語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【森有正】フランスの自然、日本の自然 ~サルトル~

2013年01月07日 | 批評・思想
 1966年から1967年にかけて雑誌「展望」に断続的に載った3つのエッセイ「霧の朝」「ひかりとノートルダム」遙かなノートルダム」は、単行本『遙かなノートルダム』(筑摩書房、1967)で読み、同題(角川文庫、1983)で再読し、同題(『森有正エッセー集成3』、ちくま学芸文庫、1999、所収)でまた読み返し、このたび講談社文芸文庫入りしたことで、またまた手に取った。

 森有正の「経験」は分かりやすい概念ではないが、臨床心理学に携わる人なら、ピンと来るかもしれない。加賀乙彦は、精神医学を論じたどこかで森有正の「経験」に言及していた。

 ここでは、日本の自然とフランスのそれとの違いについて森有正を引用する。
 日本の自然が人間も自然もない関係、対立のない関係にあって、それは自然が人間の感情に彩られているからだ、と森は整理する。森の議論を俳句で例示してもよいだろう。<鳥どもも寝入つてゐるか余呉の海>【八十村路通】から<翡翠の飛ぶこと思ひ出しげなる>【中村草田男】まで。
 他方、フランスの自然はあくまで自然として其処にあって、人間はその自然の一部という関係であり、その孤独があってこそ人間に固有の「経験」が生まれてくる、と森は言う。

 <秋、晴れた空、紅葉、古寺、谷川、これだけ言えば、フランスの秋も日本の秋も変わりはないように見える。しかし実際にそこにいてみると、何という大きな違いだろう。それはよい、悪いの問題ではない。自然までがちがう。それはどういうことだろう。一度だけ来日中のサルトルに会ったことがあるが、日本では自然までが違う、と言っていた。そしてサルトルは、自然は一つの筈だが、とつけ加えた。だからかれは、そう言った時、風土のちがいを決して忘れているわけではないのだ。そういうものを考慮に入れても、日本の自然はいかにも特殊だ、と言いたかったのだと思う。私にとっては、それは日本の自然は人を孤独にしない、という点に要約できると思う。人間の感情があまりにも深く自然に浸透している。そういう感じである。どういう風景を見ても、それと直接触れることができない。そこには先人によって詠まれた和歌や俳句がすでに入りこんで来る。日本の自然は余りにも人によって見られており、また日本人は、そういう温か味のある自然を求めているようである。そしてこれは人間と人間との関係がそこに投影されているだのだと思う。だからそれは人を孤独にしない。フランスではその逆のようである。自然はあくまで自然としてそこに在る。そういう自然の中に入る時、人は孤独になる。そしてこの関係は、人間同士の間にも投影される。人間はあくまで自然存在を強く帯びており、その孤独の中から人間経験が生まれてくるのである。>【「遙かなノートルダム」】。

 孤独の中から。
 だから、<世界何十億の人がいようとも、その人の数だけの異なった経験があるわけであり、それは並大抵のことではないのである。>【同】

□森有正『遙かなノートルダム』(講談社文芸文庫、2012.10)
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