(承前)
(9)神の「視えざる手」とは何か
資本主義が生まれた経緯が(8)までのとおりであるとしても、それが今日のウォール街の強欲資本主義につながるには、まだいくつもステップがある。
福音書に「貢の銭」というエピソードがある。神殿税を払うように言われたのに、イエスの一行には持ち合わせがなかった。するとイエスが、弟子のペテロに、そこの池で魚を釣りなさい、口の中をみると硬貨が入っているから、それで支払いさない、と命じる。言われたとおりに釣ってみると、ほんとうに硬貨が入っていた。それで払った、と。
神は硬貨の一枚一枚について、どこにあるかご存知なのだ。
それなら誰のポケットに硬貨が何枚あるかも残らずわかっている。ビジネスをしたら、誰がどれだけ儲けるかもわかっている。
神は人間ひとり一人の髪の毛の数まで把握している。
この話を突き詰めるなら、こうだ。市場では人びとがモノを貨幣と交換に売り買いする。そのすべての活動と結果について、神はわかっている。そして承認している。市場メカニズムは、神の意思が実現するプロセスなのだ。経済活動をして儲かったら、その利潤は神があなたのポケットに入れてくれたという意味になる。市場メカニズムを通じて神の摂理が実現する。これをアダム・スミスは「視えざる手」と表現した。
賃労働者が時給1,000円で働き、1日8,000円の賃金を得る。これは労働の対価で、正当な報酬だ。
しかし、ビジネスでえる利潤は、労働の対価ではない。儲かるかどうかわからないギャンブルのようなもので、不確定要素が大きい。
賃金は相場があって、うんと儲かったりはしない。地代も利子も相場があるが、これらは労働の対価とは言いにくい。企業主がビジネスで月300万円の利益をあげた場合も、労働の対価とは言いにくい。別な企業主は損をしていたりする。
問題は、これが正当な収入なのか。
神が市場で起きる出来事を逐一モニターしていると考えれば、神はこの収入を正当化している。
300万円の利益は、神が与えたギフトなのだ。労働の対価であってもなくても、市場のルールを守っている限り、得た収入は正当な収入となる。
アダム・スミスの専門は道徳哲学だ。存在するものには必ず合理的な根拠があり、神の意思が働いていると考えた。
市場価格は需要と供給の関係で決まる。その背後には、人びとの必要があり、それを満たそうとする人びとの働きがある。市場には「視えざる手」が働き、ある人は儲かり、別の人は損をする。
こうしたことのすべては、神が決めている。それが神の業なら、人間はそこに介入すべきではない。
「視えざる手」という考え方から市場経済に転換が起きたのは間違いない。シンプルな考え方だが、アダム・スミス以前にそうした発想はなかった。
しかし、アダム・スミスの考え方だけが現在の強欲資本主義、ギャンブル資本主義を生んだわけではない。いまの強欲資本主義は、もともとキリスト教が許容していた正統な資本主義とも違うのではないか。
まず、誰もここまで資本主義が発展するとは考えもしていなかった。だから何の準備もできずに、その都度その都度の時代状況に翻弄されて、現実的な対策を取るのが遅れている。
その原因は、科学的に実証できないイエスの言行のアナロジーでつくられたキリスト教と、社会科学の相性が悪いからだ。
では、この強欲資本主義はキリスト教に内在していたのか。
キリスト教徒や神学者はみな否定するだろうが、なぜ違うかを説明できる人はいない。それを認めたくないから、強欲資本主義をたとえばユダヤ人のせいにしている。資本主義の最初は、みな真面目に働いて、つつましくやってきた。そこへ、あこぎで金もうけ主義のユダヤ人が出てきて、金融に手をそめ、株の取引を行い、ファンドをつくって、利益のためならなりふりかまわぬ強欲資本主義に変質させてしまった。だからユダヤ人が悪い。
これはキリスト教徒がよく使う論理だ。
イエス・キリストを神と認めなかったユダヤ人は、キリスト教社会で中傷や迫害を受けた。中世になっても土地を持てなかったユダヤ教徒たちは、生き残るべく金融業、両替商、質屋などを営んだ。
ユダヤ人同士の間では高利をとらないが、異教徒との間では高利を取る。当然のことながら高利をとられたキリスト教徒はユダヤ人に反感を覚える。その結果が反ユダヤ主義だ。
ナチスが使ったロジックとほとんど同じだが、根拠がない。それが今でもヨーロッパだけでなく米国やロシアにも潜在している。日本人にもユダヤ陰謀論は少なからずいる。
□佐藤優『あぶない一神教』(小学館新書、2015)/共著:橋爪大三郎
↓クリック、プリーズ。↓
【参考】
●第3章 キリスト教の限界
「【佐藤優】イエス・キリストは「神の子」か ~ キリスト教の限界(1)~」
「【佐藤優】ユニテリアンとは何か ~ キリスト教の限界(2)~」
「【佐藤優】ハーバード大学にユニテリアンが多い理由 ~ キリスト教の限界(3)~」
「【佐藤優】サクラメントとは何か ~ キリスト教の限界(4)~」
「【佐藤優】何がキリスト教信仰を守るのか ~ キリスト教の限界(5)~」
「【佐藤優】第一次世界大戦という衝撃 ~ キリスト教の限界(6)~」
「【佐藤優】なぜバルトはナチズムに勝ったのか ~ キリスト教の限界(7)~」
「【佐藤優】皇国史観はバルト神学がモデル? ~ キリスト教の限界(8)~」
「【佐藤優】米国が選ぶのは実証主義か霊感説か ~ キリスト教の限界(9)~」
「【佐藤優】無関心の共存は可能か ~ キリスト教の限界(10)~」
●第4章 一神教と資本主義
「【佐藤優】資本主義は偶然生まれたのか ~一神教と資本主義(1)~」
「【佐藤優】なぜ人間の論理は発展したのか ~一神教と資本主義(2)~」
「【佐藤優】最後の審判を待つ人の心境はビジネスに近い ~一神教と資本主義(3)~」
「【佐藤優】15世紀の教会はまるで暴力団 ~一神教と資本主義(4)~」
「【佐藤優】隣人が攻撃されたら暴力は許されるのか ~一神教と資本主義(5)~」
「【佐藤優】自然は神がつくった秩序か ~一神教と資本主義(6)~」
「【佐藤優】働くことは罰なのか ~一神教と資本主義(7)~」
「【佐藤優】市場経済が成り立つ条件 ~一神教と資本主義(8)~」
「【佐藤優】神の「視えざる手」とは何か ~一神教と資本主義(9)~」
「【佐藤優】なぜイスラムは、経済がだめか ~一神教と資本主義(10)~」
(9)神の「視えざる手」とは何か
資本主義が生まれた経緯が(8)までのとおりであるとしても、それが今日のウォール街の強欲資本主義につながるには、まだいくつもステップがある。
福音書に「貢の銭」というエピソードがある。神殿税を払うように言われたのに、イエスの一行には持ち合わせがなかった。するとイエスが、弟子のペテロに、そこの池で魚を釣りなさい、口の中をみると硬貨が入っているから、それで支払いさない、と命じる。言われたとおりに釣ってみると、ほんとうに硬貨が入っていた。それで払った、と。
神は硬貨の一枚一枚について、どこにあるかご存知なのだ。
それなら誰のポケットに硬貨が何枚あるかも残らずわかっている。ビジネスをしたら、誰がどれだけ儲けるかもわかっている。
神は人間ひとり一人の髪の毛の数まで把握している。
この話を突き詰めるなら、こうだ。市場では人びとがモノを貨幣と交換に売り買いする。そのすべての活動と結果について、神はわかっている。そして承認している。市場メカニズムは、神の意思が実現するプロセスなのだ。経済活動をして儲かったら、その利潤は神があなたのポケットに入れてくれたという意味になる。市場メカニズムを通じて神の摂理が実現する。これをアダム・スミスは「視えざる手」と表現した。
賃労働者が時給1,000円で働き、1日8,000円の賃金を得る。これは労働の対価で、正当な報酬だ。
しかし、ビジネスでえる利潤は、労働の対価ではない。儲かるかどうかわからないギャンブルのようなもので、不確定要素が大きい。
賃金は相場があって、うんと儲かったりはしない。地代も利子も相場があるが、これらは労働の対価とは言いにくい。企業主がビジネスで月300万円の利益をあげた場合も、労働の対価とは言いにくい。別な企業主は損をしていたりする。
問題は、これが正当な収入なのか。
神が市場で起きる出来事を逐一モニターしていると考えれば、神はこの収入を正当化している。
300万円の利益は、神が与えたギフトなのだ。労働の対価であってもなくても、市場のルールを守っている限り、得た収入は正当な収入となる。
アダム・スミスの専門は道徳哲学だ。存在するものには必ず合理的な根拠があり、神の意思が働いていると考えた。
市場価格は需要と供給の関係で決まる。その背後には、人びとの必要があり、それを満たそうとする人びとの働きがある。市場には「視えざる手」が働き、ある人は儲かり、別の人は損をする。
こうしたことのすべては、神が決めている。それが神の業なら、人間はそこに介入すべきではない。
「視えざる手」という考え方から市場経済に転換が起きたのは間違いない。シンプルな考え方だが、アダム・スミス以前にそうした発想はなかった。
しかし、アダム・スミスの考え方だけが現在の強欲資本主義、ギャンブル資本主義を生んだわけではない。いまの強欲資本主義は、もともとキリスト教が許容していた正統な資本主義とも違うのではないか。
まず、誰もここまで資本主義が発展するとは考えもしていなかった。だから何の準備もできずに、その都度その都度の時代状況に翻弄されて、現実的な対策を取るのが遅れている。
その原因は、科学的に実証できないイエスの言行のアナロジーでつくられたキリスト教と、社会科学の相性が悪いからだ。
では、この強欲資本主義はキリスト教に内在していたのか。
キリスト教徒や神学者はみな否定するだろうが、なぜ違うかを説明できる人はいない。それを認めたくないから、強欲資本主義をたとえばユダヤ人のせいにしている。資本主義の最初は、みな真面目に働いて、つつましくやってきた。そこへ、あこぎで金もうけ主義のユダヤ人が出てきて、金融に手をそめ、株の取引を行い、ファンドをつくって、利益のためならなりふりかまわぬ強欲資本主義に変質させてしまった。だからユダヤ人が悪い。
これはキリスト教徒がよく使う論理だ。
イエス・キリストを神と認めなかったユダヤ人は、キリスト教社会で中傷や迫害を受けた。中世になっても土地を持てなかったユダヤ教徒たちは、生き残るべく金融業、両替商、質屋などを営んだ。
ユダヤ人同士の間では高利をとらないが、異教徒との間では高利を取る。当然のことながら高利をとられたキリスト教徒はユダヤ人に反感を覚える。その結果が反ユダヤ主義だ。
ナチスが使ったロジックとほとんど同じだが、根拠がない。それが今でもヨーロッパだけでなく米国やロシアにも潜在している。日本人にもユダヤ陰謀論は少なからずいる。
□佐藤優『あぶない一神教』(小学館新書、2015)/共著:橋爪大三郎
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【参考】
●第3章 キリスト教の限界
「【佐藤優】イエス・キリストは「神の子」か ~ キリスト教の限界(1)~」
「【佐藤優】ユニテリアンとは何か ~ キリスト教の限界(2)~」
「【佐藤優】ハーバード大学にユニテリアンが多い理由 ~ キリスト教の限界(3)~」
「【佐藤優】サクラメントとは何か ~ キリスト教の限界(4)~」
「【佐藤優】何がキリスト教信仰を守るのか ~ キリスト教の限界(5)~」
「【佐藤優】第一次世界大戦という衝撃 ~ キリスト教の限界(6)~」
「【佐藤優】なぜバルトはナチズムに勝ったのか ~ キリスト教の限界(7)~」
「【佐藤優】皇国史観はバルト神学がモデル? ~ キリスト教の限界(8)~」
「【佐藤優】米国が選ぶのは実証主義か霊感説か ~ キリスト教の限界(9)~」
「【佐藤優】無関心の共存は可能か ~ キリスト教の限界(10)~」
●第4章 一神教と資本主義
「【佐藤優】資本主義は偶然生まれたのか ~一神教と資本主義(1)~」
「【佐藤優】なぜ人間の論理は発展したのか ~一神教と資本主義(2)~」
「【佐藤優】最後の審判を待つ人の心境はビジネスに近い ~一神教と資本主義(3)~」
「【佐藤優】15世紀の教会はまるで暴力団 ~一神教と資本主義(4)~」
「【佐藤優】隣人が攻撃されたら暴力は許されるのか ~一神教と資本主義(5)~」
「【佐藤優】自然は神がつくった秩序か ~一神教と資本主義(6)~」
「【佐藤優】働くことは罰なのか ~一神教と資本主義(7)~」
「【佐藤優】市場経済が成り立つ条件 ~一神教と資本主義(8)~」
「【佐藤優】神の「視えざる手」とは何か ~一神教と資本主義(9)~」
「【佐藤優】なぜイスラムは、経済がだめか ~一神教と資本主義(10)~」