語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【本】フランクル『夜と霧』 ~心理療法「ロゴセラピー」~

2015年11月22日 | 心理
 (1)早熟の天才フランクルは、17歳にしてフロイトの精神分析に関心を持ち始めた。ただし、まもなくその還元主義から離れ、関心はアドラーに向かった。最終的には自前の体系を作りあげた。
 ウィーンで精神医療に従事した。「実存分析」を提唱する有力な存在だった。人が自らの生きる意味を見出すよう手助けすることで心の病を癒やす心理療法「ロゴセラピー」も、完全ではないが、すでに考案されていたと思われる。

 (2)少壮の精神医学者として属目されていたが、平和な生活は、ナチスドイツのオーストリア併合(1938年)によって破れた。
 ユダヤ人であるフランクルは、最初テレージェンシュタット収容所に収容され、ここで父を喪った。母と妻は他の収容所へ移送され、死亡した。
 フランクルは1944年10月にアウシュビッツ収容所に移送されたが、数日間滞在しただけで別の収容所に移送され、1945年4月、米軍により解放された。

 (3)強制収容所では、希望と絶望が交錯した。
 <例>「次のクリスマスには解放される」という噂が流れたりする。 
 これは希望の言語化にすぎないので実現することはなく、それがわかると失望のあまり死んでしまう人もいた。
 他方、どんな状況でも楽しみを見出す人びとがいた。どのような状況でも人生に意味を見出すことが生きることにとって重要なのだ。そういう考えにフランクルは到達した。
 強制収容所における体験報告は決して少なくないが、フランクルは自分の経験を単なる体験談にとどめず、それを越えて、心理学の立場から解明することをめざしたから、他の凡百の報告とは異なる人類史的な果実を得るに至ったのだ。
 意味の探求は、20世紀前半までの心理学においては唾棄すべき指向だと断罪されがちだったが、『夜と霧』以降の心理学は意味の探求を一つのテーマにしていくことになる。ジェローム・ブルーナーはその旗手の一人だ。実存主義は、意味を探求する心理学の思想的なバックボーンとなった。

 (4)フランクルの提唱した「ロゴセラピー」の前提となる考え方は、収容所経験以前から育まれていた。
 収容所においては、生きることの意味を問う必要に迫られることが多かった、とフランクルは言う。
   「私は何のために生きているのか?」
 このような問いに対して答えが見出せなければ、人生は絶望的なものとなる。
 フランクルはしかし、このような問いを立てるのではなく、
   「あなたが生きることが、あなたに対して期待していることは何か」
を問うべきだ、という。つまり、
   「自分の人生は何のためにあるのか」
ではなくて、
   「自分が生かされているのは、<私>にしかできないことがあるのではないか」
と問うべきだ、というのだ。 
 <例1>我が子が収容所の外で待っている人。
 <例2>ある分野の研究者でその人でなければ現在進行中の仕事を完成できない人。
 こうした例において、かけがえのない自分に対する期待/意味を想像すべきなのだ、という。
 人は実に簡単に「私は何のために生きているのか」と問い、すぐさま「何の希望もない」と答えてしまう。
 しかし、問いの設定がまちがっているのだ。実際、ジェットコースターに乗っている時に「私は何のために生きているのか」と問う人がいないように、のっぺりとした日常においてこそ、こうした問いが出てきてしまう。21世紀の比較的平和な日々であってものっぺりした日常を感じて「私は何のために生きているのか」と問い、絶望する人が存在する。
 そういう今こそ、「私にしかできない何か」という問いがもたらす生きがいを重視すべきであり、本書『夜と霧』は図らずも「ロゴセラピー」を実践した体験記として、心理学最大の名著なのだ。

 (5)訳書は、
  (a)②は①と比べて言葉が現代的になった。 
  (b)①と②とでは、拠る原著が違う。①は1947年の原著の翻訳であり、②は1977年の原著の翻訳だ。②の訳者(池田香代子)によれば、①には「モラル」という言葉が多用される一方、「ユダヤ」という言葉が一度も出てこない。①では、フランクルは、ユダヤという個別民族の受難ではなく人類の体験記にしたかったからこそ民族名を使わなかったのだが、その一方、この出来事をモラルの問題に帰することにより、冷静さが一部失われていたことに気づいて②の原著へと改稿したのではないか(池田の解釈)。また①の原著では巻頭にナチス強制収容所の「解説」が、巻末には「写真」が付されているが、②の原著にはない。
  (c)①と②の両方と参看すべきだ。
  (d)②の冒頭は、「心理学者、強制収容所を体験する」とある。これは事実の報告ではなく、体験記だ、と強調しているのだ。確かに、報告で捉えられない、伝えられないことがある。そして、体験記とすることで心理学の名著が誕生したのだ。

□①ヴィクトール・E・フランクル(霜山徳爾・訳)『夜と霧 --ドイツ強制収容所の体験記録』(みすず書房、1956/新装1971)【原著初版:1947年】
□②ヴィクトール・E・フランクル(池田香代子・訳)『夜と霧』(みすず書房、2002)【原著・改訂初版:1977年】
□サトウタツヤ『心理学の名著30』(ちくま新書、2015)
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コメント (1)
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