語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【フェルメール】の秘密情報 ~赤瀬川源平『フェルメールの眼』~

2018年08月23日 | □旅
 路上観察学を開拓した赤瀬川源平が、フェルメールの全作品36点の観察を集約したのが本書。彼は「はじめに--フェルメールの秘密情報」でこう書く。

---(引用開始)---
 フェルメールはカメラが出来る前の“写真家”である。
 と考えたほうがいいのかもしれない。そう思うほど、フェルメールの絵は光学的で、神秘的である。
 光学的、つまり科学的であることがどうして神秘的なのか。その辺りは、実際にフェルメールの絵を見ながらこのあと考えていこう。
 でもぼくがフェルメールに引かれたのは、そういう妙な感触からである。二律背反というか、暖かいのに冷静、穏やかなのに研ぎすまされている、そういう感触が妙に目に引っ掛かって離れなかった。
 はじめはとにかくその描写の技術に目を見張った。本物そっくり。
 フェルメールに限らず昔の絵はみんなそうで、どの画家も本物そっくりのリアリズムを目指している。19世紀にカメラが世に出てくるまでは。
 フェルメールは17世紀のオランダの画家である。世の中の絵のリアリズムは16世紀のルネッサンスで遠近法を手に入れて、一段と本物そっくりに近づいていた。だからフェルメールの絵も本物そっくりなのだけれど、ちょっと違う。よく見ると、ところどころ筆のタッチがずいぶん粗い。
 人物の顔とか衣服とかの中心的な部分は筆のタッチをなくして滑らかに描かれているようだけど、でもところどころ粗い筆の跡がちゃんとわかる。
 たとえば床が白と黒の市松模様の石張りになっている絵が多いが、その白い石のまだら模様など、ほとんど一筆描きで筆跡も生々しいのだ。
 その大胆さに驚かされた。そのことに気がつくと、フェルメールの描写力の、他の画家とは違う透明感が、何か少しわかったような気になってくる。
 筆づかいは要所要所かなり粗いのに、描かれた絵の本物そっくり感はぞくっとするほどだ。でも何にぞくっとするのだろうか。
 一つは視覚のレンズ効果が描かれていることだと思う。レンズにはピント位置がある。ピントの合ったところはありありと見え、合ってないところはぼやけて、そのぼやけた中の尖った光の点は丸い粒状になる。そういう働きのレンズが人間の目にも、水晶体となってはめ込まれていて、それでぼくらは物を見ている。でも、自分の目は自分だけしか見ていないので、人間は自分の目のレンズ効果には気がつかない。目の構造を客体化したカメラが出来て、はじめてそのことに気がついた。でもカメラ以前に、フェルメールはその絵の中にレンズ効果を描き込んだのである。カメラと似た仕組みのレンズ付きのぞき装置(カメラオブスキュラ)の体験があるのだろうといわれている。
 そういう目の物理効果ともう一つ、心理的な人間効果。
 フェルメールの人物画は、ほとんどが生活の一場面を切り取ったものだが、その切り取り方が鮮明なのだ。
 ふつうならもう少し、そのポーズなり表情なりを“絵らしく”安定して落ち着いたところを描くものである。でもフェルメールの絵は違う。人々の生活の生の瞬間をすぱっと正確に切っている。その時間の切り取り方のところでも非常に写真的で、大胆である。画面に描かれた人物の、とくに複数の場合のお互いの心理関係などが、それぞれの動作や表情の上で、見事にその瞬間に凍結されている。
 物の描写の、レンズ的物理効果はカメラオブスキュラで獲得できたかもしれない。でもカメラそのものはまだ世の中にない。ましていまのようなハンディなカメラでの現実のスナップというのは、とても望めない時代である。でもそれをフェルメールは、自分の絵の描写力でおこなっている。その点を考えてもフェルメールは真からの、カメラ以前の写真家だったのだと思う。
---(引用終了)---

□赤瀬川源平『[新装版]赤瀬川源平が読み解く全作品 フェルメールの眼』(講談社、2012)の「はじめに--フェルメールの秘密情報」を引用

 【参考】
【フェルメール】《ぶどう酒のグラス(紳士とワインを飲む女)》 ~赤瀬川源平『フェルメールの眼』~
【フェルメール】《兵士と笑う娘》 ~赤瀬川源平『フェルメールの眼』~
【フェルメール】《牛乳を注ぐ女》 ~『20世紀最大の贋作事件』~
【フェルメール】の青はどこから来ているか? ~『フェルメール 光の王国』~

 
 本書
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【佐藤優】あわれみ深い人

2018年08月23日 | ●佐藤優
 <あわれみ深い人たちは、さいわいである、彼らはあわれみを受けるであろう。 --「マタイによる福音書」5章7節

 「あわれみ深い」という言葉は、神やイエス・キリストに対して用いられることが多い。神や、そのひとり子であるイエスのように、慈しみの心を持って他者に接する人を指しているのであろう。慈しみの心を持つ人は、他者の痛みを自分の痛みのように感じることができる。イエスは、弟子たちに、共感力の強い人間になれと訴えている。
 人間の気持ちは相互的だ。私がある人を嫌っているとしよう。その人は私から嫌われていることを何となく察知する。当然、その人は私に好感を抱くことはないであろう。逆に私がある人に共感を抱くならば、その人も私に共感を抱く可能性が高い。
 キリスト教の特徴は、聖書を読むことを通じて他者の気持ちになって考えることができる人間になることである。人間は一人で生きていくことはできない。あるときは他者を助け、別のときには他者に助けられる。あわれみ深い人はこのような相互扶助の関係を構築することができる。>

□佐藤優『人生の役に立つ聖書の名言』(講談社、2017)の「苦難に負けない言葉」の「あわれみ深い人」を引用

 【参考】
【佐藤優】正しさを望む人
【佐藤優】柔和な人
【佐藤優】悲しんでいる人
【佐藤優】心の貧しい人
【佐藤優】地の塩となれ
【佐藤優】狭い門を選べ
【佐藤優】求めれば与えられる
【佐藤優】明日を思い悩むな
【佐藤優】思い悩むな
【佐藤優】まえがき ~『人生の役に立つ聖書の名言』~


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【フェルメール】《ぶどう酒のグラス(紳士とワインを飲む女)》 ~赤瀬川源平『フェルメールの眼』~

2018年08月23日 | □旅
 路上観察学を開拓した赤瀬川源平が、フェルメールの全作品36点の観察を集約したのが本書。たとえば、《ぶどう酒のグラス(紳士とワインを飲む女)》についてこう書く。
 ちなみに、この作品は2018年のフェルメール展(8作品)の一つ。日本初公開。
---(引用開始)---
 男が女にワインを勧めている。他に誰もいない静かな室内で、ワインだけが精気をもつ小さな液体として際立っている。フェルメールの意図が伝わってくるし、絵の中の男の意図もよく伝わってくる。
 *
 上唇と鼻と目が、大きなワイングラスの中にすっぽりと収まっている。とくにその目が、ワイングラスの光った部分の向こう側に隠れてわからず、何かしら暗示的であり、こちらの目もモーローとしてくるみたいだ。
 *
■視線から読める“文学”
 この絵の場合、二つの視線が結ばれるのではなく、視線が折れ曲がって進む。
 まず黒い帽子の男。陶製のワインの瓶に手をかけて、じっと女を見ている。見られている方の女は、勧められたワインを飲みながら、その自分の視線は横倒しにしたワイングラスの中で渦を巻いている。
 そうやって画面から手の皮膚までぽっと赤くなってきている女をじっと見ている男。何だか九分通り手中にした獲物を見つめるような視線。そういう“文学”まで緻密に描いているフェルメールは、やはり物理的だけでなく人間的にも“写真画家”である。
---(引用終了)---

□赤瀬川源平『[新装版]赤瀬川源平が読み解く全作品 フェルメールの眼』(講談社、2012)の「5 ぶどう酒のグラス」を引用

 【参考】
【フェルメール】《兵士と笑う娘》 ~赤瀬川源平『フェルメールの眼』~
【フェルメール】《牛乳を注ぐ女》 ~『20世紀最大の贋作事件』~
【フェルメール】の青はどこから来ているか? ~『フェルメール 光の王国』~

 
 《ぶどう酒のグラス(紳士とワインを飲む女)》(1658- 60年頃)/ベルリン国立博物館

 
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