東京電力の「技術力」には重大な欠落があった。それを端的に表しているのが、“原子力のドン”、豊田正敏・元東京電力副社長の発言だ。
彼は、「非常用発電機、冷却ポンプを配置したコンサル会社が悪い」(「週刊文春」4月21日号)の中で、問題点の一つとして非常用ディーゼル発電機がタービン建屋にあったことを挙げている。
「後でそのことを知って驚きました。原子炉建屋に入っていれば被害はここまで広がらなかったと思う」
「原子炉の設計をしたGE社と東電の間には米国のコンサルタント会社『エバスコ』が入り、(中略)その(エバスコから受け取った)図面を誰もチェックしていなかったのです。エバスコの設計通りに作ったとはいえ、悔やまれてなりません」
これでは、東電は輸入した米国の技術を妄信し、自ら問題点を発見する能力がなかった、と吐露しているのも同然だ。
日本の原発は、すべて海岸線に建設されている。
世界の原発のうち、海岸線にあるものは全体の25%以下だ。
日本で使用されている軽水炉は、米国で開発された技術だ。米国では104基の原発のうち94基が内陸部に造られている。大きな河川があって、そこから冷却水をとることができるからだ。津波の脅威に備える必要はない。
米国の原発は、基本的に内陸部に設置されることを想定している。
それを地震国でもある日本で、海岸部に設置したことから「津波対策」という新たな技術的な問題が生じた。しかし、その対応策を考えるべき東電は、それを米国のコンサルタント会社に丸投げしてしまった。しかも、そのこと自体、“原子力のドン”さえまるで知らなかった。
88年、福島第一原発4号機について、製造上の欠陥が指摘されたことがある。元設計者が、「製造の最終工程で圧力容器にゆがみが発生し、それをジャッキで無理に形を整えて運転している」と告発した。
これについて、東電の技術課長は、「いちいちメーカーに過程を指示家訓しなければならないなら、そんな会社には最初から頼まない」と言い放った。
東電は単に発注するだけ、問題が起きたら製造を担当したメーカーが悪い、というわけだ。
こうした東電の“丸投げ体質”の弊害が最も顕著にあらわれるのは、“想定外の事態”だ。
02年、東電は大規模なデータ改竄事件を引き起こした。福島第一、第二柏崎刈羽それぞれの原発の炉心隔壁にひび割れが生じていたのを放置し、国に通報していなかった。
東電が通報しなかったのは、単にトラブルを隠したい、という理由だけではなかった。“想定外の事態”だったため、どう対応してよいか、わからなかったからだ。
東電は、技術的な判断がまったくできなかった。そして、思考停止に陥った。東電がとった選択は、検査データを隠蔽し続けることだった。
今回の事故への対応、後手後手にまわる情報開示を見ても、東電の体質は変わっていない。
原発をめぐる国内議論も、東電の思考停止を招く一因となった。
94年、東電は福島第一原発2号機の炉心隔壁にひび割れが生じていることを公表した。東電は、新品と取り替えず、小手先の安全策で逃げようとした。「取り替えを実施したら、原発反対派から『取り替えが必要なほど、深刻なひび割れが生じているのではないか。そんな危険な原発は即座に廃炉すべきだ』と言われてしまう」というのが、東電の論理だった。
だが、このような場合に必要なのは、今の危機をできるだけ現実的に、できるだけ早く取り除く、という姿勢だ。そして、起きている事態を正確に公表し、安全に関する議論を深めていけばよい。全否定と隠蔽との連鎖は、安全の向上につながらない。
日本の原子力技術の抱える大きな問題は、電力会社に原子力政策の根幹を握らせてしまったことだ。
原子力開発政策の実質的な策定社は電力会社であり、そのうち一番大きな権限をもつのは東電だ。だから、安全規制に関しても、すべてが東電の思うがままになってしまう。
これは、国の問題でもある。監督官庁の経産省などにチェック能力が欠如していることが、東電の肥大化を招いてしまった。
<例1>96年、通産相は原発の寿命を測定するための具体的な評価法や評価例を示す報告書を公表した。東電などの事業者は、これに基づいて具体的な検討を開始している。しかし、実は、この報告書は、電力会社等の報告書の梗概にすぎなかった。
<例2>02年のデータ改竄事件の際、通産省の担当者は、東電の提出した検査データに「損傷」という言葉があったのを、「兆候」と書き換えるよう指示した。「損傷」だと役所として通せないので、言葉を換えて誤魔化せ、というわけだ。
<例3>日本原子力研究所(原研、現・日本原子力研究開発機構)では、事故や故障のたびに、人事部長通知が出た。「想定済みのことだから沈黙するように」と。その強制に反して、軽水炉の安全性について論じた研究者に対しては、組織外しなどの人事処分が繰り返された。
<例4>原研はさらに、研究者に、外部発表票や外部投稿票の提出が義務づけた。講演原稿や論文を事前に室長に提出し、原子力や軽水炉に無条件に肯定的な内容でなければ、許可しない。研究者は、鉄格子の中に入れられた状態だった。
国は、安全性に関する真摯な研究の芽を摘み、事業者に都合のよい安全規制を繰り返してきた。
その中で、東電は裸の王様になってしまった。
以上、桜井淳「東京電力『35年の堕落!』」(「週刊文春」2011年9月8日号)に拠る。
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彼は、「非常用発電機、冷却ポンプを配置したコンサル会社が悪い」(「週刊文春」4月21日号)の中で、問題点の一つとして非常用ディーゼル発電機がタービン建屋にあったことを挙げている。
「後でそのことを知って驚きました。原子炉建屋に入っていれば被害はここまで広がらなかったと思う」
「原子炉の設計をしたGE社と東電の間には米国のコンサルタント会社『エバスコ』が入り、(中略)その(エバスコから受け取った)図面を誰もチェックしていなかったのです。エバスコの設計通りに作ったとはいえ、悔やまれてなりません」
これでは、東電は輸入した米国の技術を妄信し、自ら問題点を発見する能力がなかった、と吐露しているのも同然だ。
日本の原発は、すべて海岸線に建設されている。
世界の原発のうち、海岸線にあるものは全体の25%以下だ。
日本で使用されている軽水炉は、米国で開発された技術だ。米国では104基の原発のうち94基が内陸部に造られている。大きな河川があって、そこから冷却水をとることができるからだ。津波の脅威に備える必要はない。
米国の原発は、基本的に内陸部に設置されることを想定している。
それを地震国でもある日本で、海岸部に設置したことから「津波対策」という新たな技術的な問題が生じた。しかし、その対応策を考えるべき東電は、それを米国のコンサルタント会社に丸投げしてしまった。しかも、そのこと自体、“原子力のドン”さえまるで知らなかった。
88年、福島第一原発4号機について、製造上の欠陥が指摘されたことがある。元設計者が、「製造の最終工程で圧力容器にゆがみが発生し、それをジャッキで無理に形を整えて運転している」と告発した。
これについて、東電の技術課長は、「いちいちメーカーに過程を指示家訓しなければならないなら、そんな会社には最初から頼まない」と言い放った。
東電は単に発注するだけ、問題が起きたら製造を担当したメーカーが悪い、というわけだ。
こうした東電の“丸投げ体質”の弊害が最も顕著にあらわれるのは、“想定外の事態”だ。
02年、東電は大規模なデータ改竄事件を引き起こした。福島第一、第二柏崎刈羽それぞれの原発の炉心隔壁にひび割れが生じていたのを放置し、国に通報していなかった。
東電が通報しなかったのは、単にトラブルを隠したい、という理由だけではなかった。“想定外の事態”だったため、どう対応してよいか、わからなかったからだ。
東電は、技術的な判断がまったくできなかった。そして、思考停止に陥った。東電がとった選択は、検査データを隠蔽し続けることだった。
今回の事故への対応、後手後手にまわる情報開示を見ても、東電の体質は変わっていない。
原発をめぐる国内議論も、東電の思考停止を招く一因となった。
94年、東電は福島第一原発2号機の炉心隔壁にひび割れが生じていることを公表した。東電は、新品と取り替えず、小手先の安全策で逃げようとした。「取り替えを実施したら、原発反対派から『取り替えが必要なほど、深刻なひび割れが生じているのではないか。そんな危険な原発は即座に廃炉すべきだ』と言われてしまう」というのが、東電の論理だった。
だが、このような場合に必要なのは、今の危機をできるだけ現実的に、できるだけ早く取り除く、という姿勢だ。そして、起きている事態を正確に公表し、安全に関する議論を深めていけばよい。全否定と隠蔽との連鎖は、安全の向上につながらない。
日本の原子力技術の抱える大きな問題は、電力会社に原子力政策の根幹を握らせてしまったことだ。
原子力開発政策の実質的な策定社は電力会社であり、そのうち一番大きな権限をもつのは東電だ。だから、安全規制に関しても、すべてが東電の思うがままになってしまう。
これは、国の問題でもある。監督官庁の経産省などにチェック能力が欠如していることが、東電の肥大化を招いてしまった。
<例1>96年、通産相は原発の寿命を測定するための具体的な評価法や評価例を示す報告書を公表した。東電などの事業者は、これに基づいて具体的な検討を開始している。しかし、実は、この報告書は、電力会社等の報告書の梗概にすぎなかった。
<例2>02年のデータ改竄事件の際、通産省の担当者は、東電の提出した検査データに「損傷」という言葉があったのを、「兆候」と書き換えるよう指示した。「損傷」だと役所として通せないので、言葉を換えて誤魔化せ、というわけだ。
<例3>日本原子力研究所(原研、現・日本原子力研究開発機構)では、事故や故障のたびに、人事部長通知が出た。「想定済みのことだから沈黙するように」と。その強制に反して、軽水炉の安全性について論じた研究者に対しては、組織外しなどの人事処分が繰り返された。
<例4>原研はさらに、研究者に、外部発表票や外部投稿票の提出が義務づけた。講演原稿や論文を事前に室長に提出し、原子力や軽水炉に無条件に肯定的な内容でなければ、許可しない。研究者は、鉄格子の中に入れられた状態だった。
国は、安全性に関する真摯な研究の芽を摘み、事業者に都合のよい安全規制を繰り返してきた。
その中で、東電は裸の王様になってしまった。
以上、桜井淳「東京電力『35年の堕落!』」(「週刊文春」2011年9月8日号)に拠る。
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