語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【読書余滴】野口悠紀雄の、日本企業は経済危機を克服できたのか? ~『「超」整理日記No.525』~

2010年08月28日 | ●野口悠紀雄
 東京証券取引所の一部上場企業522者の2010年4~6月期決算で、経常利益が前年同期比約4.3倍になった。
 しかし、これをもって国内企業の復調が鮮明になった、とすることはできない。
 利益の前年同期比が高かったのは、2009年4~6月期の水準が非常に低かったからである。この期には、製造業はほとんどが赤字だった。電機は5,000億円、自動車は1,664億円の赤字だった。日本経済は文字どおり「奈落の底」に落ちこんでいたのである。
 だから、この時点と比較した伸び率は、きわめて高い値になる。そのため「順調に成長している」という錯覚に陥るのだ。

 今年は、これが黒字に転換した。しかし、黒字といっても、電機で6,494億円、自動車で7,260億円である。経済危機前、トヨタ自動車1社で年間2兆円を超える利益があったことを思うと隔世の感がある。
 前述の上場企業利益でみると、リーマン・ショック前に比べてまだ92%の水準でしかない。つまり、まだ経済危機前には回復していない。

 しかも、電機と自動車は、政府支援の特需に支えられている。また、雇用調整助成金の支援もある。
 しかし、この施策は需要を増加させたのでなく将来の需要を先食いしただけだ。自動車の購入支援策が9月に、電機の支援策が今年中に終了すれば、需要は急減する。
 また、2009年には中国に対する輸出が急激に伸びたが、今後は同じようには伸びないだろう。
 だから、よくてピークの8~9割の水準を維持できるだけで、それを超すことは当分のあいだはできないだろう。平均株価は、ピーク時(2007年7月頃)の52%程度の水準でしかないが、これが利益の長期的見通しを示している、とみてよい。

 日本の企業は、黒字になったというものの、利益率は非常に低い。
 利益率は、事業モデルが経済の構造変化に対応しているか否かを示す。
 総資本利益率(ROA)を見るのがよい。「1単位の資本投入でどれだけの利益が得られるか」
 通常用いられる自己資本利益率(ROE)は、借入を増やせば事業の実態が変わらなくとも上昇してしまう。ROAは、こういう操作の影響を受けない。
 2010年3月期連結決算においける日本企業のROAは、次のとおりだ。ホンダ2.3%、トヨタ0.7%、日産0.4%、ソニー▲0.3%、東芝▲0.4%、日立製作所1.2%。

 主要企業のROAは、ホンダを除けば国債の利回りよりかなり低い。しかも、政府による購入支援策が与えられている状況での数字である。
 ホンダの場合、2008年のROAは4.9%だったから、半分以下に低下したことになる。
 これは経済危機後、需要の動向が利益率を引き下げる方向に変わったことを示している。
 それは、新興国シフトだ。新興国向けの伸びが高いということの実態は、「利益の高い先進国が伸びないので、利益率の低い新興国に向かざるをえない」ということだ。

 アメリカ企業のROAをみると、次のとおりだ。マイクロソフト18.8%、アップル18.4%、グーグル14.1%、IBM11.5%。
 日本企業の利益率とは隔絶的な差がある。しかも、これは政府の支援に支えられたものではない。また、外需に依存するものでもないので、為替レートの変動によって動いてしまうものでもない。新しい技術に支えられたものだ。だから、将来の動向にあまり大きな不確実性はない。日本企業とはまったく異質の事業を展開しているとしか考えようがない。
 ここでみた先端的企業以外の企業もふくむダウ平均株価でみても、現在の水準はピーク(2007年7月)の77%である。日本の52%と比べると、だいぶ高い。

 今回の決算をみて日本企業が順調に回復していると考えるのは、大きな誤りだ。
 「基本的な方向転換をしなければどうしようもないところに追い詰められた」と考えるべきである。

【参考】野口悠紀雄『「超」整理日記No.525』(「週刊ダイヤモンド」2010年8月28日号所収)
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書評:『マネートレーダー 銀行崩壊』

2010年08月28日 | ノンフィクション
 世界でもっとも古い歴史をもつマーチャント・バンク、英国のベアリングズ銀行は、創立233年目で歴史を閉じた。たった一人の若者のせいで。
 若者の名はニック・リーソンという。
 1995年のことである。

 ニックは、ロンドンで左官の子として生まれた。18歳で中途退学し、1985年、女王陛下の銀行、クーツ・アンド・カンパニーで働きはじめた。仕事の単調さに倦み、1987年、アメリカでも屈指の投資銀行、モルガン・スタンレーに移った。さらに、1989年にはベアリングズ銀行へ移る。
 インドネシアで負債1億ポンドのほとんどを減らす功績をあげて1991年にロンドンへ戻ると、先物・オプションの事務管理の専門家と目されていた。1992年3月、ジャカルタで知り合ったリサと結婚。その直後、新設のベアリングズ・フューチャーズ・シンガポールの責任者として赴任した。
 1992年夏から、極東の証券取引の重心が大阪からシンガポールへ移りだした。ニックは毎日真夜中まで残業する。
 どんな取引システムでもミスが起こりえる。過誤は、コンピュータにエラー・アカウントを設けてロンドンへ送っていたが、ロンドンは事務処理の煩瑣を嫌い、シンガポール専用のエラー・アカウントを設定せよと指示してきた。ニックは、その番号を88888と名づけた。
 同年7月17日、採用したばかりのキム・ウォンが2万ポンドを失うミスをおかした。即座に東京またはロンドンの上司へ報告しておけば、通常の事務処理が可能だった。しかし、ニックは報告しないで、損失を88888へほうりこんだ。本来キムのミスであったものが、ニックの処理ミスに転化した。
 市場の変動により、2万ポンドの損失は6万ポンドにふくらんだ。1992年の暮れには、88888に30件のエラーが累積していた。
 部下のジョージ・ソウが離婚し、集中力を失った。1993年1月、ジョージはキムと同じミスをおかし、15万ポンドの損失を招いた。ミスがロンドンにばれたら、ジョージはただちに馘首され、ニックも今の仕事を続けることができなくなる。トレーダーたちのチームを指揮するボスの立場をニックは失いたくなかった。大型の顧客をつかんだばかりでもあった。またしても、88888が利用された。
 ニックは、相場上昇に賭け、勝った。これまでの損失を埋め、儲けがでた。

 この時点で88888を閉鎖するべきであった。
 しかし、大型の顧客からの無理な注文に応じたため、またもや損失を抱えこんだ。相場の変動が損失額を増大させた。ニックは、感覚が麻痺しはじめた。市場が向かう方向を見通すことができなくなり、自分の秘密のポジションに照らして市場がどちらへ向かってほしいかを希求するばかり。
 このあと、損失が雪だるま式にふくらむばかりだった。最終的には、6.5億ポンド(一説によれば8.3億ポンド)に達した。ベアリングズ銀行の自己資本5.4億ポンドを軽く上まわる額である。破産も当然の額である。
 損失が法外にふくらんだ原因は、ベアリングズ銀行が管理上の単純かつ徹底さるべき原則を守らなかった点にある。
 すなわち、取引の現場(フロント)と後方事務部隊(バック)のそれぞれに別々の責任者を置いて相互牽制させるという原則を。上司も監査役も、ニックが報告する架空の利益、しかも莫大な利益に目がくらんで、矛盾を追求すればすぐさま明らかになったはずの事実を究明しなかった。

 ニックは書く。「私はたぶん世界でたった一人の、バランス・シートの両側を操作できる人間だった」と。
 その異常さが気にならなくなっていた・・・・と続けるが、じつは大いに気になっていたはずだ。爪かみで指先はボロボロになり、やたらと甘いものを食べるから急速に太っていった。バランスを欠いた精神が身体に反映したのである。妻リサに対する愛が繰り返し語られるが、その愛妻のほうではニックの異常なふるまいに気づいていなかった。
 破滅寸前に逃亡したニックは、ドイツはフランクフルトで逮捕され、シンガポールで懲役6年半の判決を受けた。

 本書は、組織上の欠陥が組織をつぶす一例として、銀行に限らず、経営にかかわるすべての人に教訓を与える。
 と同時に、組織の中ではたらく個々の人にも教訓を与える。
 すなわち、小さな失敗を糊塗すると傷はだんだんと広がって手に余るようになる、と。あるいは、野心は情勢を正確に判断する目を曇らせるのだ、と。
 リーマン・ショックを知る私たちは、懲役6年半というニックの刑期を長いとは思わないだろう。

 本書は、『私がベアリングズ銀行をつぶした』(新潮社、1997)の文庫化である。

□ニック・リーソン(戸田裕之訳)『マネートレーダー 銀行崩壊』(新潮文庫、2000)
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書評:『無法投機』

2010年08月28日 | 小説・戯曲
 米連邦準備制度理事会(FRB)前議長チャールズ・ブラックは、バーゼル空港に到着するやいなやスイス国境警察に逮捕された。容疑は、インサイダー取引。すなわち私的利得のための公職利用の疑いである。
 身に覚えがないだけにいきりたつが、意外なことに証拠が次々に目の前につきつけられる。
 罪が確定したら、軽くて20年、重くて30年の重労働が課される。
 同僚ともいうべき各国の中央銀行総裁たちは、はやばやと彼に背をむける。雇い主であった合衆国政府も、我関せずの態度を決めこむ。
 孤立無援。
 唯一の味方は、妻サリーのみ。

 というようなカフカ的状況が、全体の4分の1を占める第1部である。
 第2部であっさりと真犯人が明らかにされる。
 犯罪をおかすまでの流れと犯行を隠蔽する工作は、第1部よりも生彩をはなつ。悪の楽しさとでもいうべき背徳の美学があって、この部分をとりだせばピカレスク・ロマンと見てもよい。

 だが、悪が栄えると、主人公は救われない。
 だから、本書は、倒叙ものミステリーの王道をたどる。つまり、読者がすでに知っている犯人は、物語が展開するうちに当局によって追いつめられていく。読者は、この過程にスリルを味わえばよい。

 もっとも、主人公は結構したたかだから、容易に共感的感情移入すると、足許をすくわれる。
 罠を抜け出すため知力をふりしぼり、偶然をがっちりとつかんで利用するひとなのだ。生き馬の目をぬく抜け目なさがあったからこそ、官界のトップにのぼりつめたのだ。

   *

 著者ポール・アードマンは、若干37歳でバーゼルのユーナイテッド・カルフォニア銀行(UCB)の初代頭取に就任した。
 しかし、この銀行は、ココア投機に失敗して破産、5千万ドルというスイスの銀行がこうむった最大級の損失をだした。
 アードマンは、現地責任者として、数か月間投獄された。
 獄中でものした『十億ドルの賭け』が米探偵作家クラブ最優秀新人賞を受賞し、以後、作家として立つ。

 本書の随所に、著者の豊富な金融の知識と経験が披露されていて、おおいに学ばされる。
 巻末には、42ページにわたり、訳者による金融用語集が付されている。さまざまな事件の過中にあった人物20名の短評も含まれ、用語集だけでも十分に一読する価値がある。
 要するに、本書は、小説の体裁をとった金融入門である。本書に目をとおしていたひとは、リーマン・ショックの激震をかわすことができたはずだ。

□ポール・アードマン(森 英明訳) 『無法投機』 (新潮文庫、1999)
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