<からだを殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、からだも魂も地獄で滅ぼす力のあるかたを恐れなさい。 --「マタイによる福音書」10章28節
ここで示されているのは、「神様は恐い存在で、あなたの魂と体を地獄に送って滅ぼすことができる」という脅しではない。キリスト教徒は、自分が選ばれた存在であり、神によって地獄に送られ、滅ぼされることはないと確信している。もっとも、それはあくまで確信であって、このような確信的な人が必ず救われるという保証はないのである。具体的に誰を救うかというのは、全知全能な神の専管事項だ。そこに限定的な知力、能力しか持たない人間が介入することはできない。人間が神の意志にについて、完全に認識するということは、ありえないのである。
キリスト教徒に対して、権力者がその肉体を物理的に抹殺することはできても、神の専管事項である魂には関与できない。それだから、相手が権力者であっても、アカデミズムやジャーナリズムの権威であっても、キリスト教徒は恐れることなく、自らの良心に従って、自由に発言し、行動することができるのである。>
□佐藤優『人生の役に立つ聖書の名言』(講談社、2017)の「苦難に負けない言葉」の「恐れるな」を引用
【参考】
「【佐藤優】迫害される人」
「【佐藤優】平和をつくる人」
「【佐藤優】心の清い人」
「【佐藤優】あわれみ深い人」
「【佐藤優】正しさを望む人」
「【佐藤優】柔和な人」
「【佐藤優】悲しんでいる人」
「【佐藤優】心の貧しい人」
「【佐藤優】地の塩となれ」
「【佐藤優】狭い門を選べ」
「【佐藤優】求めれば与えられる」
「【佐藤優】明日を思い悩むな」
「【佐藤優】思い悩むな」
「【佐藤優】まえがき ~『人生の役に立つ聖書の名言』~」
ここで示されているのは、「神様は恐い存在で、あなたの魂と体を地獄に送って滅ぼすことができる」という脅しではない。キリスト教徒は、自分が選ばれた存在であり、神によって地獄に送られ、滅ぼされることはないと確信している。もっとも、それはあくまで確信であって、このような確信的な人が必ず救われるという保証はないのである。具体的に誰を救うかというのは、全知全能な神の専管事項だ。そこに限定的な知力、能力しか持たない人間が介入することはできない。人間が神の意志にについて、完全に認識するということは、ありえないのである。
キリスト教徒に対して、権力者がその肉体を物理的に抹殺することはできても、神の専管事項である魂には関与できない。それだから、相手が権力者であっても、アカデミズムやジャーナリズムの権威であっても、キリスト教徒は恐れることなく、自らの良心に従って、自由に発言し、行動することができるのである。>
□佐藤優『人生の役に立つ聖書の名言』(講談社、2017)の「苦難に負けない言葉」の「恐れるな」を引用
【参考】
「【佐藤優】迫害される人」
「【佐藤優】平和をつくる人」
「【佐藤優】心の清い人」
「【佐藤優】あわれみ深い人」
「【佐藤優】正しさを望む人」
「【佐藤優】柔和な人」
「【佐藤優】悲しんでいる人」
「【佐藤優】心の貧しい人」
「【佐藤優】地の塩となれ」
「【佐藤優】狭い門を選べ」
「【佐藤優】求めれば与えられる」
「【佐藤優】明日を思い悩むな」
「【佐藤優】思い悩むな」
「【佐藤優】まえがき ~『人生の役に立つ聖書の名言』~」