語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【読書余滴】佐々淳行の、原発事故という危機管理

2011年09月11日 | 震災・原発事故


●ABCD危機
 A:アトミック(原子力)
 B:バイオロジー(生物兵器)
 C:ケミストリー(化学兵器)/コンピュータ/カルト
 D:ディザスター(災害)

●核の危機2つ
 「A」は、「アトミック」で原子力だ。核の問題だ。大きく分けて2つある。
 (a)核の拡散。身近なところでは北朝鮮だ。その他にもインド、パキスタン、イスラエル、イラン、イラクなども核を所有している公算が大きい。核の拡散によって、すでに核抑止力がきかなくなってしまっている状況にあるわけだ。
 (b)事故。86年4月に起きたチェルノブイリ原発事故が代表的なものだが、国内でもしばしば発生している。<例>99年9月30日、茨城県東海村のウラン加工施設JCOで臨界事故が起きた。当時の小淵恵三内閣は、国家レベルでの対策は何もできていなかった(00年6月に原子力災害対策特別措置法施行)。02年8月29日には、東京電力の福島、新潟の原発で、またもや29件のトラブル隠しが発覚し、同9月2日に幹部ら5人が責任をとって辞任した。01年11月の中部電力浜岡原発の冷却水漏れ事故もそうだが、原発事故は起きないとは決して言えない。

●臭い物に蓋
 1986年4月26日、ソ連のチェルノブイリ原発事故が起きた。
 恐るべきことに、ソ連共産党幹部の指導者たちは、この住戸の重大性を知りながら隠そうとした。
 運悪く5日後、恒例行事のメーデー祭典の日が訪れた。共産党幹部は、あろうことか、キエフの街で1万人の市民に死の灰が降る中を祭典の大行進に参加するよう命じたのだ。これが、被爆者の数をさらに増やした。
 しかも、モスクワのゴルバチョフ書記長が事故の報告を受けたのは、事故発生後2日目【注1】だった、という。ゴルバチョフにペレストロイカの断行を決意させたのは、このチェルノブイリ原発事故だった、ともいう。

●ネガティブ・リポート
 安全管理、具体的には「定期点検」と「異常なし」報告が徹底されていれば、東海村JCO臨界事故は未然に防ぐことができた。
 あれは、恐ろしいことに、ウランをバケツで持ち運ぶような作業をしていたことがわかっている。原子力の技術も知識もない人たちを危険な作業に従事させていた会社側のいい加減さはもちろん、その上部組織の企業や所管の科学技術庁が、1年に1回でも現場作業をしっかり点検していたら、危険なバケツ作業が明らかになっていたはずだ。各関係者の感覚は、まったくどうかしている。

●3・11
 菅直人総理直率の「緊急災害対策本部」の設置は誤りだった。総理に権限を集中すると、総理の無能ぶりが拡大されてしまう。自衛隊、警察、消防、海上保安庁を主軸とする「安全保障会議設置法」による官房長官指揮の国家安全保障体制を築くべきだった。【注2】

 【注1】佐々は、『新・危機管理のノウハウ ~平和ボケに挑むリーダーの条件~』(文藝春秋、1991)では、事故の真相がゴルバチョフ書記長の耳に達するのに3日かかった、と記す。「事故発生後3日目にしてようやくその事実を知ったゴルバチョフは激怒し、党や政府の官僚主義を打破すべくペレストロイカを協力に推進する決意を固めたと伝えられる」
 【注2】このくだりは、佐々淳行「統一地方選で民主党に『天罰』を」(「文藝春秋」2011年5月号)に拠る。

 以上、佐々淳行『重大事件に学ぶ「危機管理」』(文春文庫、2004)に拠る。
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