叡山ロープウェイの比叡山頂駅からケーブルカーで降下すると、八瀬叡山口駅近くにいたる。叡山電車に乗り継ぎ、宝ヶ池駅で鞍馬線に乗り換えれば、鞍馬駅まで一直線だ。
鞍馬駅を出ると、どでかい天狗の面がこちらをにらみつけているのが目にはいった。
たちならぶ土産物屋の先にケーブルカーもあるが、わずか200メートルほど運行するだけなので、これも横目に見てすぎ先をいそぐこととする。エネルギーを節約しないであるけば、武芸上達のご利益がある鬼一法眼神社や由岐神社に詣でることができるからだ。由岐神社では、例年10月22日に名高い火祭が行われる。

しかし、由岐神社から先が長かった。
砂利道をしのぎ、無限につづくと思われる石段を昇り・・・・。
ここでも中学生の修学旅行の一団に出くわした。私の目先をあるく生徒たちは、軽快な足取りで昇っていく。
20台後半らしい、日に焼けて精かんな顔つきの教諭が後衛についていたが、途中で立ち止まって上着をぬぐと、サッサと先を急いで生徒たちを追い越し、たちまち姿が見えなくなった。
かわって見えてきたのは、添乗員のお姉さんの後ろ姿である。形のよい脚が一段ずつ昇っていく。ところが、だんだん足取りが乱れてきて、引率する中学生より遅れがちになる。
鍛え方が足りない。ツアーコンダクターは、一に体力、二に体力、三、四がなくて、五が饒舌ということを知らないのだろうか。・・・・知らないだろうね。私が考えついた格言である。
由岐神社から水平距離で1キロメートル、高度差で100メートル、中学生の一団の背後について休みなく昇っていき、ようやく石段がとぎれると、そこが鞍馬寺であった。
火鉢に煙草の吸い殻がさしてある休憩所で一服していると、スコッチ・テリヤを引き連れたマダムが入ってきた。先客の、やはり一服している眼鏡氏にテリヤを引き渡す。ちょっと写真を撮ってきますからね・・・・。
写真をとらないと、不在証明ならぬ旅したことにならないと思う風潮はなげかわしい。しっかりと自分の眼でみて、脳裡に焼きつければよいのだ。
しかし、記憶は薄れるものだ。スペインのマラガを再訪した沢木耕太郎も嘆いていた。
それでも、と思う。記憶に残るもの、残らないもの一切をふくめて、それが旅というものだ。人生というものがそうだ、と言ってもよいかもしれない。
鞍馬寺の裏手からさらに2キロメートル、昇降をくりかえすと奥の院魔王殿に到着する。
道中に奇怪な木の根道にたびたび出 くわす。このあたりの砂岩ホルンフェルズはマグマ貫入の熱で灼かれてできたもので、風化しにくい。土壌の層は薄い。ために、木の根が地表を這うのである。
奇怪なのは自然界だけではない。人の世もしかり。
魔王殿までのルート上に義経堂がある。義経は奥州衣川館で自刃したのだが、その霊が鞍馬山を漂っているのだ。義経堂は、無念の思いにかられてさまよう義経の霊をなだめる祠である。目には見えないが、天狗がこのあたりを跳梁しているはずだ。


魔王殿から急勾配の道を降りて先へすすむと、貴船神社が待ち受けている。さらに突き進めば叡電貴船口駅に達する。この間、水平距離でおよそ10キロメートル弱。歩いて歩けない距離ではない。しかし、この日は早朝から比叡山を歩いている。万歩計の数値はすでに2万歩を越えている。
私たちは目を見交わし、無言で相談した。
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鞍馬駅を出ると、どでかい天狗の面がこちらをにらみつけているのが目にはいった。
たちならぶ土産物屋の先にケーブルカーもあるが、わずか200メートルほど運行するだけなので、これも横目に見てすぎ先をいそぐこととする。エネルギーを節約しないであるけば、武芸上達のご利益がある鬼一法眼神社や由岐神社に詣でることができるからだ。由岐神社では、例年10月22日に名高い火祭が行われる。

しかし、由岐神社から先が長かった。
砂利道をしのぎ、無限につづくと思われる石段を昇り・・・・。
ここでも中学生の修学旅行の一団に出くわした。私の目先をあるく生徒たちは、軽快な足取りで昇っていく。
20台後半らしい、日に焼けて精かんな顔つきの教諭が後衛についていたが、途中で立ち止まって上着をぬぐと、サッサと先を急いで生徒たちを追い越し、たちまち姿が見えなくなった。
かわって見えてきたのは、添乗員のお姉さんの後ろ姿である。形のよい脚が一段ずつ昇っていく。ところが、だんだん足取りが乱れてきて、引率する中学生より遅れがちになる。
鍛え方が足りない。ツアーコンダクターは、一に体力、二に体力、三、四がなくて、五が饒舌ということを知らないのだろうか。・・・・知らないだろうね。私が考えついた格言である。
由岐神社から水平距離で1キロメートル、高度差で100メートル、中学生の一団の背後について休みなく昇っていき、ようやく石段がとぎれると、そこが鞍馬寺であった。
火鉢に煙草の吸い殻がさしてある休憩所で一服していると、スコッチ・テリヤを引き連れたマダムが入ってきた。先客の、やはり一服している眼鏡氏にテリヤを引き渡す。ちょっと写真を撮ってきますからね・・・・。
写真をとらないと、不在証明ならぬ旅したことにならないと思う風潮はなげかわしい。しっかりと自分の眼でみて、脳裡に焼きつければよいのだ。
しかし、記憶は薄れるものだ。スペインのマラガを再訪した沢木耕太郎も嘆いていた。
それでも、と思う。記憶に残るもの、残らないもの一切をふくめて、それが旅というものだ。人生というものがそうだ、と言ってもよいかもしれない。
鞍馬寺の裏手からさらに2キロメートル、昇降をくりかえすと奥の院魔王殿に到着する。
道中に奇怪な木の根道にたびたび出 くわす。このあたりの砂岩ホルンフェルズはマグマ貫入の熱で灼かれてできたもので、風化しにくい。土壌の層は薄い。ために、木の根が地表を這うのである。
奇怪なのは自然界だけではない。人の世もしかり。
魔王殿までのルート上に義経堂がある。義経は奥州衣川館で自刃したのだが、その霊が鞍馬山を漂っているのだ。義経堂は、無念の思いにかられてさまよう義経の霊をなだめる祠である。目には見えないが、天狗がこのあたりを跳梁しているはずだ。


魔王殿から急勾配の道を降りて先へすすむと、貴船神社が待ち受けている。さらに突き進めば叡電貴船口駅に達する。この間、水平距離でおよそ10キロメートル弱。歩いて歩けない距離ではない。しかし、この日は早朝から比叡山を歩いている。万歩計の数値はすでに2万歩を越えている。
私たちは目を見交わし、無言で相談した。
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