思えばメディアから反原発の論調が消えたのはいつのことだろうか。いつのまにか原発批判はタブーとなり、封印されてしまった。
国策としての原発は、核の平和利用という美名に隠され、地震列島である日本に54基も建設されていた。通産省=経済産業省と東京電力をはじめとした電力会社が、米国GEや東芝、日立などの大企業と手を組み、過疎の村に「電力マネー」というアメをばらまいてきた。これは沖縄の米軍基地の構図に似ている。
以上、岡留安則(元「噂の真相」編集長)「いつから原発批判はタブーになったのか」(「週刊朝日」2011年9月9日号)から一部引用した。
*
いかに嘘だデマだと吹聴しようが、事態は吉本が考えるよりはるかに深刻だったのだ。原発の立地条件についても、これまで多くの問題が指摘されてきた。『問題・人権事典』(解放・人権研究所編)によると、福井県内には美浜をはじめ数多くの原子力発電所があるが、「ほとんどの原発立地市町にが所在している」。そして、「零細な農業と不安定な仕事しか持たなかったの住民は、いきおい仕事や雇用を原発関係に大きく依存」しているのが実情なのだ。これは都市部への電力供給を引き受ける原発施設の立地条件と、被差別の置かれた風土的条件の複合からくる、「安全神話」の裏側にある歴史的現実である。原発はこうした日本の産業構造とエネルギー政策の偏向が臨界点に達した、禍々しいプロジェクトだったのである。
この他、下層労働者の日常的被曝は、同事典で述べられている大都市の「寄せ場」から駆り集められた非正規労働者など、社会的に不安定な身分に集中、堀江の前掲書【注】には、すでに70年代から黒人をはじめとする大量の外国人労働者の存在も報告されている。
【注】堀江邦夫『原発ジプシー』(現代書館、2011)
以上、高澤秀次「吉本隆明と『文学者の原発責任』 -80年代から3・11以降へ-(「atプラス」、2011年9月号)から一部引用した。
*
80年代以降、高レベル放射性廃棄物の関連施設の建設候補地として、多くの自治体の名前が挙がった。諸施設の建設候補地に特定された場所の大半は、大都市圏から離れ、過疎地が進む辺境に位置している。地図上に落としてみると、先住民族が領土権を主張している歴史的な生活圏や、現在の居留地と重なっていることがわかる。
環境人種差別は、米国社会に深く根を張っている。有害廃棄物施設の建設地や、土壌や大気の汚染地区が、貧困層の有色人種の居住地に集中している。
自然災害や環境破壊によるリスクの配分は、平等ではない。<例>ハリケーン・カトリーナによってもっとも壊滅的な被害を受けたのは、ルイジアナ州ニュー・オーリンズ市第9地区を中心とした貧困層の黒人だ。被災地の瓦礫はアスベストを含む多くの有害物質を含んでいたが、これを処理した日雇い労働者の大半は、中南米系の不法移民だった。彼らは、適切な防護服やマスクも与えられず、宿泊施設もシャワーもない現場で危険な作業を続けた。災害廃棄物の処分場のひとつは、ベトナム系移民が多く住む地域に設置された。「色分けされた格差が埋め込まれた、空間の暴力である」
科学技術は常に進歩しているのだから、放射性廃棄物処分もきっとなんとかなるだろう、という無責任な想定のもとに、原子力産業は拡大し、米国政府は支援を続けてきた。いまや104基の原子炉が、米国の総電力の20%を賄っている。
82年に成立した核廃棄物政策法は、高レベル放射性廃棄物処分の最終的な責任の所在を連邦政府に定めた。ただし、この法律は最終処分場の建設候補地を具体的に特定していない。
連邦政府は、最終処分場建設計画に加えて、監視付回収可能貯蔵(MRS)プログラムも立ち上げた。MRSは、地層処分がおこなわれる最終処分場が建設されるまでのあいだ、暫定的に使用済み燃料を地上に収納しておく施設だ。
87年、核廃棄物政策法改正に伴って、ネバダ州ヤッカ・マウンテンが唯一の最終処分候補地として特定され、サイト特性調査が始まった。ヤッカ・マウンテンは、51年以降900回以上の核実験の現場になったネバダ実験場を見下ろしている。この場所の特定には、ネバダ州政府の連邦レベルにおける政治力の弱さに加え、既に汚染されているのだからよいではないか、という論理も働いていた。
ヤッカ・マウンテンは、もともと先住民の領土だ。この地域には、ウェスタン・ショショーニをはじめとする狩猟採集民族が、季節に合わせて移動しながら暮らしていた。ところが、ネバダ実験場の建設にあたって、近辺に暮らす先住民たちは移住を強いられた。
核実験は、風向きが大都市圏であるロサンゼルスやラスベガスの方角ではなく北東のユタ州の方向に吹いているときを選んでおこなわれた。風下に暮らしていたのは、先住民であり、宗教的なマイノリティであるモルモン教徒だった。
住民たちの健康は蝕まれた。
ネバダ州政府は、即座に反対の立場を鮮明にし、反対運動を激しく展開した。最終処分場建設の具体的な見とおしは、立たなくなった。
一刻も早く放射性廃棄物の捨て場所を確保しなければ、操業の打ち切りの可能性も出てくるという危機感が電力会社のあいだに高まり、連邦政府は暫定的な中間貯蔵施設を建設する必要に迫られた。91年、連邦政府核廃棄物交渉局は、米国内におけるすべての州、郡、部族政府に、MRS計画への参加を呼びかける手紙を送った。この呼びかけに応え、MRS施設の受け入れ検討のため支給される助成金プログラムに申請した自治体16件。このうち14件が、先住民居留地だった。
ところが、連邦議会は、94年度の予算編成の際、MRS計画の中止を決定した。
困り果てた大手電力会社8件は、民間合弁企業、民間核燃料貯蔵会社(PFS)を創設した。97年、ユタ州トゥエラ郡スカル・バレー・ゴシュート族とPFSは、合同事業契約書を取り交わす。施設の建設予定地は、住宅地から3.5マイル、すなわち5.63キロしか離れていなかった。
スカル・バレーに連邦政府が17年に設置した居留地は、複数の産業廃棄物処分場と焼却施設、低レベル放射性廃棄物処分場に加え、40年代以降半世紀以上にわたり米陸軍が生物科学兵器の生産、実験、焼却を行ってきた軍事基地に囲まれている。レオン・ベアー部族長をはじめとする部族政府の幹部は、いう。これだけ危険な施設に取り囲まれた居留地の経済開発をおこなうにあたり、他にどんな選択肢があるのか・・・・。ゴシュート族は、19世紀にモルモン教徒の開拓者たちがやってきて以来、スカル・バレー(骸骨の谷)と名付けられた荒野に追いやられ、20世紀を通じてリスクの高い施設が周囲に建設されても黙って耐えるしかなかった。高レベル放射性廃棄物施設の受け入れは、現在も過疎化と貧困にあえぐ先住民たちによる、まさに苦渋の選択だった。
先住民は、ユタ州では「見えない存在」なのだ。ユタ州の文化地理において、ゴシュート族をはじめとする先住民は周縁に追いやられ、行政や一般市民から忘れ去られている。
「わたしたちは、生き残るために、核廃棄物を受け入れるのです」【ベアー部族長】
核の空間は、社会的弱者を踏みつけにしながら形成されていったのだ。
以上、石山徳子「アメリカ合衆国と切り捨てられる弱者たち -高レベル放射性廃棄物の処分問題をめぐって-(「atプラス」、2011年9月号)に拠る。
↓クリック、プリーズ。↓


国策としての原発は、核の平和利用という美名に隠され、地震列島である日本に54基も建設されていた。通産省=経済産業省と東京電力をはじめとした電力会社が、米国GEや東芝、日立などの大企業と手を組み、過疎の村に「電力マネー」というアメをばらまいてきた。これは沖縄の米軍基地の構図に似ている。
以上、岡留安則(元「噂の真相」編集長)「いつから原発批判はタブーになったのか」(「週刊朝日」2011年9月9日号)から一部引用した。
*
いかに嘘だデマだと吹聴しようが、事態は吉本が考えるよりはるかに深刻だったのだ。原発の立地条件についても、これまで多くの問題が指摘されてきた。『問題・人権事典』(解放・人権研究所編)によると、福井県内には美浜をはじめ数多くの原子力発電所があるが、「ほとんどの原発立地市町にが所在している」。そして、「零細な農業と不安定な仕事しか持たなかったの住民は、いきおい仕事や雇用を原発関係に大きく依存」しているのが実情なのだ。これは都市部への電力供給を引き受ける原発施設の立地条件と、被差別の置かれた風土的条件の複合からくる、「安全神話」の裏側にある歴史的現実である。原発はこうした日本の産業構造とエネルギー政策の偏向が臨界点に達した、禍々しいプロジェクトだったのである。
この他、下層労働者の日常的被曝は、同事典で述べられている大都市の「寄せ場」から駆り集められた非正規労働者など、社会的に不安定な身分に集中、堀江の前掲書【注】には、すでに70年代から黒人をはじめとする大量の外国人労働者の存在も報告されている。
【注】堀江邦夫『原発ジプシー』(現代書館、2011)
以上、高澤秀次「吉本隆明と『文学者の原発責任』 -80年代から3・11以降へ-(「atプラス」、2011年9月号)から一部引用した。
*
80年代以降、高レベル放射性廃棄物の関連施設の建設候補地として、多くの自治体の名前が挙がった。諸施設の建設候補地に特定された場所の大半は、大都市圏から離れ、過疎地が進む辺境に位置している。地図上に落としてみると、先住民族が領土権を主張している歴史的な生活圏や、現在の居留地と重なっていることがわかる。
環境人種差別は、米国社会に深く根を張っている。有害廃棄物施設の建設地や、土壌や大気の汚染地区が、貧困層の有色人種の居住地に集中している。
自然災害や環境破壊によるリスクの配分は、平等ではない。<例>ハリケーン・カトリーナによってもっとも壊滅的な被害を受けたのは、ルイジアナ州ニュー・オーリンズ市第9地区を中心とした貧困層の黒人だ。被災地の瓦礫はアスベストを含む多くの有害物質を含んでいたが、これを処理した日雇い労働者の大半は、中南米系の不法移民だった。彼らは、適切な防護服やマスクも与えられず、宿泊施設もシャワーもない現場で危険な作業を続けた。災害廃棄物の処分場のひとつは、ベトナム系移民が多く住む地域に設置された。「色分けされた格差が埋め込まれた、空間の暴力である」
科学技術は常に進歩しているのだから、放射性廃棄物処分もきっとなんとかなるだろう、という無責任な想定のもとに、原子力産業は拡大し、米国政府は支援を続けてきた。いまや104基の原子炉が、米国の総電力の20%を賄っている。
82年に成立した核廃棄物政策法は、高レベル放射性廃棄物処分の最終的な責任の所在を連邦政府に定めた。ただし、この法律は最終処分場の建設候補地を具体的に特定していない。
連邦政府は、最終処分場建設計画に加えて、監視付回収可能貯蔵(MRS)プログラムも立ち上げた。MRSは、地層処分がおこなわれる最終処分場が建設されるまでのあいだ、暫定的に使用済み燃料を地上に収納しておく施設だ。
87年、核廃棄物政策法改正に伴って、ネバダ州ヤッカ・マウンテンが唯一の最終処分候補地として特定され、サイト特性調査が始まった。ヤッカ・マウンテンは、51年以降900回以上の核実験の現場になったネバダ実験場を見下ろしている。この場所の特定には、ネバダ州政府の連邦レベルにおける政治力の弱さに加え、既に汚染されているのだからよいではないか、という論理も働いていた。
ヤッカ・マウンテンは、もともと先住民の領土だ。この地域には、ウェスタン・ショショーニをはじめとする狩猟採集民族が、季節に合わせて移動しながら暮らしていた。ところが、ネバダ実験場の建設にあたって、近辺に暮らす先住民たちは移住を強いられた。
核実験は、風向きが大都市圏であるロサンゼルスやラスベガスの方角ではなく北東のユタ州の方向に吹いているときを選んでおこなわれた。風下に暮らしていたのは、先住民であり、宗教的なマイノリティであるモルモン教徒だった。
住民たちの健康は蝕まれた。
ネバダ州政府は、即座に反対の立場を鮮明にし、反対運動を激しく展開した。最終処分場建設の具体的な見とおしは、立たなくなった。
一刻も早く放射性廃棄物の捨て場所を確保しなければ、操業の打ち切りの可能性も出てくるという危機感が電力会社のあいだに高まり、連邦政府は暫定的な中間貯蔵施設を建設する必要に迫られた。91年、連邦政府核廃棄物交渉局は、米国内におけるすべての州、郡、部族政府に、MRS計画への参加を呼びかける手紙を送った。この呼びかけに応え、MRS施設の受け入れ検討のため支給される助成金プログラムに申請した自治体16件。このうち14件が、先住民居留地だった。
ところが、連邦議会は、94年度の予算編成の際、MRS計画の中止を決定した。
困り果てた大手電力会社8件は、民間合弁企業、民間核燃料貯蔵会社(PFS)を創設した。97年、ユタ州トゥエラ郡スカル・バレー・ゴシュート族とPFSは、合同事業契約書を取り交わす。施設の建設予定地は、住宅地から3.5マイル、すなわち5.63キロしか離れていなかった。
スカル・バレーに連邦政府が17年に設置した居留地は、複数の産業廃棄物処分場と焼却施設、低レベル放射性廃棄物処分場に加え、40年代以降半世紀以上にわたり米陸軍が生物科学兵器の生産、実験、焼却を行ってきた軍事基地に囲まれている。レオン・ベアー部族長をはじめとする部族政府の幹部は、いう。これだけ危険な施設に取り囲まれた居留地の経済開発をおこなうにあたり、他にどんな選択肢があるのか・・・・。ゴシュート族は、19世紀にモルモン教徒の開拓者たちがやってきて以来、スカル・バレー(骸骨の谷)と名付けられた荒野に追いやられ、20世紀を通じてリスクの高い施設が周囲に建設されても黙って耐えるしかなかった。高レベル放射性廃棄物施設の受け入れは、現在も過疎化と貧困にあえぐ先住民たちによる、まさに苦渋の選択だった。
先住民は、ユタ州では「見えない存在」なのだ。ユタ州の文化地理において、ゴシュート族をはじめとする先住民は周縁に追いやられ、行政や一般市民から忘れ去られている。
「わたしたちは、生き残るために、核廃棄物を受け入れるのです」【ベアー部族長】
核の空間は、社会的弱者を踏みつけにしながら形成されていったのだ。
以上、石山徳子「アメリカ合衆国と切り捨てられる弱者たち -高レベル放射性廃棄物の処分問題をめぐって-(「atプラス」、2011年9月号)に拠る。
↓クリック、プリーズ。↓



