語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【佐藤優】マルクスを知らない政治家たち ~平成史(7)~

2018年08月07日 | ●佐藤優
 <片山/ソ連の崩壊から30年が過ぎようとしている今、そうした前提を知らない世代が誕生した。たとえば日本の大学ではソ連崩壊を境に、教授たちはマルクス主義の看板を下ろしてしまった。そのあとの世代には労農派や講座派 【注】といっても通じないでしょう。日本の敗戦後に教科書が黒塗りになったのと似ていました。
 ソ連崩壊時の大学生はいまや50歳。あそこで歴史が切断されて脈絡が飛んでしまったような気がします。
 歴史の切断という意味では、この時期印象深い出来事があるんです。77年に私が好きな林光さんという作曲家が天皇制を否定する「日本共和国初代大統領への手紙」という曲を発表しました。林さんは日教組の音楽の先生たちの理論的指導者でもありました。
 しかしその林さんが平成に天皇から紫綬褒章をもらった。周囲には「林さんが天皇陛下から勲章をもらっちゃダメ」と怒った人がたくさんいたけど、平然ともらっちゃった。あれは96年のことでした。昭和と平成の違いを象徴する出来事で印象に残っているんです。

佐藤/そう考えると平成という時代は、時系列の単純な積み重ねで成り立っているのではなく、いわば、ぐちゃぐちゃの雑炊のようなものと考えた方がいいかもしれない。
 
片山/なるほど。ポストモダンは80年代の流行語でしたが、真のポストモダンは平成に訪れたのかもしれませんね。いろんなブームが時代を超越して筋道抜きで登場する。
 最近の田中角栄ブームもそうです。田中角栄を参考にしても今の日本がよくなるはずがない。

佐藤/この状況で田中角栄の真似をしたらめちゃくちゃになるでしょうね。田中角栄は「今太閤」というイメージで語られますが、俗人的な要素が過大評価されている。

片山/戦後史で重要な役割を果たした人物には違いないけれども、もしも田中角栄がいなかったとしても、高度成長期に同じような立ち回りをした政治家は出てきたはず。

佐藤/そう思います。ただ彼はほかの政治家が決してやらないことをやった。これは鈴木宗男さんから聞いた話です。田中角栄は、かつて赤坂にあったホテルニュー赤坂とサボイというラブホテルの従業員を抱き込んで宿泊者リストを届けさせていたらしいんです。それで「昨日はハッスルしたらしいね」なんて声をかける(笑)。

片山/すごい。まさにインテリジェンスですね。そんなことをされたら言うこと聞いちゃいますよね。まさに忖度するしかない(笑)。

佐藤/そのえげつなさが金とともに彼の権力の源泉となった。ただ佐藤栄作らとは違い、背後に院外団(非議員たちからなる政治集団)のような暴力装置の影は感じない。

片山/田中角栄の上の世代の政治家は旧軍の人脈などの暴力装置と結びついていた。けれど田中角栄は戦後の成金だった。だから暴力じゃなくて、金だった。

佐藤/そう。金なんですよ。あれほど個人的に蓄財する政治家は珍しい。
 私は、田中角栄は永遠に生きたかったのではないかと思うんです。金をどんどん増やすことで永遠に影響力を維持できると信じていた。

片山/金を貯め続ければ、田中派もどんどん成長する。ずっと大きくなり続ける・・・・。刹那と永遠が結びついた資本主義的幻影に囚われていたのでしょうか。
 銀行とか図書館とか美術館は寿命を考えたら成り立たない。集めること・増やすことは永遠性と結びついている。田中派議員の数と蓄えた金額がパラレルに意識されていて、しかも終点が想定されていない。そんな幻想に生きて大胆に実践した政治家が、55年体制が終わった93年に亡くなった。とても象徴的ですね。高度成長期の政治家としか呼びようがありません。>

 【注】
【佐藤優】講座派vs.労農派、内ゲバのロジック ~いま生きる「資本論」(13)~
【佐藤優】講座派の特徴、「日本の特殊な型」 ~いま生きる「資本論」(14)~

□佐藤優/片山杜秀『平成史』(小学館、2018)の「第1章 バブル崩壊と55年体制の終焉/平成元年→6年(1989年-1994年)」の「マルクスを知らない政治家たち」を引用

 【参考】
【佐藤優】右傾化の原点 ~平成史(6)~
【佐藤優】宮崎勤事件と仮想現実 ~平成史(5)~
【佐藤優】世界史と相対化させよ ~平成史(4)~
【佐藤優】バブル崩壊でファミレス進化 ~平成史(3)~
【佐藤優】モスクワから見た狂騒ニッポン ~平成史(2)~
【佐藤優】天皇が中国と沖縄を訪ねた意味 ~平成史(1)~
【佐藤優】『平成史』概要


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