<佐藤/アンドレイ・タルコフスキーの『ストーカー』が、81年に日本で上映されたときのタイトルは『スタルケル』。まだ日本にストーカーという概念がなかったから翻訳できずにロシア語の「スタルケル」のまま上映したんです。
片山/『二十歳の恋』にしても『スタルケル』にしてもストーカーという言葉が使われていなかっただけで、かつてもストーカー的な行為はあったし、ストーカー的な人は存在した。ストーカーは突然登場したわけでない。
佐藤/ユーミンの「まちぶせ」もストーカーの歌ですからね。時代は進みますが、桶川ストーカー殺人事件が起きたのが99年。その翌年に「ストーカー規制法」が制定されます。
片山/ストーカーが社会的に認知されて恐怖されるようになった。それは平成の新しい現象でしょう。
コミュニケーションの不全な人間はいつもいるけれど、それを管理し制御することが社会にできなくなった。閾値を超えたというか。もちろんアトム化(希薄化・孤立化)が進行して、止めるべき人が周りにいないということもある。
ストーカーは新しい人種ではなく、それを止めていた家族や共同体の方が壊れたと考えるべきなのかもしれません。つまり社会が崩壊して、ある種の人たちが目立つようになって、ストーカーが平成のキーワードの一つになった。
佐藤/外務省時代の同僚にもストーカーがいました。彼は手を出した研修生の女性に振られたとたんに豹変して、追いかけ回しはじめた。彼女の出張先に「白人が大好きな尻軽女です」というファックスを送りつけた。さすがに女性も怖くなって上司に相談した。
その後、ストーカーになった男が強い警戒心を示すようになった。デスクを書類や書籍の山で囲んで「俺は誰かに追われていたんだ」とバックミラーまで設置した。
片山/追う側が追われる側になってしまったんですね(苦笑)。>
□佐藤優/片山杜秀『平成史』(小学館、2018)の「第1章 バブル崩壊と55年体制の終焉/平成元年→6年(1989年-1994年)」の「宮崎勤事件と仮想現実」から一部引用
【参考】
「【佐藤優】世界史と相対化させよ ~平成史(4)~」
「【佐藤優】バブル崩壊でファミレス進化 ~平成史(3)~」
「【佐藤優】モスクワから見た狂騒ニッポン ~平成史(2)~」
「【佐藤優】天皇が中国と沖縄を訪ねた意味 ~平成史(1)~」
「【佐藤優】『平成史』概要」
片山/『二十歳の恋』にしても『スタルケル』にしてもストーカーという言葉が使われていなかっただけで、かつてもストーカー的な行為はあったし、ストーカー的な人は存在した。ストーカーは突然登場したわけでない。
佐藤/ユーミンの「まちぶせ」もストーカーの歌ですからね。時代は進みますが、桶川ストーカー殺人事件が起きたのが99年。その翌年に「ストーカー規制法」が制定されます。
片山/ストーカーが社会的に認知されて恐怖されるようになった。それは平成の新しい現象でしょう。
コミュニケーションの不全な人間はいつもいるけれど、それを管理し制御することが社会にできなくなった。閾値を超えたというか。もちろんアトム化(希薄化・孤立化)が進行して、止めるべき人が周りにいないということもある。
ストーカーは新しい人種ではなく、それを止めていた家族や共同体の方が壊れたと考えるべきなのかもしれません。つまり社会が崩壊して、ある種の人たちが目立つようになって、ストーカーが平成のキーワードの一つになった。
佐藤/外務省時代の同僚にもストーカーがいました。彼は手を出した研修生の女性に振られたとたんに豹変して、追いかけ回しはじめた。彼女の出張先に「白人が大好きな尻軽女です」というファックスを送りつけた。さすがに女性も怖くなって上司に相談した。
その後、ストーカーになった男が強い警戒心を示すようになった。デスクを書類や書籍の山で囲んで「俺は誰かに追われていたんだ」とバックミラーまで設置した。
片山/追う側が追われる側になってしまったんですね(苦笑)。>
□佐藤優/片山杜秀『平成史』(小学館、2018)の「第1章 バブル崩壊と55年体制の終焉/平成元年→6年(1989年-1994年)」の「宮崎勤事件と仮想現実」から一部引用
【参考】
「【佐藤優】世界史と相対化させよ ~平成史(4)~」
「【佐藤優】バブル崩壊でファミレス進化 ~平成史(3)~」
「【佐藤優】モスクワから見た狂騒ニッポン ~平成史(2)~」
「【佐藤優】天皇が中国と沖縄を訪ねた意味 ~平成史(1)~」
「【佐藤優】『平成史』概要」