<こころの貧しい人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。 --「マタイによる福音書」5章3節
「心の貧しい人」とは、経済的困窮者ではない。自分の心の中に救済の根拠がないことを自覚している人を指す。言い換えるならば、神に全面的に頼ることによってのみ自分は救われるのだという信仰を持っている人のことだ。キリスト教は、他力本願の宗教である。自分の心に一切、救済の根拠を認めないような信仰を持っている人が肯定的に評価される。
ここでイエスが「心の貧しい人たち」に対して「さいわいである」と言明した背景には、この世の終わりがすぐにやって来るという認識がある。それだから、この言葉には、「あなたが『神の国』に入りたいと思うならば、悔い改めて、自分自身が無力で、神に頼るしかないという信仰を持たなくてはならない」という意味がある。しかし、人間は自分が可愛いので、自分が無力な存在であるということを、なかなか認められない。イエスはそんな人間たちに、「小さなプライドを捨て、自らの無力さを自覚する謙虚さを持て」と教えているのだ。>
□佐藤優『人生の役に立つ聖書の名言』(講談社、2017)の「苦難に負けない言葉」の「心の貧しい人」を引用
【参考】
「【佐藤優】地の塩となれ」
「【佐藤優】狭い門を選べ」
「【佐藤優】求めれば与えられる」
「【佐藤優】明日を思い悩むな」
「【佐藤優】思い悩むな」
「【佐藤優】まえがき ~『人生の役に立つ聖書の名言』~」
「心の貧しい人」とは、経済的困窮者ではない。自分の心の中に救済の根拠がないことを自覚している人を指す。言い換えるならば、神に全面的に頼ることによってのみ自分は救われるのだという信仰を持っている人のことだ。キリスト教は、他力本願の宗教である。自分の心に一切、救済の根拠を認めないような信仰を持っている人が肯定的に評価される。
ここでイエスが「心の貧しい人たち」に対して「さいわいである」と言明した背景には、この世の終わりがすぐにやって来るという認識がある。それだから、この言葉には、「あなたが『神の国』に入りたいと思うならば、悔い改めて、自分自身が無力で、神に頼るしかないという信仰を持たなくてはならない」という意味がある。しかし、人間は自分が可愛いので、自分が無力な存在であるということを、なかなか認められない。イエスはそんな人間たちに、「小さなプライドを捨て、自らの無力さを自覚する謙虚さを持て」と教えているのだ。>
□佐藤優『人生の役に立つ聖書の名言』(講談社、2017)の「苦難に負けない言葉」の「心の貧しい人」を引用
【参考】
「【佐藤優】地の塩となれ」
「【佐藤優】狭い門を選べ」
「【佐藤優】求めれば与えられる」
「【佐藤優】明日を思い悩むな」
「【佐藤優】思い悩むな」
「【佐藤優】まえがき ~『人生の役に立つ聖書の名言』~」