語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【佐藤優】モスクワから見た狂騒ニッポン ~平成史(2)~

2018年08月02日 | ●佐藤優
<佐藤/私はモスクワにやってくる新聞記者たちを見て、日本社会は本当に変になっているなと思いました。「カップヌードルを啜らねえと記事が書けねえ」という記者のために、私が、わざわざストックホルムからカップヌードルを空輸したこともありました。モスクワのサクラという和食レストランでは「仕出し弁当を作れ」という記者に「一つ1万円しますよ」と忠告したら「それでかまわない」と。

片山/えっ、一つ1万円って、どんな中身の弁当ですか?

佐藤/いま日本で買えば700円くらいの普通の弁当です。東京から食材を空輸しているから高いんです。天ぷら蕎麦が7,000円もするレストランですから。

片山/そのころ私は、大正や昭和初期の右翼思想の研究をしていたのですが、過激なものより、原理日本社(*12)のような、日本はありのままの今の日本でいいんだというような思想に興味を持ちましたね。時間が停滞していてその中で人間が受け身になって漂って能動性や主体性を失う感じの思想がともてアクチュアルに感じられました。
 バブルの前の高度成長をいったんやり遂げた感のあった日本には、一定の状態がフラットでずっと続いていく、その中で宙づりになって漂っているのが良いという雰囲気があったでしょう。ポストモダンという言葉で呼んでもいいのですが。そのことを、右翼思想と対比して確かめたかったのです。
 そんな研究に取り組んでいたさなかの90年10月、日経平均株価が2万円を斬ってバブルが崩壊しました。

 【脚注】
 *12-原理日本社
  1925年に蓑田胸喜らによって結成された右翼団体。機関誌「原理日本」などを通し、進歩派の大学教授への排斥運動や、天皇機関説攻撃の急先鋒となった。>

□佐藤優/片山杜秀『平成史』(小学館、2018)の「第1章 バブル崩壊と55年体制の終焉/平成元年→6年(1989年-1994年)」の「モスクワから見た狂騒ニッポン」から一部引用

 【参考】
【佐藤優】天皇が中国と沖縄を訪ねた意味 ~平成史(1)~
【佐藤優】『平成史』概要
コメント
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