師曰く、
走りの行で汗が吹き出し、着られている紙子が数日でだめに
なり交換されたそうで、こんなことはなかったそうです。
寒さに供え、保温性を保つため紙子は通気性はないので
なおさらです。次にこんな問いが
”興福寺の放生会のような行事も、毎月のようなあります。
でも何人のお坊さんがいると思いますか?”
なんと、たった10人だそうで、
辻師は7番目、下には3人しかおりません。
 2016.4.17 
現在再建中の中金堂、7回焼失し、8回目の再建になり、
現在再建率は95%まで進んでおり2018年に覆いが外れ、
2023年には第一次復原完了予定に、
その後も伽藍の完成?も予定されているのだそうです。
正岡子規が詠った
秋風や 囲いもなしに 興福寺
20年後には興福寺に塀ができるのではないでしょうか?
さらに興福寺の宣伝が
世界一の動員数165万人を記録した展覧会『阿修羅』展
阿修羅さまが、中金堂の北側の仮講堂で見られるそうで、
2016.4.17
3/15~6/18、9/15~11/19『天平乾漆群像展』です。
またHNK総合で3/23?PM10時から放映予定ということで、
その後が、何時間待ちになるかもしれません。というのも
宗教的な場所、お堂での拝観になり、多くの方が来られても
立ち止まってはだめですとは言えませんからとのこと。

さらに東金堂では『仏頭』、白鳳時代旧飛鳥山田寺講堂本尊で、
興福寺では1187年に「銅像仏頭」東金堂本尊薬師如来とされたが、
1411年に被災し頭部だけになり、1415年再興された現東金堂本尊
台座に納められたが、忘れ去られ1937年に発見されております。
このことから、東金堂では80年ぶりの還座になり、
日光・月光菩薩様とは600年ぶりの再会になります。
なお1/7~12月までで、室町時代にタイムスリップ!。