(承前:昭和史を武器に変える10の思考術)
(7)近代戦は個人の能力よりチーム力
(1)-⑨ノモンハン事件(1939年)の実態はいまだによくわかっていない。あまりの惨敗に、責任追及を恐れた軍部が記録をあまり残さなかったからだとも言われている。しかし、敗戦は戦訓の宝庫だ。ここでは航空戦について見る。
ノモンハンにおけるソ連の主力戦闘機は、I-15とI-16だった。Iはイストロビーチェリ(戦闘機)。
I-16は実戦で使われた世界初の単葉機で、脚も引き込み式だった。しかし、旋回が悪くて空中戦に剥かないので、速度は遅いけれども旋回性に優れるI-15(複葉機)も並行して造った。ソ連軍は、この混成部隊だ。
最初、日本軍の九七式戦闘機(単葉機)とI-15との空中戦が始まる。やがてI-15はスッと逃げてしまう。すると上空からものすごいスピードと強力な火力を持つI-16が急降下で襲ってくる。それまで戦闘機戦といえば、互いに顔を見合わせて羽根を振って挨拶してから一対一の決闘をしていた。ところが、ノモンハンの空中戦は、パイロットの技量に頼る個人戦から編隊によるチーム戦に変わった。
それと、日本の戦闘機は滑走路がないと離着陸できない。しかし、ソ連の戦闘機は、見た目は不格好だが、畑の上に下りて畑から飛び立てる。実際の戦闘を考えて造られている分、強かった。
個人戦よりチーム戦。これは後に圧倒的に優秀な零戦を前に米軍が取った戦法でもあった。
ノモンハンの貴重な戦訓を活かさなかった日本軍は、近代的な組織にうまく転換しきれなかった。
同様に近代的なシステムに転換できなかったのがインテリジェンスだ。日露戦争ではストックホルム駐在の明石元二郎・大佐が活躍するなど、日本のインテリジェンスは大きな成果を挙げた。
ところが、それが昭和の戦争では発揮できなかった。なぜか。
日露戦争のころは、明石のような余人をもって代えがたい“情報の神様”が莫大な資金を武器に展開する特務機関方式が日本のお家芸だった。つまり、個人の能力に頼っていた。
ところが、次第に明らかになったのは、他国は組織で情報戦を戦っているという事実だった。それに気づいた陸軍が中野学校をつくったのが1938年で、海軍はもっと遅れをとっていた。
外務省は、戦時中のベルリンでは日本円がもはや信用されず、物資を調達できなくなった。で、ベルリンの大使館員はスイスへ行った。スイスでは、日本円がいくらでもスイス・フランに交換できた。それまでは大使館用の金塊などをこっそり潜水艦で日本から運んできたのだが、それが分かってからは日本円を大量にスイスへ運べばいい。
問題は、このとき、なぜスイスで日本円が使えるのか、誰もその理由を考えようとしなかったことだ。
実は、スイスで交換された日本円は、米国のダレス機関に渡っていた。スパイを日本に上陸させて活動させる工作資金として日本円が必要だったからだ。
要するに、ベルリンの大使館員は、米国の諜報用の紙幣を自ら進んで提供したわけだ。
これも、経済も含めた総合的なインテリジェンスの世界に、戦前の日本が追いついていなかった証左の一つだ。
□佐藤優「昭和史を武器に変える10の思考術」(「文藝春秋SPECIAL」2015年秋号)
↓クリック、プリーズ。↓
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【参考】
「【佐藤優】戦略なき組織は敗北も自覚できない ~昭和史(6)~」
「【佐藤優】人材の枠を狭めると組織は滅ぶ ~昭和史(5)~」
「【佐藤優】企画、実行、評価を分けろ ~昭和史(4)~」
「【佐藤優】いざという時ほど基礎的学習が役に立つ ~昭和史(3)~」
「【佐藤優】現場にツケを回す上司のキーワードは「工夫しろ」 ~昭和史(2)~」
「【佐藤優】実戦なき組織は官僚化する ~昭和史(1)~」
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(7)近代戦は個人の能力よりチーム力
(1)-⑨ノモンハン事件(1939年)の実態はいまだによくわかっていない。あまりの惨敗に、責任追及を恐れた軍部が記録をあまり残さなかったからだとも言われている。しかし、敗戦は戦訓の宝庫だ。ここでは航空戦について見る。
ノモンハンにおけるソ連の主力戦闘機は、I-15とI-16だった。Iはイストロビーチェリ(戦闘機)。
I-16は実戦で使われた世界初の単葉機で、脚も引き込み式だった。しかし、旋回が悪くて空中戦に剥かないので、速度は遅いけれども旋回性に優れるI-15(複葉機)も並行して造った。ソ連軍は、この混成部隊だ。
最初、日本軍の九七式戦闘機(単葉機)とI-15との空中戦が始まる。やがてI-15はスッと逃げてしまう。すると上空からものすごいスピードと強力な火力を持つI-16が急降下で襲ってくる。それまで戦闘機戦といえば、互いに顔を見合わせて羽根を振って挨拶してから一対一の決闘をしていた。ところが、ノモンハンの空中戦は、パイロットの技量に頼る個人戦から編隊によるチーム戦に変わった。
それと、日本の戦闘機は滑走路がないと離着陸できない。しかし、ソ連の戦闘機は、見た目は不格好だが、畑の上に下りて畑から飛び立てる。実際の戦闘を考えて造られている分、強かった。
個人戦よりチーム戦。これは後に圧倒的に優秀な零戦を前に米軍が取った戦法でもあった。
ノモンハンの貴重な戦訓を活かさなかった日本軍は、近代的な組織にうまく転換しきれなかった。
同様に近代的なシステムに転換できなかったのがインテリジェンスだ。日露戦争ではストックホルム駐在の明石元二郎・大佐が活躍するなど、日本のインテリジェンスは大きな成果を挙げた。
ところが、それが昭和の戦争では発揮できなかった。なぜか。
日露戦争のころは、明石のような余人をもって代えがたい“情報の神様”が莫大な資金を武器に展開する特務機関方式が日本のお家芸だった。つまり、個人の能力に頼っていた。
ところが、次第に明らかになったのは、他国は組織で情報戦を戦っているという事実だった。それに気づいた陸軍が中野学校をつくったのが1938年で、海軍はもっと遅れをとっていた。
外務省は、戦時中のベルリンでは日本円がもはや信用されず、物資を調達できなくなった。で、ベルリンの大使館員はスイスへ行った。スイスでは、日本円がいくらでもスイス・フランに交換できた。それまでは大使館用の金塊などをこっそり潜水艦で日本から運んできたのだが、それが分かってからは日本円を大量にスイスへ運べばいい。
問題は、このとき、なぜスイスで日本円が使えるのか、誰もその理由を考えようとしなかったことだ。
実は、スイスで交換された日本円は、米国のダレス機関に渡っていた。スパイを日本に上陸させて活動させる工作資金として日本円が必要だったからだ。
要するに、ベルリンの大使館員は、米国の諜報用の紙幣を自ら進んで提供したわけだ。
これも、経済も含めた総合的なインテリジェンスの世界に、戦前の日本が追いついていなかった証左の一つだ。
□佐藤優「昭和史を武器に変える10の思考術」(「文藝春秋SPECIAL」2015年秋号)
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【参考】
「【佐藤優】戦略なき組織は敗北も自覚できない ~昭和史(6)~」
「【佐藤優】人材の枠を狭めると組織は滅ぶ ~昭和史(5)~」
「【佐藤優】企画、実行、評価を分けろ ~昭和史(4)~」
「【佐藤優】いざという時ほど基礎的学習が役に立つ ~昭和史(3)~」
「【佐藤優】現場にツケを回す上司のキーワードは「工夫しろ」 ~昭和史(2)~」
「【佐藤優】実戦なき組織は官僚化する ~昭和史(1)~」
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