近頃、芥川龍之介に凝りだして、彼の小説ばかりを読んでいます。そのなかでちょっと気になる言葉。芥川晩年の作『闇中問答』より。
或声「お前の書いたものは独創的だ。」
僕 「いや、決して独創的ではない。第一誰が独創的だったのだ?古今の天才たちが書いたものでもプロトタイプは至る所にある。就中(なかんづく)僕は度たび盗んだ。」
ここで登場する「僕」とは、芥川自身のことであると思います。「或声」は客観的に見た自分自身の言葉でしょう。「僕」は、天才と言われている人たちでさえ、何かしらの模倣を行っていると主張します。これはとても面白いことです。
これは美術においても当てはまるでしょう。誰しもが、何らかの影響を強く受けて、創作活動に打ち込みます。あのピカソでさえ、まずは模倣から入っていったのですから。創造的な仕事、というとさぞその人間が特別と思われがちですが、確かにプロトタイプの存在は認めなければならないでしょう。
これから春、4月になれば、新しい一歩を踏み出す人も少なくないはず。何か創造的なことをしたくなったら、まずは模倣から入ると良いのかもしれませんね。
或声「お前の書いたものは独創的だ。」
僕 「いや、決して独創的ではない。第一誰が独創的だったのだ?古今の天才たちが書いたものでもプロトタイプは至る所にある。就中(なかんづく)僕は度たび盗んだ。」
ここで登場する「僕」とは、芥川自身のことであると思います。「或声」は客観的に見た自分自身の言葉でしょう。「僕」は、天才と言われている人たちでさえ、何かしらの模倣を行っていると主張します。これはとても面白いことです。
これは美術においても当てはまるでしょう。誰しもが、何らかの影響を強く受けて、創作活動に打ち込みます。あのピカソでさえ、まずは模倣から入っていったのですから。創造的な仕事、というとさぞその人間が特別と思われがちですが、確かにプロトタイプの存在は認めなければならないでしょう。
これから春、4月になれば、新しい一歩を踏み出す人も少なくないはず。何か創造的なことをしたくなったら、まずは模倣から入ると良いのかもしれませんね。