『つぶやき進化論 「140字」がGoogleを超える!』評が bk1の「 今週のオススメ書評」に採用された。
献本していただいたうえに、さらに3,000ポイントも頂戴しては申し訳ない・・・・とは思わない。
二度あることは三度ある、と期待したい。そのほうが楽しい。セ・ラ・ヴィ。
この機会に、拙稿でふれなかった本書6章(「自分以外のもの」になれない時代)について考えてみたい。
「ジェネレーションX以上の世代なら、ほとんどの人がさまざまな顔をみせながら世の中を生き抜いてきただろう。どんな場にいるか、誰といっしょにいるかによって、いろんな役割や性格を演じてきた。多くの人は最低でも2つの顔があった。仕事用の自分とプライベートの自分。さらに、地域社会の一員、家族、コーチ、ボランティアなど、さまざまな役割を演じている人も多かった」
たとえば、職場の同僚には「几帳面な会計士のアル」しか見えないが、ボウリング仲間からみれば「酔っぱらいのアル」でしかない。
パソコン通信やインターネットで、「架空の人間」になる人がいた。
しかし、本書によれば、今や「たくさんの顔を使い分ける必要のない新しい時代」である。いや、むしろ、たくさんの顔を使い分けることができない時代である、というほうが正確なのだ。
他人になりすまして「サイバーいじめ」「オンラインハラスメント」を繰り返した結果うつ病患者を自殺に追いこんだローリ某は、禁固3年かつ罰金30万ドルの実刑を受けた。
情報が筒抜けだから、不穏な発言はたちまち世間の知るところとなるのだ。壁に耳あり障子に目あり。
かくて、個人も企業もありのままの「自分」でいなければならないし、ありのままの「自分」以外を偽装することはできない。そのほうがよい、と本書は肯定的に語る。評者も風通しのよさには基本的には同意するが、他方、どうも古きよき開拓時代の清教徒的窮屈さを感じて仕方ないのも事実である。
本書は、Facebook のプロフィールページに人種差別的な発言を公開した結果、テキサス大学アメリカンフットボールチームを除名されたオフェンシヴラインマンチームの例をあげる。人種差別的発言そのものは妥当ではないが、一個の発言をもとに実生活上の組織的排除をおこなうことが妥当であるかどうかは別に検討されなくてはなるまい。
米国にはマッカーシー旋風の歴史もある。ソーシャルメディアの技術と、人々が、地域が、国民が技術をどう活用するかは独立して考える必要があるだろう。
※詳しくは、
書評:『つぶやき進化論 「140字」がGoogleを超える!』
【読書余滴】『つぶやき進化論 「140字」がGoogleを超える!』 のさわり
【参考】□エリック クォルマン(竹村詠美/原田卓・訳)『つぶやき進化論 「140字」がGoogleを超える!』 (イースト・プレス、2010)
↓クリック、プリーズ。↓

献本していただいたうえに、さらに3,000ポイントも頂戴しては申し訳ない・・・・とは思わない。
二度あることは三度ある、と期待したい。そのほうが楽しい。セ・ラ・ヴィ。
この機会に、拙稿でふれなかった本書6章(「自分以外のもの」になれない時代)について考えてみたい。
「ジェネレーションX以上の世代なら、ほとんどの人がさまざまな顔をみせながら世の中を生き抜いてきただろう。どんな場にいるか、誰といっしょにいるかによって、いろんな役割や性格を演じてきた。多くの人は最低でも2つの顔があった。仕事用の自分とプライベートの自分。さらに、地域社会の一員、家族、コーチ、ボランティアなど、さまざまな役割を演じている人も多かった」
たとえば、職場の同僚には「几帳面な会計士のアル」しか見えないが、ボウリング仲間からみれば「酔っぱらいのアル」でしかない。
パソコン通信やインターネットで、「架空の人間」になる人がいた。
しかし、本書によれば、今や「たくさんの顔を使い分ける必要のない新しい時代」である。いや、むしろ、たくさんの顔を使い分けることができない時代である、というほうが正確なのだ。
他人になりすまして「サイバーいじめ」「オンラインハラスメント」を繰り返した結果うつ病患者を自殺に追いこんだローリ某は、禁固3年かつ罰金30万ドルの実刑を受けた。
情報が筒抜けだから、不穏な発言はたちまち世間の知るところとなるのだ。壁に耳あり障子に目あり。
かくて、個人も企業もありのままの「自分」でいなければならないし、ありのままの「自分」以外を偽装することはできない。そのほうがよい、と本書は肯定的に語る。評者も風通しのよさには基本的には同意するが、他方、どうも古きよき開拓時代の清教徒的窮屈さを感じて仕方ないのも事実である。
本書は、Facebook のプロフィールページに人種差別的な発言を公開した結果、テキサス大学アメリカンフットボールチームを除名されたオフェンシヴラインマンチームの例をあげる。人種差別的発言そのものは妥当ではないが、一個の発言をもとに実生活上の組織的排除をおこなうことが妥当であるかどうかは別に検討されなくてはなるまい。
米国にはマッカーシー旋風の歴史もある。ソーシャルメディアの技術と、人々が、地域が、国民が技術をどう活用するかは独立して考える必要があるだろう。
※詳しくは、
書評:『つぶやき進化論 「140字」がGoogleを超える!』
【読書余滴】『つぶやき進化論 「140字」がGoogleを超える!』 のさわり
【参考】□エリック クォルマン(竹村詠美/原田卓・訳)『つぶやき進化論 「140字」がGoogleを超える!』 (イースト・プレス、2010)
↓クリック、プリーズ。↓


