語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【佐藤優】無関心の共存は可能か ~ キリスト教の限界(10)~

2015年11月15日 | ●佐藤優
 (承前)

(10)無関心の共存は可能か
 まったく予測不能だが、一度、ナチスに代わるものが出現した。戦後の東西冷戦時の共産主義だ。
 バルト主義者たちは、ナチスと対峙したバルトの枠組みを使って反共戦線をつくろうとした。霊感説の立場に立って、反共十字軍をつくろうとしたのだ。バルトの盟友の神学者エミール・ブルンナーも反共十字軍に参加した。
 しかし、バルトはそれに異を唱えた。バルト自身は、ナチズムはキリスト教徒、プロテスタントにとって誘惑になったが、共産主義は誘惑にならないから危険性は少ないと釈明した。
 そもそもバルトは、他のプロテスタント神学者と比較して、ロシア革命に対して肯定的な評価をした。共産主義体制を積極的には支持しないが、西側の反共主義には反対した。
 バルトは第二次世界大戦後、西ドイツ再建に参与するか、スイスで主著『教会教義学』の執筆を継続するかについて悩んだ。結論は、スイスに留まるという選択だった。結局は未完のままで終わったが、完成に努力した。
 バルトは自分の問題点や欠陥も非常によくわかった上で、身を処した。相当な自己理解能力と自己批判能力があったわけだ。
 バルトが反共戦線に加わらなかった理由の一つは、社会的な公平や労働者の状況改善という共産主義者の訴えは、本来ならキリスト教の役目だという見方だ。共産主義運動は、神の前での自己批判としてしっかり受け止めねばならないと考えた。
 神がプロテスタント教会の不甲斐ない現状に怒り、もっと真面目にやりなさいと、鞭としての共産主義を作り出したという発想だ。反共主義者となって共産主義を排除することは、鞭を振るう神に対して逆らうことになる。
 それはユダヤ教の論理と同じだ。ユダヤ教の人びとは、バビロニアやアッシリアが攻めてくるのは、神の与える試練の鞭だと考えた。
 その立場からすると、イスラム教が勢力を伸ばしてきた場合、バルト神学にはどのような選択肢があるか。
 隣人となったムスリムとは関わらない、という形の共存はあり得る。
 無関心だから共存できる、という考え方だ。それはバルト神学から導き出される一つのあり方だ。
 してみると、米国のプロテスタントは、歴史を勉強すればキリスト教の他宗派だけでなく、イスラム教やユダヤ教と無関心な併存という賢明な選択が可能ではないか。
 無関心の併存、共存を考えるなら、三つの一神教の聖地エルサレムに学ぶべきところは非常に大きい。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教のさまざまな宗派が集まっていたにもかかわらず、イスラエル建国までのエルサレムでは深刻な紛争はなかった。
 しかし、無関心からくる共存を世界的に保証する仕組みづくりは難しい。保障できない。世俗的国家が信教の自由という形で無関心な共存を保障しても、国家には境界がある。国家の外側までは保障できない。
 信教の自由を保障する世俗的国家がある反面、イラン・イスラム共和国のような原理主義国家をはじめ、いろいろな国家や組織が存在する。その間でいつ紛争が起きてもおかしくはない状況だ。

□佐藤優『あぶない一神教』(小学館新書、2015)/共著:橋爪大三郎
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 【参考】
●第3章 キリスト教の限界
【佐藤優】イエス・キリストは「神の子」か ~ キリスト教の限界(1)~
【佐藤優】ユニテリアンとは何か ~ キリスト教の限界(2)~
【佐藤優】ハーバード大学にユニテリアンが多い理由 ~ キリスト教の限界(3)~
【佐藤優】サクラメントとは何か ~ キリスト教の限界(4)~
【佐藤優】何がキリスト教信仰を守るのか ~ キリスト教の限界(5)~
【佐藤優】第一次世界大戦という衝撃 ~ キリスト教の限界(6)~
【佐藤優】なぜバルトはナチズムに勝ったのか ~ キリスト教の限界(7)~
【佐藤優】皇国史観はバルト神学がモデル? ~ キリスト教の限界(8)~
【佐藤優】米国が選ぶのは実証主義か霊感説か ~ キリスト教の限界(9)~
【佐藤優】無関心の共存は可能か ~ キリスト教の限界(10)~

●第4章 一神教と資本主義
【佐藤優】資本主義は偶然生まれたのか ~一神教と資本主義(1)~
【佐藤優】なぜ人間の論理は発展したのか ~一神教と資本主義(2)~
【佐藤優】最後の審判を待つ人の心境はビジネスに近い ~一神教と資本主義(3)~
【佐藤優】15世紀の教会はまるで暴力団 ~一神教と資本主義(4)~
【佐藤優】隣人が攻撃されたら暴力は許されるのか ~一神教と資本主義(5)~
【佐藤優】自然は神がつくった秩序か ~一神教と資本主義(6)~
【佐藤優】働くことは罰なのか ~一神教と資本主義(7)~
【佐藤優】市場経済が成り立つ条件 ~一神教と資本主義(8)~
【佐藤優】神の「視えざる手」とは何か ~一神教と資本主義(9)~
【佐藤優】なぜイスラムは、経済がだめか ~一神教と資本主義(10)~

  

【佐藤優】米国が選ぶのは実証主義か霊感説か ~ キリスト教の限界(9)~

2015年11月15日 | ●佐藤優
 (承前)

(9)米国が選ぶのは実証主義か霊感説か
 バルトが属したカルヴァン派は、非体系的、直感的な宗派だ。それを知りつつバルトは『教会教義学』でカルヴァン派の教義の体系をつくろうとした。大きなチャレンジだ。
 しかし、バルトのテキストは日常的な言語とも哲学論文とも異なった独特の言葉と文体なので、わかりにくい。『教会教義学』を自力で読み解くことができるようになれば、それ以外の神学書も読みこなせると言われているほどだ。
 『ローマ書講解』にしても、この人は何を言いたいのか、と一読しただけではよくわからない文章だ。この本は、1919年の発売直後、社会に無視された。当時の支配階級にいた神学者たちはバルトを狂人扱いにしたほどだ。
 しかし、4年ほど経ってドイツの混迷の深まりとともに除々に受け入れられはじめた。
 実証主義と素朴な霊感説。どちらかを選択しろと迫られれば、素朴な霊感説の立場に立つが、どちらかを選べと言われていない状況なので、私は助かった・・・・バルトは『ローマ書講解』でそんな意味のことを言っているが、この心理状態はいまの米国そのものだ。
 実証主義、つまり世俗主義や民主主義、ビジネスや科学・・・・みなキリスト教徒でありながら様々な活動を行っている。
 素朴な霊感説・・・・これは教会で聖書を読み、説教を聞く。
 米国では実証主義と素朴な霊感説の両方が、日常生活に取り込まれている。いや、そうあるべきだと思っている。いまは、幸いにも選択しなければならない状況ではないだけで、どちらか一方を選べと迫られたら、バルトのように後者である素朴な霊感説を選ぶ。
 この流れでいえば、米国の土台が揺らぐのは、実証主義か素朴な霊感説か、どちらかを選ばなければならない状況に追い込まれたときだ。
 これから国力がどんどん下がっていく米国が、何で国家を守るのか。選択肢は二つある。
  (a)科学技術(実証主義)。
  (b)キリスト教信仰(素朴な霊感説)。
 米国は、これまで(a)の発展と(b)を両立させて国を発展させてきた。しかし、それが限界にきている。
 バルトは、ナチスの台頭で選択を迫られた。そこで素朴な霊感説を選んだ。一方、実証性を重視した既存の神学を学んでいた人たちの多くはナチズムに引っ張られた。
 この現代、もう一度ナチスの代わりに何かが現れたら、果たして大多数はどちらに振れるか、まったく予想がつかない。

□佐藤優『あぶない一神教』(小学館新書、2015)/共著:橋爪大三郎
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 【参考】
●第3章 キリスト教の限界
【佐藤優】イエス・キリストは「神の子」か ~ キリスト教の限界(1)~
【佐藤優】ユニテリアンとは何か ~ キリスト教の限界(2)~
【佐藤優】ハーバード大学にユニテリアンが多い理由 ~ キリスト教の限界(3)~
【佐藤優】サクラメントとは何か ~ キリスト教の限界(4)~
【佐藤優】何がキリスト教信仰を守るのか ~ キリスト教の限界(5)~
【佐藤優】第一次世界大戦という衝撃 ~ キリスト教の限界(6)~
【佐藤優】なぜバルトはナチズムに勝ったのか ~ キリスト教の限界(7)~
【佐藤優】皇国史観はバルト神学がモデル? ~ キリスト教の限界(8)~
【佐藤優】米国が選ぶのは実証主義か霊感説か ~ キリスト教の限界(9)~
【佐藤優】無関心の共存は可能か ~ キリスト教の限界(10)~

●第4章 一神教と資本主義
【佐藤優】資本主義は偶然生まれたのか ~一神教と資本主義(1)~
【佐藤優】なぜ人間の論理は発展したのか ~一神教と資本主義(2)~
【佐藤優】最後の審判を待つ人の心境はビジネスに近い ~一神教と資本主義(3)~
【佐藤優】15世紀の教会はまるで暴力団 ~一神教と資本主義(4)~
【佐藤優】隣人が攻撃されたら暴力は許されるのか ~一神教と資本主義(5)~
【佐藤優】自然は神がつくった秩序か ~一神教と資本主義(6)~
【佐藤優】働くことは罰なのか ~一神教と資本主義(7)~
【佐藤優】市場経済が成り立つ条件 ~一神教と資本主義(8)~
【佐藤優】神の「視えざる手」とは何か ~一神教と資本主義(9)~
【佐藤優】なぜイスラムは、経済がだめか ~一神教と資本主義(10)~

  

【佐藤優】皇国史観はバルト神学がモデル? ~ キリスト教の限界(8)~

2015年11月15日 | ●佐藤優
 (承前)

(8)皇国史観はバルト神学がモデル?
 (7)の「経綸的三一論」は日本人になじみ深い皇国史観に似ている。自己の信念を曲げないという決意と、命をかける覚悟があるならば、それが必ず実現するだろうという信念だ。
 皇国史観に影響を与えたのが西田幾多郎だ。師について『西田哲学の根本問題』(1936年)を書いたキリスト教神学者の滝沢克己はバルト門下生だ。この本を書く前に、滝沢は西田にドイツでハイデッガーのもとで学びたいと相談に行く。西田はしかし、ボン大学のバルトのものへ行けと説得した。いまの日本にとって、バルトから学ぶことが非常に重要だから、と。
 戦前に京大で教鞭をとっていた田辺元や高山岩男ら京都学派の哲学者たちにもバルトは大きな影響を与えた。皇国史観に代表される戦前の日本の思想が構築されていく過程において、バルト神学は一つの柱になった。
 だから、バルト神学、いや現代神学は、天皇への徹底した服従、自由主義、民主主義、社会主義などの排除を説いた『国体の本義』と考え方の親和性がとても高い。
 要するに、ナチスは危険だが、ナチスに勝利したバルトも危険だ。バルトのイデオロギーはナチスよりも力を持っていた。
 だが、バルトの考えには説得力が乏しい。実証主義に対して対話の拒否、論理のジャンプがある。
 それにひきかえハイデッガーは、理性と根拠にもとづいて議論を進めていく。論理をジャンプして立場を選択したり、奇妙なことを語りはじめたりはしない。
 バルトの本は、モノローグを展開しているだけで、相手なしに自問自答したのではないかと思われる瞬間がある。バルトは究極的に対話不能な神学者だ。同時に規格外の人間でもある。
 バルトは女性問題のトラブルが多い人だった。自分の奥さんとは知的な会話を一切行わなかった。その一方でバルトの自宅には、キルシュバウムという女性秘書も同居していた。バルトを語る上でタブーになっている女性だ。
 彼女はもともと看護師で、神学的な素質があった。キルシュバウムは最後に脳の病気で入院した。途端に当時手がけていたバルトの主著『教会教義学』の制作が滞った。『教会教義学』は事実上バルトとキルシュバウムの共作だ。にもかかわらずバルトはキルシュバウムに金を払わなかった。
 プロテスタントであれ、キリスト教のどの宗派であれ、人間を信頼してはならない、という原則がある。
 キリスト教はアンチヒューマニズムの宗教だからだ。現在を持つ人間を悪であり、弱いものであると考えて、手放しには肯定しないわけだ。
 だとすれば、バルトがどれだけ女性問題を抱えていたとしても、人間として信頼できない人だったとしても、問題はなくて、バルトが確立した神学の価値は揺らぐことはない。
 とはいえ、カトリシズムでは救済のためには「信仰と行為が必要である」と主張している。一方、プロテスタンティズムでは、「信仰のみ」の一元論を強調する。ただし、それは、行為がどうでもいいからではなく、信仰があるならば必ず行為に結びつく「信仰即行為」「行為即信仰」という立場から生まれた考えだ。
 だから身近な人とどのような関係を構築するかは、神学者として大切な要素だ。神学者には、他者に対する共感能力、他者の痛みを感じる能力が必要だ。
 いずれにしてもバルトの評価が難しいという事実には変わりない。
 プロテスタント教会はバルトを20世紀最大の神学者として尊重した。そして「究極的には対話不能な」バルトが構築した論理から栄養を受け取り、その神学や教義を形成しているとするなら、行き詰まるしかない。
 事実、どん詰まりなのだ。この40年ぐらい、神学的に意味がある議論がなされていない。だから一度、バルトを拒否して旧約聖書に回帰する動きや、もう一度エコロジーに帰る流れはある。
 エコロジーは自然の秩序だ。創造には神の秩序が反映されているという方向に戻ろうという動きだ。神学のなかでもこのような試みはいくつか出ている。
 しかし、「現代神学の父」と呼ばれるバルトの枠から外れることは難しい。

□佐藤優『あぶない一神教』(小学館新書、2015)/共著:橋爪大三郎
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 【参考】
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【佐藤優】イエス・キリストは「神の子」か ~ キリスト教の限界(1)~
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【佐藤優】無関心の共存は可能か ~ キリスト教の限界(10)~

●第4章 一神教と資本主義
【佐藤優】資本主義は偶然生まれたのか ~一神教と資本主義(1)~
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【佐藤優】なぜイスラムは、経済がだめか ~一神教と資本主義(10)~

  

【佐藤優】なぜバルトはナチズムに勝ったのか ~ キリスト教の限界(7)~

2015年11月15日 | ●佐藤優
 (承前)

(7)なぜバルトはナチズムに勝ったのか
 19世紀に実証主義の大嵐がきた(代表:「史的イエスの研究」)。バルトはそれを必死に食い止めようとした。バルトは、イエス・キリストが実証できなくても、人びとがイエスを“神の子”だと信じてきたキリスト教の伝統の中に神がいる、それで問題ない、と考えた。
 人びとが“神の子”だと信じてきた伝統がある、我々としてはそこまでしか言えない、というのがバルトの立場だ。
 バルトのバックボーンは、父親がスイスのファンダメンタリスト(原理主義者)だった。普通は、ファンダメンタリスト的なバックボーンがあれば強い反発を覚えて、ファンダメンタリズムとは真逆の実証性を重視する方向で進むケースが多い。バルトはそうでなかった。
 では、バルトの立場とは何か。
 単なる実証主義には立たず、教会や聖書の伝統の立場を尊重する。その伝統野中にイエス・キリストは“神の子”だとあるから、自分もその考えを支持するという。その立場に立ちたいから立っている、と言っているだけで、説得力がない。
 一種の独断論だ。単に“神の子”だと断言しただけ。趣味の問題、好みの問題だと片付けられても仕方ない。
 好みを主張する権利は誰にもある。
 一見、柔軟な考えにも聞こえる。ただし、落とし穴がある。
 キリスト教徒が、神が世界を造ったという伝統の中でそれを主張するならば、ムスリムは異議がないだろう。しかし、キリスト教徒が、イエス・キリストが“神の子”であって“救い主”であるという立場に立つなら、ムスリムは反対の立場に立たざるを得ない。すると、キリスト世界とイスラム世界は永遠の平行線を辿ることになる。互いの立場を譲れないわけだから。
 否、永遠の平行線を辿ることにはならない。最終的には互いに力で解決しようとする。
 米国もそう考えるだろう。イスラム世界もそう思うだろう。残されるのは米国正規軍とテロリストの軍事対決という選択しかなくなる。
 その意味でバルト神学は危険な可能性を秘めている。
 実際、バルトも第二次世界大戦時にナチズムに対抗する思想を作り上げた。
 1934年、ナチスに反対する牧師や信徒が集結し、国家と教会を一体化させる「ドイツ・キリスト者」運動は偽りであるというバルメン宣言を起草し、告白教会という組織を立ち上げた。告白教会の理論的指導者はバルトだ。
 バルトは、ナチズムの嵐に巻き込まれていたヨーロッパのなかで、それに抵抗していくドクトリンを構築した。反ナチスのシンボリックな役割も果たした。60歳に近いバルト自身が鉄砲を担いでスイスの国境警備をやったのだ。
 結果としてナチスに勝利するのだが、彼にとって勝つのは自明だった。イエス・キリストというたった一言の前でアドルフ・ヒトラーは粉砕される。世界は神によって支配されて経営されているという考え(「経綸的三一論」)に基づいているから、そうなる理(ことわり)なんだ、と信じている。

□佐藤優『あぶない一神教』(小学館新書、2015)/共著:橋爪大三郎
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 【参考】
●第3章 キリスト教の限界
【佐藤優】イエス・キリストは「神の子」か ~ キリスト教の限界(1)~
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【佐藤優】第一次世界大戦という衝撃 ~ キリスト教の限界(6)~

2015年11月15日 | ●佐藤優
 (承前)

(6)第一次世界大戦という衝撃
 キリスト教は第一次世界大戦を境に大きく変わった。イギリスの歴史家エリック・ボブズボームは1789年(フランス革命)から1914年(第一次世界大戦終了)までを「長い19世紀」と名づけた。「長い19世紀」は啓蒙の時代だ。多くの人が基本的には科学と人間の理性に頼ることで理想の社会が作られていくと考えていた。
 「長い19世紀」はナショナリズムの時代でもあった。第一次世界大戦で国家や民族という大義の前に命を投げ出す土壌がつくられてしまった。
 19世紀は基本的に啓蒙の言葉を継承していた。しかし、理性を基本にした社会から世界大戦が生じてしまった。伝統的な神学はこの世界を追認することしかできなかった。この限界を克服しようとする過程でバルト神学が生まれた。
 啓蒙主義より前のプロテスタンティズムでは、神は天上にいると考えられていた。しかし、それでは天体学や科学などと矛盾してしまう。矛盾しない場所に神を置く必要に迫られた。
 そんな時期、シュライエルマッハーは、神は心の中にいるという説を唱えた。
 しかし、神が心の中にいると、自分の主観的な感情と神を区別できなくなる。絶対的な存在の神を心の中に認めることで、人間の自己絶対化の危険性も生まれた。
 このシュライエルマッハーの考えを否定したのがバルトだ。
 神は物理的な意味で上にいないことを理解しながらも「神は上にいる」と主張した。人間は神ではないから神について知ることはできない。語ることもできない。しかし、牧師や神学者は信徒に神について語らなければならない。だから神学は「不可能の可能性」に挑戦するがくもんだと主張した。
 バルトが「不可能の可能性」と語ったのは第一次世界大戦後の1918年。その翌年『ローマ書購解』が刊行された。この本から、神の居場所がシュライエルマッハーのいわゆる「心の中」から「上」に変わったといえる。
 宗教や思想の領域を見るかぎり、第一次世界大戦が与えたショックは甚大で、第二次世界大戦はその二番煎じにすぎなかった。
 ボブズボームは、第一次世界大戦からソ連崩壊までを「短い20世紀」と言った。その中でも第一次世界大戦から第二次世界大戦までを合わせて「31年戦争」と呼ぶ。あれは二つの戦争ではなく、一つの戦間期だったと。
 第一次世界大戦の受け止め方は、日本とヨーロッパではまったく違う。日本にとっての第一次世界大戦は、帝国主義国として国際社会でのし上がっていくための一つのプロセスだった。棚からぼた餅のように国際連盟の常任国にもなれた。日本から見るとラッキーな戦争だった。第一次世界大戦がヨーロッパに与えた深刻な雰囲気を日本は知りようがない。
 米国も日本と同様に、ヨーロッパを覆った暗い空気を共有できてはいない。
 米国は、ヨーロッパが一枚岩になることをもっとも恐れている。ソ連と西欧が争う不均衡な状態は米国にとっては好都合だ。
 同じヨーロッパでもドイツ、スイス、チェコでは第一次世界大戦の受け止め方がまったく違う。
  (a)ドイツにとっては破滅であり、破壊だった。この先どうなるか、先が見えなかった。だから民衆だけでなく、多くの神学者がナチズムに救いを求めて接近していった。
  (b)スイス人だったバルトは、そこから距離を置いた。バルトは、ナチスに宣誓を求められたとき、国家公務員として一言だけ添え書きをした。「ただし、福音主義(プロテスタント)教会のメンバーとして従える範囲において」と。それでクビになった。最終的にはバルトは反ナチズムのドクトリンを築くのだが、当初は条件付きだが、忠誠を示した。中途半端な立ち位置はいかにもスイス人的だ。
  (c)チェコにとっては、解放だった。オーストリア・ハンガリー帝国が崩壊し、チェコスロバキアが独立した。500年間も統治を続けたハプスブルグ家のくびきから解き放たれて、開放的な雰囲気が漂った。

□佐藤優『あぶない一神教』(小学館新書、2015)/共著:橋爪大三郎
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【佐藤優】イエス・キリストは「神の子」か ~ キリスト教の限界(1)~
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