語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【佐藤優】神の「視えざる手」とは何か ~一神教と資本主義(9)~

2015年11月13日 | ●佐藤優
 (承前)

(9)神の「視えざる手」とは何か
 資本主義が生まれた経緯が(8)までのとおりであるとしても、それが今日のウォール街の強欲資本主義につながるには、まだいくつもステップがある。
 福音書に「貢の銭」というエピソードがある。神殿税を払うように言われたのに、イエスの一行には持ち合わせがなかった。するとイエスが、弟子のペテロに、そこの池で魚を釣りなさい、口の中をみると硬貨が入っているから、それで支払いさない、と命じる。言われたとおりに釣ってみると、ほんとうに硬貨が入っていた。それで払った、と。
 神は硬貨の一枚一枚について、どこにあるかご存知なのだ。
 それなら誰のポケットに硬貨が何枚あるかも残らずわかっている。ビジネスをしたら、誰がどれだけ儲けるかもわかっている。
 神は人間ひとり一人の髪の毛の数まで把握している。
 この話を突き詰めるなら、こうだ。市場では人びとがモノを貨幣と交換に売り買いする。そのすべての活動と結果について、神はわかっている。そして承認している。市場メカニズムは、神の意思が実現するプロセスなのだ。経済活動をして儲かったら、その利潤は神があなたのポケットに入れてくれたという意味になる。市場メカニズムを通じて神の摂理が実現する。これをアダム・スミスは「視えざる手」と表現した。
 賃労働者が時給1,000円で働き、1日8,000円の賃金を得る。これは労働の対価で、正当な報酬だ。
 しかし、ビジネスでえる利潤は、労働の対価ではない。儲かるかどうかわからないギャンブルのようなもので、不確定要素が大きい。
 賃金は相場があって、うんと儲かったりはしない。地代も利子も相場があるが、これらは労働の対価とは言いにくい。企業主がビジネスで月300万円の利益をあげた場合も、労働の対価とは言いにくい。別な企業主は損をしていたりする。
 問題は、これが正当な収入なのか。
 神が市場で起きる出来事を逐一モニターしていると考えれば、神はこの収入を正当化している。
 300万円の利益は、神が与えたギフトなのだ。労働の対価であってもなくても、市場のルールを守っている限り、得た収入は正当な収入となる。
 アダム・スミスの専門は道徳哲学だ。存在するものには必ず合理的な根拠があり、神の意思が働いていると考えた。
 市場価格は需要と供給の関係で決まる。その背後には、人びとの必要があり、それを満たそうとする人びとの働きがある。市場には「視えざる手」が働き、ある人は儲かり、別の人は損をする。
 こうしたことのすべては、神が決めている。それが神の業なら、人間はそこに介入すべきではない。
 「視えざる手」という考え方から市場経済に転換が起きたのは間違いない。シンプルな考え方だが、アダム・スミス以前にそうした発想はなかった。
 しかし、アダム・スミスの考え方だけが現在の強欲資本主義、ギャンブル資本主義を生んだわけではない。いまの強欲資本主義は、もともとキリスト教が許容していた正統な資本主義とも違うのではないか。
 まず、誰もここまで資本主義が発展するとは考えもしていなかった。だから何の準備もできずに、その都度その都度の時代状況に翻弄されて、現実的な対策を取るのが遅れている。
 その原因は、科学的に実証できないイエスの言行のアナロジーでつくられたキリスト教と、社会科学の相性が悪いからだ。
 では、この強欲資本主義はキリスト教に内在していたのか。
 キリスト教徒や神学者はみな否定するだろうが、なぜ違うかを説明できる人はいない。それを認めたくないから、強欲資本主義をたとえばユダヤ人のせいにしている。資本主義の最初は、みな真面目に働いて、つつましくやってきた。そこへ、あこぎで金もうけ主義のユダヤ人が出てきて、金融に手をそめ、株の取引を行い、ファンドをつくって、利益のためならなりふりかまわぬ強欲資本主義に変質させてしまった。だからユダヤ人が悪い。
 これはキリスト教徒がよく使う論理だ。
 イエス・キリストを神と認めなかったユダヤ人は、キリスト教社会で中傷や迫害を受けた。中世になっても土地を持てなかったユダヤ教徒たちは、生き残るべく金融業、両替商、質屋などを営んだ。
 ユダヤ人同士の間では高利をとらないが、異教徒との間では高利を取る。当然のことながら高利をとられたキリスト教徒はユダヤ人に反感を覚える。その結果が反ユダヤ主義だ。
 ナチスが使ったロジックとほとんど同じだが、根拠がない。それが今でもヨーロッパだけでなく米国やロシアにも潜在している。日本人にもユダヤ陰謀論は少なからずいる。

□佐藤優『あぶない一神教』(小学館新書、2015)/共著:橋爪大三郎
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 【参考】
●第3章 キリスト教の限界
【佐藤優】イエス・キリストは「神の子」か ~ キリスト教の限界(1)~
【佐藤優】ユニテリアンとは何か ~ キリスト教の限界(2)~
【佐藤優】ハーバード大学にユニテリアンが多い理由 ~ キリスト教の限界(3)~
【佐藤優】サクラメントとは何か ~ キリスト教の限界(4)~
【佐藤優】何がキリスト教信仰を守るのか ~ キリスト教の限界(5)~
【佐藤優】第一次世界大戦という衝撃 ~ キリスト教の限界(6)~
【佐藤優】なぜバルトはナチズムに勝ったのか ~ キリスト教の限界(7)~
【佐藤優】皇国史観はバルト神学がモデル? ~ キリスト教の限界(8)~
【佐藤優】米国が選ぶのは実証主義か霊感説か ~ キリスト教の限界(9)~
【佐藤優】無関心の共存は可能か ~ キリスト教の限界(10)~

●第4章 一神教と資本主義
【佐藤優】資本主義は偶然生まれたのか ~一神教と資本主義(1)~
【佐藤優】なぜ人間の論理は発展したのか ~一神教と資本主義(2)~
【佐藤優】最後の審判を待つ人の心境はビジネスに近い ~一神教と資本主義(3)~
【佐藤優】15世紀の教会はまるで暴力団 ~一神教と資本主義(4)~
【佐藤優】隣人が攻撃されたら暴力は許されるのか ~一神教と資本主義(5)~
【佐藤優】自然は神がつくった秩序か ~一神教と資本主義(6)~
【佐藤優】働くことは罰なのか ~一神教と資本主義(7)~
【佐藤優】市場経済が成り立つ条件 ~一神教と資本主義(8)~
【佐藤優】神の「視えざる手」とは何か ~一神教と資本主義(9)~
【佐藤優】なぜイスラムは、経済がだめか ~一神教と資本主義(10)~

  
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【佐藤優】市場経済が成り立つ条件 ~一神教と資本主義(8)~

2015年11月13日 | ●佐藤優
 (承前)

(8)市場経済が成り立つ条件
 貨幣経済と所有権の絶対は、市場経済の成立には不可欠だ。価格統制などの封建的な規制がないことも、市場経済が成り立つ条件だ。
 封建領主は、裁判権や価格決定権など、さまざまな権限を持っていた。そのもとでは市場メカニズムは機能しない。
 封建社会のもとで需要と供給のバランスがとれてマーケット・メカニズムが生まれたとしても偶然や社会的因習の要素が強い。仮に成立したとしても短期的でほそぼそしたものだったはず。
 だから、押し買いが成立した。押し売りだけでなく、押し買いもあった。値段が固定価格、公定価格、あるいは社会慣習で決まっている。需要と供給のバランスは関係ないから、ある物を個人が大量に買い占めて、独占することも可能だった。
 封建的な身分制度のタガが緩んでくると、人びとはどこへ向かったか。
 中世ヨーロッパには都市があった。ここには封建領主の力が及ばない。城壁で囲まれ、武装した都市には自治権が認められていた。商業の拠点で、製造業もそなわっていた。自由な都市があるのが、ヨーロッパの特徴だ。
 農奴が都市に逃げ込むと自由民になる。都市は新たな活力をえて発展していく。
 「都市の空気は人を自由にする」(ドイツのことわざ)
 ただし、都市は農業生産物を自給できなかったから、交易に頼るしかなかった。多くの人が行き来した結果、自由な空気が生まれた。
 中世ヨーロッパは、封建領主が支配する地域と都市が、まだら模様になっていた。イスラム法が一律に通用するフラットなイスラム世界とは異なる。
 ここで商業がどう発展するか。領主は領地内の商業を統制するが、その外は統制できない。都市と都市、遠隔地を結ぶ商業のネットワークはどういう秩序に従うか。
 商業のルールは市場メカニズムだ。しかし、所有権や契約を保証する法律がなければ、それは機能しない。ローカルなゲルマン法は役に立たない。そこで、古代のローマ法が再発見された。ローマ法は商法などが整っていて、ローカルルールとも無関係なのでちょうどよかった。
 商法は国際法だ。ローマ法をベースにする商業活動のなかで、統治権力の及ばないところで市場メカニズムが作動するのを実感できる。そういったプロセスを通じて、貨幣経済の自律性をヨーロッパの人びとは徐々に理解していった。
 ここまでなら、もともと国際的商業活動に従事していたイスラム教徒と同じスタートラインに、やっと立てただけだ。資本主義が生まれるには、もういくつかステップを踏まなければならない。
  (a)労働力・・・・農奴には労働者になる自由がない。自由民となったものは労働して、生活を支えなければなえらない。やがて貨幣とひきかえに、労働力を売る賃労働者が現れる。賃労働者は身分と無関係だ。「労働者の労働力は雇い主が所有している」という契約の観念が決定的に重要だ。
  (b)生産組織・・・・アダム・スミスは分業に注目した。同じ技術を使って、同じ労働をしていても、労働者が工程を手分けして分業しただけで、生産性がアップする。製品が安くつくれる。生産量が増大し、経済は拡大する。企業は儲かる。資本蓄積ができる。こうして資本主義に火がついた。
 資本主義のエートスは、キリスト教の中に内在していた・・・・話はそう簡単ではないが。
 ウェーバーが『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』で言うように、プロテスタントが資本主義を支えるエートスをつくった。しかし、それは最後のステップで、その前にもさまざまな段階があった。
 キリスト教のなかに内在していたいくつもの要素が歴史のなかで重なり合って資本主義がスタートした。
 それらの要素は、「(再)発見」される必要があった。
 まず職業。ルターは、どんな職業も神が割り当てたものだから、同様に価値がある。誰しも自分の職業に全力をつくすべきだとした。
 つぎに隣人愛。職業を通じて人びとの必要を満たすのは、隣人愛の実践だ。教会に寄付なんかしなくても、安くて品質のよい製品をじゃんじゃん供給すればするほど、隣人愛を実践し、神の意思に応えたことになる。ついでに利益もあがってしまう。
 ここで重要なのは、キリスト教をはじめ、利益追求の資本主義をつくる予定では全然なかったことだ。むしろ、その反対だった。ところがキリスト教のなかにある要素を順番につなげてステップを踏んでいくと、いつの間にか予定にない資本主義が生まれてしまった。

□佐藤優『あぶない一神教』(小学館新書、2015)/共著:橋爪大三郎
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 【参考】
●第3章 キリスト教の限界
【佐藤優】イエス・キリストは「神の子」か ~ キリスト教の限界(1)~
【佐藤優】ユニテリアンとは何か ~ キリスト教の限界(2)~
【佐藤優】ハーバード大学にユニテリアンが多い理由 ~ キリスト教の限界(3)~
【佐藤優】サクラメントとは何か ~ キリスト教の限界(4)~
【佐藤優】何がキリスト教信仰を守るのか ~ キリスト教の限界(5)~
【佐藤優】第一次世界大戦という衝撃 ~ キリスト教の限界(6)~
【佐藤優】なぜバルトはナチズムに勝ったのか ~ キリスト教の限界(7)~
【佐藤優】皇国史観はバルト神学がモデル? ~ キリスト教の限界(8)~
【佐藤優】米国が選ぶのは実証主義か霊感説か ~ キリスト教の限界(9)~
【佐藤優】無関心の共存は可能か ~ キリスト教の限界(10)~

●第4章 一神教と資本主義
【佐藤優】資本主義は偶然生まれたのか ~一神教と資本主義(1)~
【佐藤優】なぜ人間の論理は発展したのか ~一神教と資本主義(2)~
【佐藤優】最後の審判を待つ人の心境はビジネスに近い ~一神教と資本主義(3)~
【佐藤優】15世紀の教会はまるで暴力団 ~一神教と資本主義(4)~
【佐藤優】隣人が攻撃されたら暴力は許されるのか ~一神教と資本主義(5)~
【佐藤優】自然は神がつくった秩序か ~一神教と資本主義(6)~
【佐藤優】働くことは罰なのか ~一神教と資本主義(7)~
【佐藤優】市場経済が成り立つ条件 ~一神教と資本主義(8)~
【佐藤優】神の「視えざる手」とは何か ~一神教と資本主義(9)~
【佐藤優】なぜイスラムは、経済がだめか ~一神教と資本主義(10)~

  
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【佐藤優】働くことは罰なのか ~一神教と資本主義(7)~

2015年11月13日 | ●佐藤優
 (承前)

(7)働くことは罰なのか
 イスラム世界には、カトリック文化圏や正教文化圏のような消費への強迫観念はない。
 大金持ちでも大金を出したがらない。クアルーン(コーラン)にはイスラムの「五行」のひとつとして、収入の一部を貧しい人に施す制度的な喜捨「ザカート」が定められている。あとは自由意志で行う喜捨「バクシーシ」があるが、貧しい人が近寄ってきても、金持ちは何もないからといって追い払っている。
 ムスリムは、シャリーアさえ守っていれば、富の蓄積は悪いことではないと考えている。だからイスラム世界では、大金持ちになっても責められることはない。そこが貯蓄をしないカトリック世界との違いだ。
 強いてイスラム世界の消費活動を挙げれば、ラマダン月の日没後にはじめて食べる「イフタール」だ。あれは豪勢だ。実はラマダン月は断食しているはずなのに食料消費量が倍近くになる。
 富が集中して拡大した不平等を解消するためにラマダンがある、金持ちも貧しい人と同じように腹が減る、飢えるという身体的現象により食べ物がない苦しさがどんな金持ちにもわかる仕組みになっている、ラマダンは同胞愛を実践する精神がある・・・・というのは理想だ。
 実際には、ラマダン月になると、金持ちは睡眠誘導剤を使って昼夜逆転の生活をはじめる。日の出に寝て、日没が近づくと起き出す。イスラム世界では、ラマダン月は日没に鐘が鳴る。すると「おお、イフタールだ」と豪華な食事をする。「ラマダンは太ってしょうがねえな」なんて平気でいっているのが現実だ。
 とはいえ、ラマダンを守りイスラム法を守っていればいいという態度がイスラム世界の基本だ。教会が威張っているカトリックや正教の社会のように、蓄積した富をむしり取られる心配はない。
 一方、プロテスタントでは教会の脅しはない。ただし、プロテスタントの初期は、国家と教会が一体となっているから強制的に教会税をとられた。そういう国でプロテスタント教会の牧師は、全員国家公務員。現在もドイツ、オーストリア、スイスなどでは教会税という制度を設けている。
 税金の特徴は税率が決まっていること。課税されて納税した残りは正当な私有財産として認められる。だからプロテスタントの国では脱税はきわめつきの犯罪、大きな社会問題となる。
 米国では脱税犯は、悪魔と契約したような扱いで追及される。脱税しなければ豪邸に住もうがおかまいなし。むしろ多額の納税をしたわけだから社会に貢献しているということで、周囲は尊敬を示すし、本人にとって誇りだ。この感覚はカトリックの消費感覚と違っている。
 つまりプロテスタントでは、経済活動から富を得た場合、「法律に従っている」「納税している」に加え、「正当に獲得した」ことの証明が要る。
 正当に獲得するには、まず自分が働く。他者と契約して所有権を譲り受ける。自分が所有する原材料や土地をもとに商品を製造したり、付加価値をつけて販売するなど、正当な労働が必要だ。
 正当な労働は労働価値説という表現をとり、17世紀から18世紀にかけてヨーロッパ世界に広まって定着した。労働価値説とは、商品の価値はその生産で働いた量によって決まるという説だ。これは世俗化したキリスト教の信念の一つだ。
 しかし、労働が正当な所有権を得るための行為という考えは、もともとのキリスト教にはなかった。それは「マタイ福音書」にある「ブドウ園の労働者」のたとえ話からも明らかだ。
 天国のあるブドウ園の主人が、早朝に1デナリを支払うと約束して労働者を雇った。しばらくして暇そうな人を見つけて「金を払うから手伝ってくれ」と頼んだ。夕方になると仕事にあぶれた労働者も雇った。
 やがて仕事が終わると、主人は夕方から働いた労働者から順番に銀貨を渡していった。しかも朝から働いた労働者も夕方に来た人も一律1デナリを渡した。
 労働価値説に立つならば、労働時間や労働量で、支払われる賃金は変わる。「俺は朝から働いているのに、なんでみんなと同じ扱いなんだ」と抗議した労働者に対して、「私はおまえに1デナリ払うと約束しただろう。私の金をどう使おうが私の勝手だ」と強弁する。この話からは、労働価値説につながる論理は出てこない。
 もうひとつ印象的なのは、「創世記」の冒頭、楽園追放のくだり。アダムとイブが楽園で暮らしていた頃、労働しなくてよかった。ところが、神の命にそむいて智慧の実を食べた結果、楽園を追放された。追放するとき神は、額に汗して働かないと生きる糧が手に入らない、という罰を与えた。労働は罰なのだ。
 ただし、労働は男に対する罰であって、出産が女に対する罰だ。
 罰ではあっても、労働を命じられた。労働することは間違っていない。
 ただし、労働は罰なので、労働しないほうが偉いことになる。罪深い人間だけが働けばよい、という身分制につながる。田畑で額に汗して働く農奴が社会の最底辺となり、政治や軍事に携わり、労働をしない人びとがセレブの地位を確保し、共同体の間を行き来し、モノを動かしてお金を儲ける商人はその中間、こういうヒエラルキーが生まれた。
 このヒエラルキーは1,500年も続いた。
 キリスト教のこの伝統をみると、正当な所有権の源泉は労働であるというアイデアは出てきそうにもない。相当変わった考え方だ。
 どこから出てきた考えなのか、難しいが、労働価値説は労働量を数値化しなければ出てこない考え方だ。そして、労働の数値として計るには、貨幣経済と賃労働が成立していなければならない。
 当時は、身分制度のトップの王や貴族が莫大な土地を所有していた。農民は土地を彼らから使わせてもらわなければならない。そして、教会は農民から教会税をとる。
 領主に対して、そして教会に対しての二重課税でしわ寄せがくるのは、身分制度が下の人たちだ。しかも王様や貴族には特権がある。彼らと結託した商人は、商工業も独占できるお墨付き「特許状」をもらい、不当の高く物を売ったり、権益を独り占めした。
 そこで不当に虐げられているのは真面目な勤労者たちだった。彼らは自分が真面目に働いているのに、身分制度のせいでキリスト教の教え、隣人愛が実践できないと感じる。そして彼らは、教会と封建制度を問題にし始める。
 封建的な身分制度の崩壊が始まった。同時に、貨幣経済と賃労働の方が徐々に見えてきた。

□佐藤優『あぶない一神教』(小学館新書、2015)/共著:橋爪大三郎
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 【参考】
●第3章 キリスト教の限界
【佐藤優】イエス・キリストは「神の子」か ~ キリスト教の限界(1)~
【佐藤優】ユニテリアンとは何か ~ キリスト教の限界(2)~
【佐藤優】ハーバード大学にユニテリアンが多い理由 ~ キリスト教の限界(3)~
【佐藤優】サクラメントとは何か ~ キリスト教の限界(4)~
【佐藤優】何がキリスト教信仰を守るのか ~ キリスト教の限界(5)~
【佐藤優】第一次世界大戦という衝撃 ~ キリスト教の限界(6)~
【佐藤優】なぜバルトはナチズムに勝ったのか ~ キリスト教の限界(7)~
【佐藤優】皇国史観はバルト神学がモデル? ~ キリスト教の限界(8)~
【佐藤優】米国が選ぶのは実証主義か霊感説か ~ キリスト教の限界(9)~
【佐藤優】無関心の共存は可能か ~ キリスト教の限界(10)~

●第4章 一神教と資本主義
【佐藤優】資本主義は偶然生まれたのか ~一神教と資本主義(1)~
【佐藤優】なぜ人間の論理は発展したのか ~一神教と資本主義(2)~
【佐藤優】最後の審判を待つ人の心境はビジネスに近い ~一神教と資本主義(3)~
【佐藤優】15世紀の教会はまるで暴力団 ~一神教と資本主義(4)~
【佐藤優】隣人が攻撃されたら暴力は許されるのか ~一神教と資本主義(5)~
【佐藤優】自然は神がつくった秩序か ~一神教と資本主義(6)~
【佐藤優】働くことは罰なのか ~一神教と資本主義(7)~
【佐藤優】市場経済が成り立つ条件 ~一神教と資本主義(8)~
【佐藤優】神の「視えざる手」とは何か ~一神教と資本主義(9)~
【佐藤優】なぜイスラムは、経済がだめか ~一神教と資本主義(10)~

  
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