朝から素晴らしい陽気です。川辺を散歩したら、さぞ愉快なことでしょう。そんな陽気に包まれながら、私は今、机に向かっています。
さて、今日は柳宗悦『雑器の美』の内容について紹介すると共に、私の感じたことを書いてみることにしました。
柳の言う「雑器」とは「一般の民衆が用いる雑具の謂(いい)」のことで、「一般の民衆」を現在の我々、というと語弊がありますので、この本が書かれた大正、昭和初期頃の人々が用いていたと解して、具体的には日常使用する「皿、あるいは盆、あるいは箪笥」など、素朴ではありますが、人々の生活に溶け込み、共に生き、暮らしてゆくもののことです。柳はそれら職人の手仕事から生まれた雑器にこそ、素朴な美が宿ると考えたのです。
ただ、私は、それだけではなく、日本人がどのように生きるべきなのかを柳が主張しているようにも感じました。勿論、柳は直接そうした主張をしているわけではありません。あくまで私の見方です。人間はもっと素朴で、正直に生きるべきではないかと。例えば文章中に「雑器」や「器」などの言葉がたびたび出てきますが、それを「人間」と置き換えても、あまり違和感なく読めてしまうのです。「華美ではならない。強く正しき質を有たねばならない。」雑器について述べている箇所でありながら、人間の心得のようにも読めないでしょうか。
この平成という世に生きる私たち。常にどう生きるべきかをもがく私。私は柳が『雑器の美』に民藝を通して、日本人に重大なメッセージを送っているような気がしてならないのです。