宮台真司は、インターネットのニュース解説番組で、かねて原発をめぐる権益ネットーワークやそれを支える社会構造について議論してきた。原発事故直後から、政府や東電の言うことを真に受けたらとんでもないことになる、と言ってきた。
莫大な利益をあげる電力会社は、地域の放送局、新聞社、企業に出資する地域経済団体のボスで、大学にも研究資金を提供する。そんな日本で、学者やマスコミの情報に依存するのは自殺行為だ。現に、真に受けたらとんでもないことになった。
問題になったのは、政府は内部被曝の評価に必要なデータを十分に公開していないことだ。政府の責任もあるが、「安心できるのかできないのか、はっきりしろ」と要求する市民にも責任がある。
内部被曝の危険については、学会内の統一見解がない。政府ごときに、安心できるのかどうかを評価する能力はない。
市民は、「能力もないのに政府が評価しようとするな、市民が評価するからデータを出せ」と要求すべきだ。
むろん、専門家が一致しないデータ評価について、市民が評価するのは難しい。その時に大切になるのが、市民ネットワークだ。周囲に詳しい人を探してデータ評価の仕方を尋ねまわり、その人を囲んで話し合う。皆の一致がなくてもよい。勝手に思いこまず、付和雷同せず、ああでもないこうでもないと話し合い、自分で決める。
宮台も、友人たちに相談しまくった。震災直後、友人たちの勧めにしたがってガイガーカウンター2台で線量を測った。1台は空間線量(ガンマ線)だけでなくアルファ線が測れる。友人たちは、都内各所で自発的に空間線量と植え込みや地面のベータ線を測った。こうした計測をもとに、すぐに当時4歳と1歳の娘たちを知人の子と一緒に疎開させた。
内部被曝研究が手薄な理由・・・・
(a)政治的な文脈だ。原爆が投下された広島と長崎では、内部被曝調査が行われたが、米政府が公表を禁じたため、我々はいまだに原爆投下後の内部被曝の知恵を活用できない。
(b)統計学的な理由だ。限られた範囲のホットスポットで少数の癌患者が倍増しても、母集団(人類全体)についての放射線の危険を推定するにはサンプル数が足りない。統計的に有意な結果が得にくい。国際放射線防護委員会(ICRP)は、そうした問題に注意を喚起していない。
しかし、最悪事態を最小化するという危機管理の基本に従い、内部被曝に最大限の注意を喚起すべきだ。これは社会的な倫理の問題だ。
そこで必要なこと・・・・
(a)「科学の民主化」だ。科学的データ評価を市民がどう受け止めるべきかについて、科学者と市民とつなぐミドルマン役が必要だ。60年前に社会心理学者ラザースフェルドが提唱したことだ。
(b)「民主の科学化」も必要だ。話し合うだけでは民主主義ではない。「空気に縛られる社会」から「知識を尊重する社会」への脱皮が必要だ。子どもの疎開も、知識に基づくことが大切だ。
転居について家族の意見が割れるのは当然だ。内部被曝の感受性は子どもが圧倒的に高いが、再就職や近隣社会への適応を含めて、大人や高齢者には転居は困難だ。
こういう場合のガイドラインを政府でなく市民が考えるべきだ。
今回残念なことに、多くの親は自分の子どもだけを疎開させた。そこに日本社会の劣化を見る。
避難先を持っているなら、隣近所や親族の子も一緒に連れていくべきだ。子どもも疎開先で寂しくなくなるし、経済的格差も緩和できる。
以上、宮台真司【注】((首都大学東京教授/社会学)「安全だとも危険だとも言えない状況で不可欠な人的ネットワーク」(「週刊朝日」2011年9月9日号)に拠る。
【注】「【震災】原発立地を住民が決める根拠 ~エネルギーの共同体自治~」
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莫大な利益をあげる電力会社は、地域の放送局、新聞社、企業に出資する地域経済団体のボスで、大学にも研究資金を提供する。そんな日本で、学者やマスコミの情報に依存するのは自殺行為だ。現に、真に受けたらとんでもないことになった。
問題になったのは、政府は内部被曝の評価に必要なデータを十分に公開していないことだ。政府の責任もあるが、「安心できるのかできないのか、はっきりしろ」と要求する市民にも責任がある。
内部被曝の危険については、学会内の統一見解がない。政府ごときに、安心できるのかどうかを評価する能力はない。
市民は、「能力もないのに政府が評価しようとするな、市民が評価するからデータを出せ」と要求すべきだ。
むろん、専門家が一致しないデータ評価について、市民が評価するのは難しい。その時に大切になるのが、市民ネットワークだ。周囲に詳しい人を探してデータ評価の仕方を尋ねまわり、その人を囲んで話し合う。皆の一致がなくてもよい。勝手に思いこまず、付和雷同せず、ああでもないこうでもないと話し合い、自分で決める。
宮台も、友人たちに相談しまくった。震災直後、友人たちの勧めにしたがってガイガーカウンター2台で線量を測った。1台は空間線量(ガンマ線)だけでなくアルファ線が測れる。友人たちは、都内各所で自発的に空間線量と植え込みや地面のベータ線を測った。こうした計測をもとに、すぐに当時4歳と1歳の娘たちを知人の子と一緒に疎開させた。
内部被曝研究が手薄な理由・・・・
(a)政治的な文脈だ。原爆が投下された広島と長崎では、内部被曝調査が行われたが、米政府が公表を禁じたため、我々はいまだに原爆投下後の内部被曝の知恵を活用できない。
(b)統計学的な理由だ。限られた範囲のホットスポットで少数の癌患者が倍増しても、母集団(人類全体)についての放射線の危険を推定するにはサンプル数が足りない。統計的に有意な結果が得にくい。国際放射線防護委員会(ICRP)は、そうした問題に注意を喚起していない。
しかし、最悪事態を最小化するという危機管理の基本に従い、内部被曝に最大限の注意を喚起すべきだ。これは社会的な倫理の問題だ。
そこで必要なこと・・・・
(a)「科学の民主化」だ。科学的データ評価を市民がどう受け止めるべきかについて、科学者と市民とつなぐミドルマン役が必要だ。60年前に社会心理学者ラザースフェルドが提唱したことだ。
(b)「民主の科学化」も必要だ。話し合うだけでは民主主義ではない。「空気に縛られる社会」から「知識を尊重する社会」への脱皮が必要だ。子どもの疎開も、知識に基づくことが大切だ。
転居について家族の意見が割れるのは当然だ。内部被曝の感受性は子どもが圧倒的に高いが、再就職や近隣社会への適応を含めて、大人や高齢者には転居は困難だ。
こういう場合のガイドラインを政府でなく市民が考えるべきだ。
今回残念なことに、多くの親は自分の子どもだけを疎開させた。そこに日本社会の劣化を見る。
避難先を持っているなら、隣近所や親族の子も一緒に連れていくべきだ。子どもも疎開先で寂しくなくなるし、経済的格差も緩和できる。
以上、宮台真司【注】((首都大学東京教授/社会学)「安全だとも危険だとも言えない状況で不可欠な人的ネットワーク」(「週刊朝日」2011年9月9日号)に拠る。
【注】「【震災】原発立地を住民が決める根拠 ~エネルギーの共同体自治~」
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