光文社古典新訳文庫の『肉体の悪魔』を読んだ。作者はレーモン・ラディゲ(1903~1923)。フランスの小説家である。
官能的なタイトル。主人公は15歳の「僕」(12歳の「僕」から物語は始まる)は、父を介して、マルテに出会う。彼女は19歳で、すでに婚約の身であった。「僕」はそんなマルテに恋し、またマルテも「僕」を愛し始めるようになる。危険な道へ踏み込んだ二人。やがてマルテは妊娠するが、そのことで「僕」は複雑な心持となり、一方のマルテは…。
二人の年齢は、子供から大人へと変容する時期である。特に「僕」は、ところどころにあどけなさを残しながら、一方では大人のような思考や振る舞いをする。それが交互に現れるから、読み手は「僕」が一体何歳なのか錯綜する。複雑な心理を描写した、いわゆる天才ラディゲの巧妙さのひとつだろう。
また、ラストシーンの不倫の果てに「いつかは世の中の秩序が自然に回復していくことを悟った」との言葉が印象的である。それが当時18歳であったラディゲの思考から生まれたことに驚かざる得ない。私が18歳のときを思い起こすと、なおさらである。彗星の如く登場し、生涯二作品(もう一作は『ドルジェル伯の舞踏会』)のみで去ったラディゲに私は多少興味が沸いてきた。
官能的なタイトル。主人公は15歳の「僕」(12歳の「僕」から物語は始まる)は、父を介して、マルテに出会う。彼女は19歳で、すでに婚約の身であった。「僕」はそんなマルテに恋し、またマルテも「僕」を愛し始めるようになる。危険な道へ踏み込んだ二人。やがてマルテは妊娠するが、そのことで「僕」は複雑な心持となり、一方のマルテは…。
二人の年齢は、子供から大人へと変容する時期である。特に「僕」は、ところどころにあどけなさを残しながら、一方では大人のような思考や振る舞いをする。それが交互に現れるから、読み手は「僕」が一体何歳なのか錯綜する。複雑な心理を描写した、いわゆる天才ラディゲの巧妙さのひとつだろう。
また、ラストシーンの不倫の果てに「いつかは世の中の秩序が自然に回復していくことを悟った」との言葉が印象的である。それが当時18歳であったラディゲの思考から生まれたことに驚かざる得ない。私が18歳のときを思い起こすと、なおさらである。彗星の如く登場し、生涯二作品(もう一作は『ドルジェル伯の舞踏会』)のみで去ったラディゲに私は多少興味が沸いてきた。