語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【佐藤優】自然は神がつくった秩序か ~一神教と資本主義(6)~

2015年11月12日 | ●佐藤優
 (承前)

(6)自然は神がつくった秩序か
 キリスト教の教えでは、すべての人が生きていく権利がある。しかし、地上の資源には限りがある。それをどう分配していくかが経済学のテーマだ。
 <例>限りある資源をめぐり奪い合いの戦争が起こる。トマス・ホッブスのいわゆる自然状態だ。でも、それは決して好ましい状態でも最善の状態でもない。
 キリスト教徒は、自然状態から出発して、どのように秩序を生み出すことができるか、その論理を突き詰めた。
 まず、神がつくった秩序を人間が壊してはならない。
 では、神がつくった秩序とは何か。
 「創世記」の天地創造では、6日目までに天と地、海と陸地、天体、植物、水中の生き物と空を飛ぶ鳥、動物、人間を造った。7日目以降は、それが機械的に運動することになる。
 そこには天体があり、山があり川があり、野原があった。動物も人間もいた。秩序とは自然環境だ。自然は神が造ったものだから、それ自体に価値があると考える。
 神が造ったあらゆるもののなかで、人間だけに罪がある。それは、人間が自由意思を持ち、被造物のなかで一段高い場所に立ち、神と交流する存在だからだ。では人間も、自然の一部であるなら、自分を正当化していいのではないか。自分の罪を肯定してはいけないにせよ。
 それが“right”・・・・権利だ。人間が生まれながらに持っている自然権だ。
 人間は身体を神に手造りされ、命も与えられた。生きていってよい。身体も命も神の造った秩序だから、自然。自分に与えられた自然を正当化してよい。この正しさを権利という。
 人間一人ひとりに平等に自然権が与えられているのであれば、均衡状態が生まれるはずだ。「あなたの権利はここまで」「私の権利はここから」というふうに、相手の権利を侵さないように自分の権利を確定する均衡。
 ホッブスは均衡する前の状態を自然状態と呼んだ。均衡したあとの状態は社会状態だ。それが社会契約によって生まれるかどうかはさて措き、西洋文明はこの均衡を社会の秩序と考えるようになった。
 かくして400年ほど前に自然法が見出された。国際法も国内法も自然の秩序をもとにした自然法によって基礎づけよう。自然法はすべてのキリスト教徒が従わなければならない規則だから、イスラム法シャリーアに匹敵する。
 自然法ができたことでキリスト教徒の自己正当化の基準も明確になった。
 逆に言えば、自然法に合致しているかぎり、神がつくった秩序に従っていることになる。自然法は神の秩序だから、最後の審判で有罪とされる根拠にはならない。これで信仰の立場からは安心できるようになった。
 自然法とは、人間の理性に基づくルールだ。
 自然法は、理性によって発見される、と定義されている。それなら理性とは何か。キリスト教の考えによれば、人間の理性は神の精神作用のコピーだ。人間それぞれに神の精神作用がコピーされ、神とは独立して動いている。
 ならば理性を使い、自然を解明すれば、神の創造のわざを明らかにし、神に近づくことができる。
 理性は人間というパソコンに神の精神作用という名のソフトウェアをダウンロードされたもの、と考えるとわかりやすい。しかも無料。人間は誰でも同一アプリを共有しているから、配給元のソフト会社がかりに倒産しても問題ない。人間の理性さえあれば、自然法の秩序(近代社会)は維持できる。
 それは、神がいるかどうかと無関係にキリスト教の秩序は維持され、キリスト教自体も存続していくということだ。
 神学的に言えば世俗化だ。
 隣人愛では、自分と隣人の生命が保証された。自然法では、他者の自由や財産も侵害してはいけないし、経済の根本である個人の所有権が認められる。
 経済の根本は、所有権の絶対、あと契約の絶対、利潤追求の正当化だ。
 神学的には所有権を正当化する決まった答えはない。ただ、考えてみて出てくるのは、
 <信者たちは皆一つになって、すべての物を共有にし、財産や持ち物を売り、おのおのの必要に応じて、皆がそれを分け合った>【使徒言行録2章44、45節】
 信徒たちがすべての物を共有したとは、前提として信徒個人にも所有物があったわけだ。つまり当時も私有財産があったと読むことができる。
 ただし、それを貯蓄することは奨励されていなかった。
 <金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい>【マルコ福音書10章25節】 
 これは、「神も信じています。隣人も愛しています」という金持ちの青年に「財産をすべて寄付して私についてきなさい」とイエスが言うと、彼は悲しそうな顔をして帰っていった。そのときのイエスの言葉だ。
 財産を持つことは、信仰の立場から見ると大きな問題だったのだ。
  ①<あなたがたは、神と富とに仕えることはできない>【マタイ福音書6章24節】
  ②<富は、天に積みなさい>【同6章20節】
 天に宝を蓄えれば錆びつかないし、泥棒に盗まれることもない、と教えている。
 実際に蓄財していると、教会がやってきて②を根拠に「おまえはそういう態度で金を貯め込んでいるのか。それはよくない」と寄付を迫る。こうして個人の経済余剰は教会が全部巻き上げていく。
 その金が大理石の立派な教会に形を変える。
 生産設備ではない教会の建物は、完全な消費(浪費)にあたる。
 では、消費活動ばかりする社会はどうなるか。
 貯蓄できずに経済余剰がすべて消費されるので、拡大再生産ができない。経済発展がまったく望めない社会だ。キリスト教世界はそういう状態で、祈りの生活を最優先し、1,000年以上を過ごしてきた。
 それは過去の話ではなくて、カトリック文化圏と正教文化圏ではいまもその習慣は根強く残っている(プロテスタントでは、教会に貢献したかどうかは救済と結びつかない)。
 だからカトリック文化圏と正教文化圏では貯金をする人が少ない。
 それが、いま問題になっているギリシアの財政破綻につながる。ギリシアも正教だから。
 貯蓄の習慣がないから、みんなに気前よくおごる。あとは、お祭りで一気に金を使う。中南米がそうだ。ブラジルは世界でもっともカトリックの人口が多い国だから、日常的に大変な消費をする。佐藤優の妹はブラジルに住んでいるが、消費感覚は完全にブラジル人だ。景気よく金を使っている。
 その消費の仕方は、キリスト教徒ならではだ。所有に対する罪悪感があるから、所有した財産を手放さなければならないという強迫観念がついてまわるのだ。

□佐藤優『あぶない一神教』(小学館新書、2015)/共著:橋爪大三郎
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 【参考】
●第3章 キリスト教の限界
【佐藤優】イエス・キリストは「神の子」か ~ キリスト教の限界(1)~
【佐藤優】ユニテリアンとは何か ~ キリスト教の限界(2)~
【佐藤優】ハーバード大学にユニテリアンが多い理由 ~ キリスト教の限界(3)~
【佐藤優】サクラメントとは何か ~ キリスト教の限界(4)~
【佐藤優】何がキリスト教信仰を守るのか ~ キリスト教の限界(5)~
【佐藤優】第一次世界大戦という衝撃 ~ キリスト教の限界(6)~
【佐藤優】なぜバルトはナチズムに勝ったのか ~ キリスト教の限界(7)~
【佐藤優】皇国史観はバルト神学がモデル? ~ キリスト教の限界(8)~
【佐藤優】米国が選ぶのは実証主義か霊感説か ~ キリスト教の限界(9)~
【佐藤優】無関心の共存は可能か ~ キリスト教の限界(10)~

●第4章 一神教と資本主義
【佐藤優】資本主義は偶然生まれたのか ~一神教と資本主義(1)~
【佐藤優】なぜ人間の論理は発展したのか ~一神教と資本主義(2)~
【佐藤優】最後の審判を待つ人の心境はビジネスに近い ~一神教と資本主義(3)~
【佐藤優】15世紀の教会はまるで暴力団 ~一神教と資本主義(4)~
【佐藤優】隣人が攻撃されたら暴力は許されるのか ~一神教と資本主義(5)~
【佐藤優】自然は神がつくった秩序か ~一神教と資本主義(6)~
【佐藤優】働くことは罰なのか ~一神教と資本主義(7)~
【佐藤優】市場経済が成り立つ条件 ~一神教と資本主義(8)~
【佐藤優】神の「視えざる手」とは何か ~一神教と資本主義(9)~
【佐藤優】なぜイスラムは、経済がだめか ~一神教と資本主義(10)~

  
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【佐藤優】隣人が攻撃されたら暴力は許されるのか ~一神教と資本主義(5)~

2015年11月12日 | ●佐藤優
 (承前)

(5)隣人が攻撃されたら暴力は許されるのか
 人間に原罪があるとするキリスト教は、アンチヒューマニズムの宗教だ。どうすれば罪深い存在である自分を愛することができるか、という問題が出てくる。
 キリスト教では、人間は誰しも神から与えられた命を全うする義務があるから、食べ物を食べて身の安全を確保し、生き延びていいと考えた。そうやって寿命を全うするまでの活動は神の命令だと解釈もできる。
 その範囲に殺生も入る。
 ただし、他者を殺して自分が生き延びるのは駄目だ。自分を愛するように他人を愛していないからだ。だから、他者を犠牲にして自分だけよければいい、という態度は禁止されている。
 もう一歩踏み込めば、何かのために命を捨てる覚悟をした人間がいる。むろん、自分を愛している。そんな人間は他者を殺害することができるのではないか。キリスト教がナショナリズムに転換した瞬間に生み出されるロジックだ。
 それは農民戦争の論理だ。
 ルターの宗教改革をきかっけに、教会や諸侯の抑圧に苦しんでいた農民がドイツ各地で蜂起した。おびただしい数の農民が殺された。そんななか、一人の軍人がルターに質問した。
 「剣を手に、人びとを取り締まり、場合によっては殺害するのが私の仕事だ。しかし、これは神に背いているのではないだろうか」
 ルターは答えた。「右の頬を打たれたら左の頬をさし出せ。下着を取ろうとする者には、上着も与えなさい」と書いてある。自分が攻撃されて、反撃するのは、聖書の教えに反するかもしれない。でもい隣人が攻撃された場合、剣をとって駆けつけ、悪漢を退治するのは正しい。それこそまさに、隣人がそうしてほしいと願うことだからだ、と。
 これは集団的自衛権だ。
 こんな問答から、警察、軍隊のような公権力は暴力を行使しても隣人愛の実践だとして正当化できることになる。
 また、ルターは、農民戦争で最後の審判を楯に、「農民を皆殺しにせよ」と諸侯たちに訴えている。
 「農民たちは神の意に反している。これ以上、農民たちを放置しておくと彼らの魂が汚れ、最後の審判の日に復活できなくなる。いま皆殺しにすれば、最後の審判の日に彼らも永遠の命を得られるかもしれない」
 一神教が迷走すると、こういう論理が生まれる。危ない一神教だ。
 ヒトラーが最も尊敬しているドイツの先人としてルターを挙げたのも宜なるかな。キリスト教は、こういう狡いロジックを時々組み立てる。
 自分を愛していい、という文言を前提に、どのようなときに暴力を行使していいのか、法のないところをロジックを駆使して正当化する仕組みになっている。こうした仕組みが資本主義を正当化することにもなった。

□佐藤優『あぶない一神教』(小学館新書、2015)/共著:橋爪大三郎
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 【参考】
●第3章 キリスト教の限界
【佐藤優】イエス・キリストは「神の子」か ~ キリスト教の限界(1)~
【佐藤優】ユニテリアンとは何か ~ キリスト教の限界(2)~
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【佐藤優】米国が選ぶのは実証主義か霊感説か ~ キリスト教の限界(9)~
【佐藤優】無関心の共存は可能か ~ キリスト教の限界(10)~

●第4章 一神教と資本主義
【佐藤優】資本主義は偶然生まれたのか ~一神教と資本主義(1)~
【佐藤優】なぜ人間の論理は発展したのか ~一神教と資本主義(2)~
【佐藤優】最後の審判を待つ人の心境はビジネスに近い ~一神教と資本主義(3)~
【佐藤優】15世紀の教会はまるで暴力団 ~一神教と資本主義(4)~
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【佐藤優】15世紀の教会はまるで暴力団 ~一神教と資本主義(4)~

2015年11月12日 | ●佐藤優
 (承前)

(4)15世紀の教会はまるで暴力団
 15世紀に全世界のカトリック教徒の精神的指導者であり、神の代理人であるローマ教皇が3人並び立つ、というあり得ない事態が生じた時期があった。
 そのうちその一人が、ナポリ貧窮貴族の出身で元海賊と伝えられるヨハネス23世。元海賊がローマ教皇になって大丈夫か、と感じるのが普通だ。しかも3人は互いに罵り合い、傭兵を雇って戦争し、免罪符を売りまくって大もうけした。自分たちは呑んで酔っ払っているのに、信者にはウエハースしか与えない。
 当時の教会は粉飾会計まみれの会社みたいな感じだ。株主たちは当然心配になる。
 15世紀はじめのチェコの宗教改革者ヤン・フスは、聖書の一節を引用して当時の教会の腐敗を批判した。
 「毒麦とよい麦というのがこの世にはある。しかし毒麦とよい麦は実がなるまでわからない。しかも根っこが絡みついているから、毒麦を抜いてしまうとよい麦まで抜けてしまう。そこで実がなるまで待ってから仕分けして毒麦のほうは火にくべればよい。目に見える教会にいるから救われるわけではない。なかには毒麦がたくさん混じっている」
 毒麦と教会は一緒だ、とフスは言ったのだ。
 当時のカトリック教会で、ミサはラテン語で行われていた。しかし、ラテン語を知らない一般信徒は何が語られているか、わからない。フスは、そんな教会の慣習はおかしいと訴えた。
 神の言葉は、民衆がわかるようにするべきだと、「ベツレヘム礼拝堂」でチェコ語を使って説教をした。しかし、フスに脅威を覚えた教会により、捕らえられて異端の烙印を押された。1415年に火あぶりにされた。ちょうど600年前の出来事だ。
 粉飾まみれの企業どころではない。もう暴力団だ。
 ここから宗教改革が始まった。宗教改革とは、一神教の原則に立ち戻り、信仰共同体の現状を改善すること、ドイツの宗教改革者ルターは、聖書を根拠に、カトリック教会を徹底的に否定した。聖書に書かれていないことはできないと主張した。
 宗教改革は、イエスが唱えた素朴な原始宗教に戻ろうとする復古維新運動だった。
 チェコでは、フスが指導した15世紀のボヘミア宗教改革を第一次宗教改革、16世紀にルターやカルヴァンが起こしたドイツやスイスの宗教改革を第二次宗教改革と呼んでいる。宗教改革を一連の流れとして捉えているのだ。
 フスがいなければルターは出てこなかった。フスについて学んでいたルターは、ドイツのライプチヒで公開討論を行い、教会を批判した。その後、教会から破門されたルターは、支持者の領主にかくまわれた。
 宗教改革以前の教会の腐敗はあまりにもひどい。宗教改革が各地にたちまち拡がったのは当然だ。
 しかし、信徒は忍耐して教会を離れなかった。そのわけは、教会の腐敗よりもナザレのイエスが持つ存在感、説得力、美しさが上回ったのではないか。彼に従った弟子たちをみてみると、ごく普通の人びとばかりだが、少なくともイエス本人だけは違った。そう考えてキリスト教徒は、教会の腐敗に耐えたのではないか。
 教会内で、イエスのリアリティだけは守られていたというわけだ。
 しかし、ここでも同じ問題に行き当たる。ビジネスをしたり、戦争をしたり、あこぎなことをやったり、正しいことをしたり・・・・。イスラムならシャリーアがあるから、善悪の基準が明確だ。しかし教会はその役割を果たしてくれなかった。
 キリスト教徒は聖書を手がかりにするしかなかった。
 聖書を手に取り、次に福音書のページを捲り、善悪の基準、自分の行いを判断した。
 福音書にはこう書いてある。「主を愛せ」。そして「隣人を愛せ」。
 これはイエスの教えだが、実は旧約聖書からの引用だ。汝の隣人を汝自身を愛するように愛しなさい、なのだから、人間は自分を愛していいのだ。けれども、自分と同じように隣人も愛しなさい。

□佐藤優『あぶない一神教』(小学館新書、2015)/共著:橋爪大三郎
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 【参考】
●第3章 キリスト教の限界
【佐藤優】イエス・キリストは「神の子」か ~ キリスト教の限界(1)~
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●第4章 一神教と資本主義
【佐藤優】資本主義は偶然生まれたのか ~一神教と資本主義(1)~
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