(1)対英米開戦の報を聞いて、南原繁(後の東大総長)は次の歌を詠んだ。
「人間の常識を超え学識を超えておこれり日本世界と戦ふ」
敗北必至、自滅確実な開戦だった。
その責任の大半は、日本陸軍にあって、海軍は陸軍に引きずられたにすぎない・・・・とする説が、現在ではほぼ定着している。
(2)しかし、その「陸軍悪玉海軍善玉説」は、敗戦直後に海軍首脳部が連合国軍最高司令官総司令部GHQに巧妙に働きかけて創った「海軍神話」にすぎない。
そのことは、最近明らかにされている。昭和天皇が負うべき戦争責任を東条英機たちA級戦犯に転嫁するとの、GHQの方針に便乗した海軍側の作戦勝ちだった。
作戦も兵站も丸出駄目夫の海軍首脳だったが、官僚的策謀には長けていたのである。
(3)それだけでない。無謀な対英米開戦も、海軍が決定づけていたのだ。
その事実を暴いているのが、笠原十九『海軍の日中戦争 アジア太平洋戦争への自滅のシナリオ』(平凡社、2015)だ。
(4)満州事変以後、陸軍が戦線を拡大し続ける一方、海軍はワシントン(1922年)、ロンドン(1930年)の両海軍軍縮条約で主力艦などの保有を制限され、苛立ちを募らせていた。
やがて海軍は、盧溝橋事件(1937年7月7日)に便乗した陰謀で戦火拡大に成功した。上海の大山勇夫・陸戦隊中尉を国民政府軍陣地に突入させ、射殺されたことを口実に第二次上海事変を引き起こした。謀略「大山事件」で日中は全面戦争に入った。
笠原十九は、現地調査で、大山中尉が意図的に中国軍駐屯地に突入したことを立証している。
事件後の海軍の対応は、準備万端整えられていたものだった。長期の準備が必要な上海への渡洋爆撃もほぼ即日実施された。
南京など内陸への戦線拡大に合わせた中距離爆撃機や零戦などの開発で、日本軍は制空権を奪った。国民政府の臨時首都が置かれた重慶などに対する攻撃で、爆撃隊は一躍花形となった。
国会では、軍部の言いなりになる戦費の増額が認められ、歯止めを失った。
ここまで勢いづいた海軍の航空主戦派を率いたのは、山本五十六だった。
やがて、山本たちは戦費増大、航空戦力増強の名目にしてきた対米開戦準備の旗印を今さら下ろせない、という事態に立ち至った。
一方で、政治家や官僚たちは軍部を抑える気概も手立ても失い、世論は一気に対米開戦へ傾斜していった。
(5)笠原『海軍の日中戦争』の巻末には、中国戦線での爆撃一覧表がある(力作)。
この膨大な数の空襲による中国側被害が、後には日本の空襲被害となって再現される。その爆撃行を
「対米戦に向けた絶好の各種演習であった」
という航空兵の記録に、海軍の冷酷さが読み取れる。
山本五十六を含む旧海軍像を一変させる本書は、2015年6月に刊行された。
だが、これまでどの全国紙・主要地方紙、週刊誌でも紹介されていない。
本書は、軍事優先、情報操作の危険性を指摘している点で今日に通じている。
日本のマスコミは、きたる12月8日の節目にも本書を無視し続けるだろうか?
□高嶋伸欣(琉球大学名誉教授)「謀略「海軍神話」を砕く笠原氏の研究を紹介しないマスコミ」(「週刊金曜日」2015年11月13日号)
↓クリック、プリーズ。↓
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「人間の常識を超え学識を超えておこれり日本世界と戦ふ」
敗北必至、自滅確実な開戦だった。
その責任の大半は、日本陸軍にあって、海軍は陸軍に引きずられたにすぎない・・・・とする説が、現在ではほぼ定着している。
(2)しかし、その「陸軍悪玉海軍善玉説」は、敗戦直後に海軍首脳部が連合国軍最高司令官総司令部GHQに巧妙に働きかけて創った「海軍神話」にすぎない。
そのことは、最近明らかにされている。昭和天皇が負うべき戦争責任を東条英機たちA級戦犯に転嫁するとの、GHQの方針に便乗した海軍側の作戦勝ちだった。
作戦も兵站も丸出駄目夫の海軍首脳だったが、官僚的策謀には長けていたのである。
(3)それだけでない。無謀な対英米開戦も、海軍が決定づけていたのだ。
その事実を暴いているのが、笠原十九『海軍の日中戦争 アジア太平洋戦争への自滅のシナリオ』(平凡社、2015)だ。
(4)満州事変以後、陸軍が戦線を拡大し続ける一方、海軍はワシントン(1922年)、ロンドン(1930年)の両海軍軍縮条約で主力艦などの保有を制限され、苛立ちを募らせていた。
やがて海軍は、盧溝橋事件(1937年7月7日)に便乗した陰謀で戦火拡大に成功した。上海の大山勇夫・陸戦隊中尉を国民政府軍陣地に突入させ、射殺されたことを口実に第二次上海事変を引き起こした。謀略「大山事件」で日中は全面戦争に入った。
笠原十九は、現地調査で、大山中尉が意図的に中国軍駐屯地に突入したことを立証している。
事件後の海軍の対応は、準備万端整えられていたものだった。長期の準備が必要な上海への渡洋爆撃もほぼ即日実施された。
南京など内陸への戦線拡大に合わせた中距離爆撃機や零戦などの開発で、日本軍は制空権を奪った。国民政府の臨時首都が置かれた重慶などに対する攻撃で、爆撃隊は一躍花形となった。
国会では、軍部の言いなりになる戦費の増額が認められ、歯止めを失った。
ここまで勢いづいた海軍の航空主戦派を率いたのは、山本五十六だった。
やがて、山本たちは戦費増大、航空戦力増強の名目にしてきた対米開戦準備の旗印を今さら下ろせない、という事態に立ち至った。
一方で、政治家や官僚たちは軍部を抑える気概も手立ても失い、世論は一気に対米開戦へ傾斜していった。
(5)笠原『海軍の日中戦争』の巻末には、中国戦線での爆撃一覧表がある(力作)。
この膨大な数の空襲による中国側被害が、後には日本の空襲被害となって再現される。その爆撃行を
「対米戦に向けた絶好の各種演習であった」
という航空兵の記録に、海軍の冷酷さが読み取れる。
山本五十六を含む旧海軍像を一変させる本書は、2015年6月に刊行された。
だが、これまでどの全国紙・主要地方紙、週刊誌でも紹介されていない。
本書は、軍事優先、情報操作の危険性を指摘している点で今日に通じている。
日本のマスコミは、きたる12月8日の節目にも本書を無視し続けるだろうか?
□高嶋伸欣(琉球大学名誉教授)「謀略「海軍神話」を砕く笠原氏の研究を紹介しないマスコミ」(「週刊金曜日」2015年11月13日号)
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