(承前)
(5)何がキリスト教信仰を守るのか
イエスの言行のほとんどは実証できない。キリスト教は、イエス・キリストの解釈をめぐり、常に分裂する可能性を孕んでいる。
イスラム教については、ムハンマドは人間だから、どんな実証によってもムハンマドの存在は脅かされない。
ただし、補足すれば、ムハンマドの存在をめぐって議論は少なからず起こっている。シーア派の中には、ムハンマドではなく娘婿のアリーに本来は啓示が下るはずだったと考えている人もいるので、ムハンマドとアリーのどちらを重視すべきか、という議論がある。
この議論は、日蓮宗の宗徒にとって仏教を興したブッダと日蓮宗をつくった日蓮のどちらを基本にするか、という問答に似ている。日蓮宗の大多数はおそらく日蓮と答えるだろう。
ただし、ムハンマドの解釈をめぐる混乱は、イエス・キリストのそれより格段に少ない。キリスト教は、イエス・キリストの解釈をめぐって分岐、分裂を繰り返してきた。
イエス・キリストの実証性については、「近代プロテスタント神学の父」シュライエルマッハーの影響が非常に大きい。彼は、現実に存在する教会は実証的なものだ、と語った。当時、プロイセン国家と教会は一体化していた。その教会と離れた場での神学はあり得ない。具体的に証明できる現実の問題のなかでしか、神については語れないと彼は唱えたのだ。
つまり、神が人間に直接的に働きかける超越や啓示などを押しのけて、人間がつくった実証可能な教会こそが大切だという考え方だ。
その結果、教会も信仰も救いも、国家や国家が定めた制度の一部にされてしまう。キリスト教が持つ超越性も危うくなり、キリスト教自体が成り立たなくなってしまう可能性がある。
トマス・ホッブス『リヴァイアサン』における教会論によれば、普遍的な教会が存在し得るか、という疑問に対してホッブスは、地上に「普遍的な教会」はあり得ないと結論づけた。ここでいう普遍的教会は、神に代わって人間の救済を担保できる人間がつくった組織、と考えるとわかりやすいかも。
では、何がキリスト教信仰を守るのか。
ホッブスは国家という答えを導きだした。
彼自身は、キリスト教を信仰する場を確保して、人間の救済を担保するためには教会は存続させなければならない、という考えだ。それなら、国家が聖書の選定、国民が信仰すべき教会を指定すべきだと結論づけた。国家が教会の上位に立ち、国民のキリスト教信仰を担保する必要があるというわけだ。
国家はいくつもあるので、教会もいくつもあることになる。よって、普遍的な教会は存在できない。逆に言えば、普遍的な教会があれば国家は存在できない。
実際にそのシステムを突き詰めたのが、20世紀初めにドイツで起きた「ドイツ・キリスト者」運動だ。国家と教会を結合させる運動だ。
まず反ユダヤ主義を表明して、聖書のなかから旧約聖書や「パウロの手紙」などのユダヤ教に連なる文献をすべて排除した。その後「福音書」「使徒言行録」を中心とした新しい聖書を編纂した。
その結果、キリスト教とナチスが結びついた。アドルフ・ヒトラーを現実的な救い主にするロジックを組み立て、ナチスの共鳴者だった神学者ミュラーを監督とした帝国教会を創設し、第三帝国の国教とした。
「ドイツ・キリスト者」運動を起こしたのは、主にドイツ・ルター派の人びとだ。ヒトラーはルターを尊敬していた。帝国教会ができてから、ドイツ国内のほとんどの教会が傘下に入った。
超越性を排除した教会は、ナチス時代のドイツに帝国教会という形で存在したことがあったわけだ。
それは宗教の自殺だった。キリスト教どころか宗教でなくなったのだから。
日本も教会の上位に国家が立つというシステムを取り入れて国家神道をつくったが、日本の国家神道は「宗教ではない」という立場をとった。最初から、宗教として自殺しないですむ構成にしていた。
□佐藤優『あぶない一神教』(小学館新書、2015)/共著:橋爪大三郎
↓クリック、プリーズ。↓
【参考】
●第3章 キリスト教の限界
「【佐藤優】イエス・キリストは「神の子」か ~ キリスト教の限界(1)~」
「【佐藤優】ユニテリアンとは何か ~ キリスト教の限界(2)~」
「【佐藤優】ハーバード大学にユニテリアンが多い理由 ~ キリスト教の限界(3)~」
「【佐藤優】サクラメントとは何か ~ キリスト教の限界(4)~」
「【佐藤優】何がキリスト教信仰を守るのか ~ キリスト教の限界(5)~」
「【佐藤優】第一次世界大戦という衝撃 ~ キリスト教の限界(6)~」
「【佐藤優】なぜバルトはナチズムに勝ったのか ~ キリスト教の限界(7)~」
「【佐藤優】皇国史観はバルト神学がモデル? ~ キリスト教の限界(8)~」
「【佐藤優】米国が選ぶのは実証主義か霊感説か ~ キリスト教の限界(9)~」
「【佐藤優】無関心の共存は可能か ~ キリスト教の限界(10)~」
●第4章 一神教と資本主義
「【佐藤優】資本主義は偶然生まれたのか ~一神教と資本主義(1)~」
「【佐藤優】なぜ人間の論理は発展したのか ~一神教と資本主義(2)~」
「【佐藤優】最後の審判を待つ人の心境はビジネスに近い ~一神教と資本主義(3)~」
「【佐藤優】15世紀の教会はまるで暴力団 ~一神教と資本主義(4)~」
「【佐藤優】隣人が攻撃されたら暴力は許されるのか ~一神教と資本主義(5)~」
「【佐藤優】自然は神がつくった秩序か ~一神教と資本主義(6)~」
「【佐藤優】働くことは罰なのか ~一神教と資本主義(7)~」
「【佐藤優】市場経済が成り立つ条件 ~一神教と資本主義(8)~」
「【佐藤優】神の「視えざる手」とは何か ~一神教と資本主義(9)~」
「【佐藤優】なぜイスラムは、経済がだめか ~一神教と資本主義(10)~」
(5)何がキリスト教信仰を守るのか
イエスの言行のほとんどは実証できない。キリスト教は、イエス・キリストの解釈をめぐり、常に分裂する可能性を孕んでいる。
イスラム教については、ムハンマドは人間だから、どんな実証によってもムハンマドの存在は脅かされない。
ただし、補足すれば、ムハンマドの存在をめぐって議論は少なからず起こっている。シーア派の中には、ムハンマドではなく娘婿のアリーに本来は啓示が下るはずだったと考えている人もいるので、ムハンマドとアリーのどちらを重視すべきか、という議論がある。
この議論は、日蓮宗の宗徒にとって仏教を興したブッダと日蓮宗をつくった日蓮のどちらを基本にするか、という問答に似ている。日蓮宗の大多数はおそらく日蓮と答えるだろう。
ただし、ムハンマドの解釈をめぐる混乱は、イエス・キリストのそれより格段に少ない。キリスト教は、イエス・キリストの解釈をめぐって分岐、分裂を繰り返してきた。
イエス・キリストの実証性については、「近代プロテスタント神学の父」シュライエルマッハーの影響が非常に大きい。彼は、現実に存在する教会は実証的なものだ、と語った。当時、プロイセン国家と教会は一体化していた。その教会と離れた場での神学はあり得ない。具体的に証明できる現実の問題のなかでしか、神については語れないと彼は唱えたのだ。
つまり、神が人間に直接的に働きかける超越や啓示などを押しのけて、人間がつくった実証可能な教会こそが大切だという考え方だ。
その結果、教会も信仰も救いも、国家や国家が定めた制度の一部にされてしまう。キリスト教が持つ超越性も危うくなり、キリスト教自体が成り立たなくなってしまう可能性がある。
トマス・ホッブス『リヴァイアサン』における教会論によれば、普遍的な教会が存在し得るか、という疑問に対してホッブスは、地上に「普遍的な教会」はあり得ないと結論づけた。ここでいう普遍的教会は、神に代わって人間の救済を担保できる人間がつくった組織、と考えるとわかりやすいかも。
では、何がキリスト教信仰を守るのか。
ホッブスは国家という答えを導きだした。
彼自身は、キリスト教を信仰する場を確保して、人間の救済を担保するためには教会は存続させなければならない、という考えだ。それなら、国家が聖書の選定、国民が信仰すべき教会を指定すべきだと結論づけた。国家が教会の上位に立ち、国民のキリスト教信仰を担保する必要があるというわけだ。
国家はいくつもあるので、教会もいくつもあることになる。よって、普遍的な教会は存在できない。逆に言えば、普遍的な教会があれば国家は存在できない。
実際にそのシステムを突き詰めたのが、20世紀初めにドイツで起きた「ドイツ・キリスト者」運動だ。国家と教会を結合させる運動だ。
まず反ユダヤ主義を表明して、聖書のなかから旧約聖書や「パウロの手紙」などのユダヤ教に連なる文献をすべて排除した。その後「福音書」「使徒言行録」を中心とした新しい聖書を編纂した。
その結果、キリスト教とナチスが結びついた。アドルフ・ヒトラーを現実的な救い主にするロジックを組み立て、ナチスの共鳴者だった神学者ミュラーを監督とした帝国教会を創設し、第三帝国の国教とした。
「ドイツ・キリスト者」運動を起こしたのは、主にドイツ・ルター派の人びとだ。ヒトラーはルターを尊敬していた。帝国教会ができてから、ドイツ国内のほとんどの教会が傘下に入った。
超越性を排除した教会は、ナチス時代のドイツに帝国教会という形で存在したことがあったわけだ。
それは宗教の自殺だった。キリスト教どころか宗教でなくなったのだから。
日本も教会の上位に国家が立つというシステムを取り入れて国家神道をつくったが、日本の国家神道は「宗教ではない」という立場をとった。最初から、宗教として自殺しないですむ構成にしていた。
□佐藤優『あぶない一神教』(小学館新書、2015)/共著:橋爪大三郎
↓クリック、プリーズ。↓
【参考】
●第3章 キリスト教の限界
「【佐藤優】イエス・キリストは「神の子」か ~ キリスト教の限界(1)~」
「【佐藤優】ユニテリアンとは何か ~ キリスト教の限界(2)~」
「【佐藤優】ハーバード大学にユニテリアンが多い理由 ~ キリスト教の限界(3)~」
「【佐藤優】サクラメントとは何か ~ キリスト教の限界(4)~」
「【佐藤優】何がキリスト教信仰を守るのか ~ キリスト教の限界(5)~」
「【佐藤優】第一次世界大戦という衝撃 ~ キリスト教の限界(6)~」
「【佐藤優】なぜバルトはナチズムに勝ったのか ~ キリスト教の限界(7)~」
「【佐藤優】皇国史観はバルト神学がモデル? ~ キリスト教の限界(8)~」
「【佐藤優】米国が選ぶのは実証主義か霊感説か ~ キリスト教の限界(9)~」
「【佐藤優】無関心の共存は可能か ~ キリスト教の限界(10)~」
●第4章 一神教と資本主義
「【佐藤優】資本主義は偶然生まれたのか ~一神教と資本主義(1)~」
「【佐藤優】なぜ人間の論理は発展したのか ~一神教と資本主義(2)~」
「【佐藤優】最後の審判を待つ人の心境はビジネスに近い ~一神教と資本主義(3)~」
「【佐藤優】15世紀の教会はまるで暴力団 ~一神教と資本主義(4)~」
「【佐藤優】隣人が攻撃されたら暴力は許されるのか ~一神教と資本主義(5)~」
「【佐藤優】自然は神がつくった秩序か ~一神教と資本主義(6)~」
「【佐藤優】働くことは罰なのか ~一神教と資本主義(7)~」
「【佐藤優】市場経済が成り立つ条件 ~一神教と資本主義(8)~」
「【佐藤優】神の「視えざる手」とは何か ~一神教と資本主義(9)~」
「【佐藤優】なぜイスラムは、経済がだめか ~一神教と資本主義(10)~」