語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【81】01精神と情熱に関する八十一章

2014年06月09日 | ●アランの言葉
    薔薇(ドルトムント)
   

 これから1年間、折に触れて引用する。引用にとどめるつもりだが、多少の注釈、多少の所見を付するかもしれない。なお、引用は(5)の順序どおりではない。
 
 <凡例>
 (1)テキストは、小林秀雄・訳『精神と情熱に関する八十一章』(東京創元社・創元ライブラリー、1997)である。
 (2)【81】は、テキストからの引用で構成し、註釈は別途その旨を示す。
 (3)タイトルの「【81】01」は、ブログで『精神と情熱に関する八十一章』について書くのが1回目を意味する。
 (4)本文の「【01-01】」は、(5)に記す目次の「第一部第一章」を意味し、「【解説】」は中村雄二郎による「小林秀雄訳・アラン『精神と情熱に関する八十一章』について」を意味する。
 (5)目次は、次のとおり。

    まえがき
    序言
    第一部 感覚による認識
      第一章 感覚による認識のなかにある予想 
      第二章 錯覚 
      第三章 運動の知覚
      第四章 感覚の教育
      第五章 刺激
      第六章 空間
      第七章 感覚と悟性
      第八章 物
      第九章 想像
      第十章 異なった感覚による想像
      第十一章 観念の連合
      第十二章 記憶
      第十三章 からだのなかの痕跡
      第十四章 連続
      第十五章 持続の感情
      第十六章 時間
      第十七章 主観的なものと客観的なもの

    第二部 秩序ある経験
      第一章 あてどのない経験
      第二章 観察 
      第三章 観察者の悟性
      第四章 類推と類似
      第五章 仮設と憶測
      第六章 デカルト讃
      第七章 事実
      第八章 原因
      第九章 目的
      第十章 自然の法則
      第十一章 原理
      第十二章 メカニスム
    第三部 推理による認識
      第一章 言語 
      第二章 会話
      第三章 論理学あるいは修辞学
      第四章 注釈
      第五章 幾何学
      第六章 力学
      第七章 算術と代数学
      第八章 むなしい弁証法
      第九章 形而上学的推論の調査二つ三つ
      第十章 心理学
    第四部 行為
      第一章 判断 
      第二章 本能
      第三章 宿命論
      第四章 習慣
      第五章 決定論
      第六章 精神と身体の一致
      第七章 自由意志と信念
      第八章 神と希望と慈愛
      第九章 天才
      第十章 懐疑
    第五部 情熱
      第一章 幸福と倦怠 
      第二章 賭博熱
      第三章 恋愛
      第四章 自愛
      第五章 野心
      第六章 貪欲
      第七章 人間ぎらい
      第八章 妄想症
      第九章 恐怖
      第十章 怒り
      第十一章 暴力
      第十二章 涙
      第十三章 笑い
    第六部 道徳
      第一章 勇気 
      第二章 節制
      第三章 誠実
      第四章 正義
      第五章 再び正義(つづき)
      第六章 再び正義(つづき)
      第七章 権利と力
      第八章 知恵
      第九章 魂の立派さ
    第七部 儀式
      第一章 連帯関係 
      第二章 礼儀
      第三章 結婚
      第四章 礼拝
      第五章 建築
      第六章 音楽
      第七章 演劇
      第八章 狂信
      第九章 詩と散文
      第十章 公の力
   訳者後記
   あとがき
   小林秀雄訳・アラン『精神と情熱に関する八十一章』について・・・・中村雄二郎 

□アラン(小林秀雄・訳)『精神と情熱に関する八十一章』(東京創元社・創元ライブラリー、1997)
     ↓クリック、プリーズ。↓
にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ  人気ブログランキングへ  blogram投票ボタン

【食】来年から始まる弁当の健康認証マーク ~コンビニ弁当も健康?~

2014年06月09日 | 医療・保健・福祉・介護
 (1)2015年4月から、健康マークが貼られた弁当ばかり店頭に並ぶことになるかもしれない。
 厚生労働省「日本人の長寿を支える『健康な食事』のあり方に関する検討会」で、健康認証マーク制度の概要が決まった。
 調理済みの食品(コンビニエンスストア・スーパーマーケット・宅配etc.)が対象。飲食店は今の段階では対象になっていない。
 国が決めた基準を満足していれば健康マークを貼付してよい。
 マークはこれから公募される。
 認証ではあっても、自己認証だ。有機JASマークのように国や第三者機関が検査認証するわけではない。
 来年までに発表される国の基準さえ守っていれば、製造業者や小売店が自分でマークを付けることができる。

 (2)「健康な食事」の基準は何か。
 「主食・主菜・副菜のそろう食事が整えられるよう、主食・主菜・副菜の料理ごとに、食材(食品)及び栄養素の特性を踏まえた基準を定める。その際、適正なエネルギー量で、食塩含有量をより少なくすることに配慮する。主食・主菜・副菜は、単品でも組み合わせでも認証できる」
 <例>主食は「精製度の低い穀類を積極的に利用したもの」で、基準のイメージは「炭水化物○○~○○g、100kcal当たりの食物繊維○○g以上を満たす、精製度の低い米や麦等を用いた主食。単品の場合は、○○~○○kcalを超えないこと」になる。白米より玄米のほうが健康だ、ということになる。
 同様に、主菜は「適切な蛋白質量」、副菜は「十分な野菜量」、さらに「適切なエネルギー量」や「食塩含有量」などの基準が作られる見込み。

 (3)カロリーや塩分量が基準の決め手になるので、自分で分析しなくてはならない。
 大手企業は問題ないが、中小企業はじ自社で栄養分析ができないので、外部に委託することになる。通常、1品で1万円くらいの費用がかかるので、中小業者は、売り上げが伸びる保証がない限り健康マークを張ることは難しい。大手企業有利の案だ。
 健康マークを貼ればなんでも売れるという訳にはいくまいが、自己認証だけに偽装しやすい。
 取り締まるは誰が、どのようにして行う制度か。
 手を抜けば、偽装健康マークだらけになる。

 (4)健康弁当と健康総菜を食べて、本当に健康になれるか。
 添加物や発癌物質がいっぱい使用されていても、健康マークを貼ることができる。
 地域産物を使うことが認証条件になっていないので、輸入品ばかりで作った弁当や総菜まで健康マークを貼ることができる。
 国は、「大量生産、添加物いっぱいの出来合い食品で、十分健康になれる」と推奨することになる。
 家庭料理や手作り料理より、コンビニやスーパーの弁当や総菜のほうを買え、と言っている。

 (5)これが、本当に健康づくりなのか。
 市販されている加工食品で健康になれるということ自体、無理がある。
 本来、できるだけ生鮮食品を買ってきて、家で料理するこよを国は推奨すべきだ。 

□垣田達哉「来年から始まるお弁当の健康認証マーク コンビニ弁当も“健康”ですか」(「週刊金曜日」2014年6月6日号)
     ↓クリック、プリーズ。↓
にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ  人気ブログランキングへ  blogram投票ボタン


【食】消費者庁が健康食品の機能性表示案を提示

2014年06月08日 | 社会
 (1)健康食品の機能性表示の解禁は、安倍政権の規制改革路線の一環として検討されている。
 昨年12月に消費者庁が検討会を立ち上げ、制度案を審議中だ。第5回会議(5月2日)で、ようやく機能性表示に関する対応方針(案)が提示された。

 (2)機能性表示の解禁だからといって、なんでも企業の自由にさせるよう認めるわけではない。
  (a)表示の必須条件として、現在の特定保健用食品(トクホ)に準じる最終製品でのヒト試験、または関与成分に関する既存のヒトでの試験の適切なレビュー(評価)が求められる。
  (b)そこで効果が証明される、と企業が判断した場合、自己責任で機能性を表示できる。
  (c)証拠の情報開示も必須となってくる。

 (3)この制度が実施された場合、市販の健康食品はどう変わるか。・・・・これは実は、悩ましい問題だ。
 本当に効果があるのかの検証は、やはり国が審査して許可する制度が本来の姿だ。EUではそうなっている。日本でもトクホがそうした制度だ。
 しかし、日本では、トクホ以外の効能を暗示した健康食品であふれかえっている。中には、トクホの審査に落ちたサプリも堂々と販売されている。
 規制がまったく機能していない実態にあって、規制緩和であっても、一部そうしたデタラメを是正する効果がある、と評価できる点がある。

 (4)良い点。ヒトでの試験が1件もないようなものが明確になる。
 <例>「夜スリムトマ美ちゃん」・・・・2013年暮れに景品表示法違反で問題になった。
 これらの商品の事業者は、いざ消費者から証拠を見せろと要求されると、「効能を表示すると薬事法違反になるからお見せできない」という言い訳をしてきた。その言い訳ができなくなるから、信憑性が著しく落ちるだろう。
 ただ、そのためには消費者も率先して証拠開示を求める必要がある。

 (5)問題は、ヒトの試験で、「効果がある」という結果と、「効果がない」という論文が両方あるものだ。
 企業の自己責任で判断しろ、ということになるだろうが、客観的に公正なものであるかのチェックが必要だろう。
 日本健康・栄養食品協会(日健栄協)では、機能性評価の第三者認証制度を検討している。
 食後の血糖値の上昇を抑える、という効能についてサラシアという成分の評価を実施し、今年4月23日に結果を公表した。ヒトでの論文10件中8:2で「効果あり」の方が多かった、という評価結果だった。
 しかし、もとの論文の中には
  (a)糖尿病の患者の試験が2件あった。健康食品の対象はあくまで健康な人、または病気の境界域の人までなので、データとしてふさわしくない。
  (b)(a)のほか、日本で販売されているサプリメントの摂取量(1回80mg程度)をはるかに超える量(1回1,000mg)だけの試験が2件あり、それも日本の事業者が自社のサラシアサプリの証拠に使うにはふさわしくない。
  (c)残り6件では4:2だが、「効果あり」と判断されたうち1件は、統計的に有意差が出ていないものがあり、「効果なし」と判断すべきものがあった。よって、最終的には3:3となり、明瞭に効果があるとは言えない。

 (6)事業者のレビューで「証拠あり」と判断されても、鵜呑みにはできない。
 その証拠を開示させるだけではなく、その真偽を検証する制度が必要だ。 

□植田武智(科学ジャーナリスト)「消費者庁が健康食品の機能性表示案を提示 灰色の効果の判断はあいまいなまま」(「週刊金曜日」2014年5月30日号)
     ↓クリック、プリーズ。↓
にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ  人気ブログランキングへ  blogram投票ボタン



【原発】【古賀茂明】規制委員会人事とメディアの責任

2014年06月07日 | 震災・原発事故
 (1)5月27日に政府は、原子力規制委員会委員のうち9月に任期が終わる2人の委員を再任しない、と発表した。
 このうち島崎邦彦・委員長代理の交代については、電力会社に厳しかったので、政府が交代させた、というマスコミの報道が多かった。
 それはしかし、表面的な見方だ。
  (a)「島崎委員が電力会社に厳しかった」という見方は正しくない。傍証・・・・総理秘書官の一人は、島崎委員の言うことは極めてまとも、と評している。原発推進にのめり込む官邸でさえ、島崎委員が決して厳しかったわけではないことを認めている。
  (b)古賀茂明の知る地震学者の多くも、島崎委員は「人間としては良心的」だが、学者としては電力会社にかなり妥協した、と見ている。
  (c)客観的に見て、島崎委員はちっとも「電力会社に厳しい」ことはなかった。

 (2)規制委員会は、あらゆる意味で、再稼働を前提に動いている。
 地震の評価の面を見ても、基本的な姿勢は電力会社に対して甘い。
  (a)米国であれば、立地地点について大きな地震のリスクがないということを電力会社側が完全に証明して規制委員会を納得させなければならない。規制委員会側は、その説明fでわからなければ、「わからないから建設はダメ」と言える。日本では逆に、電力会社が「規制委員会の言うことは根拠不足だ」などと偉そうに論評し、それに対して規制委員会側が原発の敷地内の断層調査などを行って「危ない」ことを証明しようとするありさまだ。立証責任が逆転している。
  (b)規制委員会は、基準値振動【注】の見直しを指示した。当然だと思うだろうが、驚くべし、電力会社はこれに抵抗し、「島崎は電力会社に厳しい!」と批判した。

 (3)川内原発(鹿児島県)の早期再稼働を画策する九州電力にとって、「島崎退任」は朗報だ。
 一部には、退任が決定した島崎委員が最後にとんでもない「置き土産(今まで以上に厳しい判断)」を残すのではないか、と心配する向きもあるが、それは杞憂だろう。
 島崎委員はすでに、川内原発再稼働のために大きな妥協をしているからだ。規制基準では、火山の超巨大噴火に伴う火砕流が原発に到達する可能性がある場合には立地不適とされているのに、抜け道規定を作って九電がモニタリングして噴火が予知されたら急いで対応すればよい、としてしまった。
 しかし、火山噴火予知連絡会長らは、「超巨大噴火の予知はできない」として、規制委員会の抜け道規定を根本的に否定している。
 九電は、こんなに「甘い」島崎委員に足を向けて寝ることはできないだろう。

 (4)たった一人で原子力ムラと闘うのがいかに困難であることか、古賀茂明自身、身をもって体験してきた。島崎委員がその恐怖に押しつぶされ、退任後のことを心配したとしても決して驚くことではない。
 しかし、本来独立性が保証されているはずの規制委員会の委員が政治家などから公然と圧力を受けているのはおかしい。
 政府に責任があるのは当然だが、これを見て見ぬふりをしているマスコミの責任も大きい。島崎委員は、世論の後押しもなく孤立したと感じ、退任に追い込まれた。マスコミが、自民党や経産省や財界などの横暴を最初から厳しく批判し、世論を喚起していれば、結果は違っていたかもしれない。
 この国のマスコミが変わらない限り、後任の石渡明・委員にも多くは期待できない。

 【注】各原発ごとに想定する最大の揺れの大きさ。それ以上の揺れは絶対に起こらないとされていたのに、過去10年足らずの間に、5回も基準値振動を超える地震が生じた。

□古賀茂明「規制委人事とメディアの責任 ~官々愕々第111回~」(「週刊現代」2014年6月14日号)
     ↓クリック、プリーズ。↓
にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ  人気ブログランキングへ  blogram投票ボタン

 【参考】
【古賀茂明】医師と官僚の癒着の構造
【古賀茂明】電力会社「値上げ救済」の愚 ~経営難は自業自得~
【古賀茂明】竹富町「教科書問題」の本質 ~原発推進教科書~
【古賀茂明】安部総理の「11本の矢」 ~戦争国家への道~
【古賀茂明】理研は利権 ~文科官僚~
【古賀茂明】「武器・原発・外国人」が成長戦略 ~アベノミクスの今~
【古賀茂明】マイナンバーを政治資金の監視に ~渡辺・猪瀬問題~
【古賀茂明】東電を絶対に潰さずに銀行を守る ~新再建計画~
【古賀茂明】「避難計画」なき原発再稼働
【古賀茂明】「建設バブル」の本当の問題 ~公共事業中毒の悪循環経済~  
【古賀茂明】安倍政権の戦争準備 ~恐怖の3点セット~
【原発】【古賀茂明】利権構造が完全復活 ~東日本大震災3年~
【古賀茂明】アベノミクスの限界 ~笑いの止まらない経産省~
【古賀茂明】労働者派遣法改正前にすべきこと
【古賀茂明】時代遅れな、あまりにも時代遅れな ~安部政権のエネルギー戦略~
【古賀茂明】森元首相の二枚舌 ~オリンピックの政治的利用~
【古賀茂明】若者を虜にする「安部の詐術」 ~脱出の道は一つ~


【堤未果】「水道の民営化」が招く社会インフラ大崩壊 ~価格高騰に水質低下~

2014年06月06日 | 社会
 (1)自然資源や社会的インフラ、教育、医療、行政制度などの共有財産は、持続可能な未来のために国民が守るべき社会的共通資本である、と宇沢弘文(経済学者)は言う。
 中でも「水道」は重要なライフラインだ。その水道の民営化をめぐって、世界各地でさまざまな問題が起きている。

 (2)公共インフラへの民営化導入の際、最も強調されるのは競争原理や運営効率化による利用価格の下落だ。
 だが、そもそも政府が目指す「公共利益」(「安全な水の安定的供給」)と、私営企業にとっての目的(「株主利益拡大」)とは一致しない。企業が、設備投資や固定資産税を価格に転嫁すれば、その結果、利用価格は上昇する。
 <例>サッチャー政権下では、水道事業民営化から6年間で、
     ・受注企業の利益 692%上昇
     ・CEO給与 708%上昇
     。水道料金 109%値上がり

 (3)価格高騰に加え、水質低下が問題になったケースが少なくない。
 <例:ウルグアイ>良質だった水道水が、民営化後のコスト削減によって質を悪化させ、煮沸消毒なしでは飲めなくなった。危機感を抱いた国民は、2004年の国民投票で、過半数以上が民営化に反対を表明。政府は、「水資源は公共財産」とする憲法改正に踏み切り、以来、水道事業の民営化は禁止されている。
 <例:アルゼンチン>水道事業を受託したフランス系水企業が、下水の9割を未処理のまま川に流した上に、水道料金を10年で9割上昇させた挙げ句、撤退に追い込まれた。世界3大メジャーのうち2社を有する水輸出大国フランスの本国でも、民営化による利用料金高騰と水質低下の結果、民営化したパリの水道事業、を2010年から再び国営に戻すことになった。

 (4)1990年代に南米・アジア都市部で、「水道民営化」の波を起こしたのは、世界銀行などの国際機関だ。
 <例:ボリビア>政府が多国間債務免除と引き換えに、市営水道会社を民営化し、米国の建設会社大手「ベクテル」の子会社を参入させた。同社は、早速設備費用のために水道料金を一気に200%も値上げしたうえ、地下水の権利も買収して、国民が自宅敷地内の井戸水を汲み上げたり、雨水を溜めることを違法にした。
 水というライフラインへのアクセスを失った市民の怒りは大規模な暴動へ発展した。労働者の無期限ストが拡大し、瞬く間に全国に広がっていった。
 結局、水道は再び公営に戻された。しかし、撤退を余儀なくされたベクテル社は、むろん黙っては引き下がらなかった。投資額の25倍にあたる2,500万ドルの賠償金をボリビア政府に請求したのだ。
 2,500万ドルあれば、ボリビアで25,000人の教師を雇用し、貧困層12万世帯に水道を敷くことができる。
 結局、最初から最後まで公共インフラ民営化のツケを支払わされたのは、ボリビアの国民だった。

 (5)多くの国際協定もまた、国境を越えた水ビジネスを積極的に推進中だ。
 北米自由貿易協定(NAFTA)は、締結国に対し、フェアな競争を維持するという名目で、商業用水資源利用における国内企業優遇政策を禁止した。さらに、3国間での大規模な水の輸出入によって、環境被害が起こっても、企業側に輸出量削減や輸出停止などの措置は一切課されない。

 (6)(3)や(4)や(5)のように、世界中で投資拡大や自由貿易協定が推進される一方、各国の水資源や環境保護のための法制化が追い付いていない。
 日本では、2014年3月にやっと、外資による水資源の乱開発や買収を規制する「水循環基本法」が成立した。
 だが、その翌月には大阪市が、水道事業の民営化計画を発表。効率化を図り、継続的黒字化を目指す、という。大阪市で勢いがつけば、その波は全国へ拡がるだろう。
 日本における社会的共通資本に対する国民の価値観が、いま問われている。

□堤未果「価格高騰に水質低下・・・・「水道の民営化」が招く社会インフラ大崩壊 ~ジャーナリストの目 第208回~」(「週刊現代」2014年6月14日号)
     ↓クリック、プリーズ。↓
にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ  人気ブログランキングへ  blogram投票ボタン

【言葉】改革という名の削減 ~自民党政治~

2014年06月05日 | 社会
 小泉時代には、強者に対する再分配が改革という美名の下で進められた。これ以上、改革という意味不明の言葉を使うべきではない。社会保障改革ではなく、はっきりと医療費削減、介護費削減と言うべきであり、地方交付税改革ではなく交付税削減と言うべきである。そして、そのような政策がもたらす結果を明らかにしたうで、その是非について国民の判断を仰ぐべきである。

□山口二郎(北海道大学大学院教授)『札幌時計台レッスン 政治を語る言葉』(七つ森書館、2008)
     ↓クリック、プリーズ。↓
にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ  人気ブログランキングへ  blogram投票ボタン

    ストレプトカーパス
   

【韓国】“絶望”と政治・メディアへの失望 ~旅客船沈没の後遺症~

2014年06月05日 | 社会
 (1)4月16日、韓国南西部の珍島(チンド)沖で、476人を乗せた旅客船セウォル号が沈没した。死者・行方不明者304人。
 安全より利益を追求した船会社だけでなく、政府やメディアにも批判が集まった。
 乗組員らが乗客を救助せず真っ先に逃げたことが明らかになるにつれ、乗組員を糾弾する報道が過熱した。朴槿恵・大統領は、「殺人のような行動」と吐き捨てた。
 しかし、市民からは、社会そのものを自省する世論も生まれている。「われわれと船長と何が違うのか」云々。

 (2)セウォル号は、運航会社「晴海鎮(チョンヘジン)海運」が日本から2012年に中古で購入した。購入後、客室を増室し、定員を100人以上増やす改造で重心が高くなり、船体重量も800トン以上増加した。
 4月15日夜、出港直前・・・・セウォル号は980トンとされる基準積載量の3倍以上の荷を積み、船底のバラスト水(バランスを取る)を4分の1になるまで排水した。過積載によって売り上げを増やそうとし、バラスト水を減らすことで速度を上げようとしたのだ。
 事故原因は、潮流の速い海域で不安定な船の操縦を誤って急旋回させたため、船体が大きく傾き、転覆した。【検察の分析】
 改造と過積載という人為的な原因によって、「沈没は予定されていた」。

 (3)乗組員の一部は、事故後、「安全教育を受けたことはない」と証言している。
 40個以上あった救命いかだは、正常に作動するものが1個もなかった。乗客が救助される可能性は、限りなく低かった。そのことをよく知っていたイ・ジュンソク船長を始めとする乗組員らは、海洋警察庁の救助艇が来るまで乗客の避難誘導をせず、ただ待機していた。
 しかも、そのとき、乗組員は過積載の隠蔽工作を試みている。沈没直前に船内から、「過積載が原因のようだ。積載量の表示を減らせないか」と晴海鎮海運に電話し、社員が「もうやっている」と答えた。
 こうした中、「救命胴衣を着て待機せよ」と放送が流れ、多くの乗客が船内にとどまり、結果として犠牲者が増えた。
 検察などの合同捜査本部は、乗客を見捨てた、として船長を含め操船担当乗組員計15人全員と運航会社代表らを遺棄致死などの容疑で逮捕した。船長ら4人は、その後殺人罪で起訴された。

 (4)政府に対する怒りも噴出している。
  (a)情報が最も必要な家族に、正確な情報が伝わらない。
  (b)民間のダイバーが多数来ているのに、彼らを投入しない。
 被害者家族や国民の政府不信は事故当日から根強い。
 政府は、事故直後、「生徒は全員生存」「360人以上を救助」と発表。その後も救出者数を何度も訂正した。
 政府は、生存者の捜索が始まった事故当日から、家族に遺体の身元確認をするためのDNA型の提供を呼びかけもした。遺体を取り違えて引き渡す事故も起きた。

 (5)検察は、海洋警察庁と海運業界との癒着疑惑も捜査中だ。
 海洋警察庁は、事故当日、傘下の天下り先団体「海洋救助協会」の副総裁が代表を務める民間潜水会社「アンディーン社」に救助作業を依頼した。
 アンディーン社による活動を優先させるため、海洋警察庁がベテラン海軍ダイバーの現場接近を妨害した・・・・と海軍は主張している。
 朴大統領は、事故後1か月以上経った5月19日、国民向け談話で、「(政府が)まともに対処できなかった」と謝罪した。捜索活動を続けている海洋警察庁の解体を宣言した。
 海洋警察庁は、人命より利権を優先した、と批判を浴びている。その解体は、癒着解明にストップをかけるものだ。

 (6)被害者家族の怒りは、メディアに対しても矛先が向けられている。
 捜索方針の抗議に訪れた家族代表40人を、それ以上の記者団が取り囲み(メディアスクラム)、身動きがとれなくなった家族代表は怒声をあげた。
 報道内容にも問題があった。放送局「文化放送(MBC)」は、事故当日、ニュースで、旅行者保険の死亡保険金額を紹介した。放送局「JTBC」は、救助された高校生に「(他の)生徒が死亡したのを聞いたか」と質問し、この生徒を泣かせた。
 日本のメディア各社も、メディアスクラムに加わっていた。だから、過熱報道による事件・事故の「被害拡大」に無頓着で、日本では大きく報道されることはなかった。

 (7)事故を受け、ソウル市庁をはじめとして韓国全土に「ごめんなさい。あなたたちを忘れない」などと被害者に謝罪する追悼の垂れ幕が張られている。自己責任を船長や乗組員に押し付けるのではなく、社会全体で負うべきだ、との考えが広がっている。
 日本でも、福島第一原発事故を受け、「政府は安全だと言っている」と報道しながら記者を福島から退避させたメディア各社の姿勢と、セウォル号の乗組員の行動とを同列に見る考えが、インターネットなどで散見される。
 韓国では、アジア通貨危機(1997年)以降、新自由主義の傾向が強まった。政府も市民も、利益より安全を重視する社会をどう取り戻すか、頭を悩ませている。
 韓国社会の憂いは深い。
 日本社会は、憂いさえ抱こうとしていない。

□金子正浩(ジャーナリスト)「旅客船沈没に憂える韓国社会 現地取材で見た“絶望”と政治・メディアへの失望」(「週刊金曜日」2014年5月30日号)
     ↓クリック、プリーズ。↓
にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ  人気ブログランキングへ  blogram投票ボタン

【言葉】幸福の敵

2014年06月04日 | 批評・思想
  私はなんとかして誇張を避けようと努力している。すべてにおいて虚偽を幸福の敵として嫌っている。

□スタンダール「日記、ミラノ、1811年9月8日」(クロード・ロワ(生島遼一・訳)『スタンダール』、人文書院、1957)
     ↓クリック、プリーズ。↓
にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ  人気ブログランキングへ  blogram投票ボタン

    アネモネ
   

【原発】差別的労働管理 ~「吉田調書」に浮かぶ電力会社の「日常」~

2014年06月04日 | 震災・原発事故
 (1)吉田昌郎・福島第一原発所長(肩書きは当時。以下同じ)が、政府事故調査・検証委員会の聴取に答えた「吉田調書」の内容を「朝日新聞」が報じている。
 「調書」では、次のようなことが指摘されている。
  (a)所員の9割が所長命令に反して第二原発へ避難していた。
  (b)本店(東京)に助けを求めた吉田所長に対して、清水正孝・社長が「可能な範囲で対処方針、対処しますので、なんとか、今しばらくはちょっとがんばっていただく」と答え、迅速には動かなかった。
  (c)(b)の結果、収拾に当たったのは消防隊や関連企業だった。

 (2)<最も大変な事態が進行しているときに、原発を操作できる電力会社が収束作業態勢を著しく縮小し、作業にあたる義務のない者が自発的に重要な作業をし、現場に来ることが定められていた役人が来なかった>と朝日新聞は書く。
 その底にあるのは、電力会社の「日常」だったのではないか。つまり、間接部門(委託・派遣)や非正規に現場(事業の根幹であるはず)を担わせて本体は空洞化し、幹部や上級社員が「不在地主化」しつつある「日常」だ。

 (3)原発のようなものを動かすなら、最低限、次のシステムが不可欠だ。これらの基本が「調書」には見られない。
  (a)働き手は何をしているか(職務の透明性)。
  (b)その役割は果たされているか(評価の透明性)。
  (c)「目下」の社員からの危険信号でも迅速に受け止める体制があるか(職場の民主制)。 

 (4)中国電力では、賃金差別訴訟も起きている。ここでも、同様の危惧が感じられる。
 原告は、同社で働き続けてきた長迫忍だ。女性にも力を発揮させてほしい、と長く訴え続け、ようやく営業の仕事を任せられるようになった。しかし、昇進・昇格・賃金で男性と大きく差をつけられ続け、2008年、提訴に踏み切った。
 一審、二審は敗訴し、最高裁に上告中だが、その記録からは、実際の職務より性別や身分を重視する体質、異論を唱えた者を封殺する労務管理が浮かんでくる。

 (5)原発だけではない。テレビ業界・広告業界、自治体サービスを始め、派遣・委託・非正規任せによる空洞化は蔓延している。竹信三恵子『ルポ賃金差別』(ちくま新書)でも指摘があるが、怖いのは、非正規化と間接雇用化で一線の働き手は労使交渉の道さえふさがれ、意思決定層への発信が難しくなっていることだ。
 そんな中で働き手に投げつけられるのが「自己責任」という言葉だ。

 (6)正社員の枠を狭められて就職に苦労する学生に、「自分を磨け」と説教するだけの社会では、学生は持てるすべてを注ぎ込んで、自力で就活を乗り越えるしか手はない。大内裕和・中京大学教授のいわゆる「全身就活」だ。
 企業の低賃金や長時間労働による結婚の困難を何とか自力で乗り越えようと、「全身婚活」に走る男女。
 保育所不足を乗り越えるため、産休・育休中から必死で保育所探しに走る「全身保活」の若い母。

 (7)(5)や(6)の状況をめぐる対談集『「全身○活」時代 ~就活・婚活・保活からみる社会論』(大内裕和/竹信三恵子、青土社、2014.5.22)が今月出たが、「吉田調書」に表れたのは、まさに空洞化した電力会社内での現場の必死の乗り越えとしての「全身○活」の姿だった。
 原発の持続可能性の危うさは言うまでもない。
 同時に、私たちにあの原発を再稼働できるような組織を持っているのか・・・・という問いも発していく必要がある。

□竹信三恵子(和光大学教授)「「吉田調書」に浮かぶ電力会社の「日常」 差別的労働管理が生む「全身○活」の危うさ  ~竹信三恵子の経済私考~」(「週刊金曜日」2014年5月30日号)
     ↓クリック、プリーズ。↓
にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ  人気ブログランキングへ  blogram投票ボタン

    

【原発】現実を直視し人格権を尊重 ~大飯原発の運転差し止め判決~

2014年06月03日 | 社会
 (1)5月21日、福井地裁は、大飯原発3、4号機運転差し止め訴訟に、原告勝訴の判決を言い渡した。憲法上の人格権を根拠に、運転差し止めを命じたのだ。
 関係者が判決全文や要旨をインターネットに載せている。必読だ。
 当然ながら、原発推進派は判決を批判・・・・というより貶めようとしている。典型は「読売新聞」や「産経新聞」の社説。「非科学的」「非現実的」「不合理」「ゼロリスクに囚われ」etc.。
 だが、判決は反論を先取りし、無効を宣告している。

 (2)科学に絶対はない。それ以前に、しばしば中立を装った科学に政治的バイアスがかかる。この歪みは、科学に(も)名を借りた「美味しんぼ」叩きでも発揮された。
 また、「朝日新聞」が福島第一原発事故の政府事故調査委員会のいわゆる「吉田調書」について特集記事を展開しているが、技術ですべてが解決するわけではない。
 緊急時はむろん、平時でもヒューマンエラーを始めとするさまざまな要因が適切な処理を妨げる。付言すれば、防災計画や避難計画も現実の事態次第で、機能する保証はない。
 最新の知見を反映したと称する規制基準を盾に福井地裁判決を「非科学的」と断じるのは、科学的態度でない。

 (3)むろん、われわれは科学の限界やリスクを一定程度許容して技術の実用化を認め、享受している。ただし、技術選択の線引きは科学に内在するのではなく、社会的合意による。
 ひとたび事故が起これば甚大な被害をもたらす原発を許容するか否かは、確率の高低だけで決めることはできない。自公政権になって以降、政治からその視点が急激に失われ、特定の利害に基づく詭弁がまかり通っている。

 (4)福井地裁判決は、現実に発生した福島第一原発事故とその被害を出発点とした。生命を基礎とする人格権を対置して、これが優位にあると結論付けた。抽象的な憲法論議ではなく、その理念を現実に適用するとともに、空疎な科学論・科学信仰を排して、現実を直視した。
 この判決を「感情的」とする批判は当たらない。原発に関して、科学や経済が現に生きている人々の感情に優越していいのかを真摯に検討した結果だからだ。
 「素人判断」という非難も的を外している。裁判官は、素人の声に耳を澄ませて、そこに真理を読み取ったのであって、素人の立場にとどまっていない。ここにも人格権を抽象理念に祀り上げない真摯な姿勢が見られる。
 この判決は、今後の原発論議に大きな意義をもたらすものだ。付言すれば、大飯原発250km圏の人々に原告適格を認めたことも、政府が曖昧にする原子力規制委員会審査終了後の原発再稼働手続きに影響を及ぼすはずだ。

 (5)現実から出発して、憲法で現実を照らして、理念を具現化する。この姿勢は、安倍晋三政権とは好対照だ。
 安倍首相は、結論ありきで論理が飛躍する使役諮問機関(安保法制懇談会)報告書、情緒的で筋が通らない記者会見、誘導狙いの非現実的な事例で憲法解釈の変更を目論む。
 だが、安倍首相が叫ぶ「国民の命」と福井地裁判決が見据えたそれと、どちらから心臓の鼓動が聞こえてくるか。
 この判決は、ことほど左様に意義深く、味わい深い。

□村岡和博(国会議員秘書)「大飯原発の運転差し止め判決 現実を直視し人格権を尊重 安倍首相の姿勢とは好対照だ ~村岡和博の政治批評~」(「週刊金曜日」2014年5月30日号)
     ↓クリック、プリーズ。↓
にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ  人気ブログランキングへ  blogram投票ボタン

【言葉】リーダーの条件 ~スリム元帥の演説~

2014年06月03日 | 心理
 わたしが戦いの指揮をとっており、なにもかも計画どおり順調に進み、勝利を収めつつあるとき--わたしは偉大な指導者であり、優秀な将校である。だが、なにもかもうまくいかないときは、自分がじっさいに指揮をとっているかどうかに関係なく、非難されるのはわたしなのだ。

□アンディ・マクナブ(伏見威蕃・訳)『ブラボー・ツー・ゼロ ―SAS兵士が語る湾岸戦争の壮絶な記録』(ハヤカワ文庫NF、2000)
     ↓クリック、プリーズ。↓
にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ  人気ブログランキングへ  blogram投票ボタン

    矢車菊
   

【健康】ウォーキング

2014年06月02日 | 批評・思想
 貝原益軒いわく、
 <身体は日に少しずつ労働すべし。久しく安座すべからず。毎日飯後に、必ず庭の内、数百歩しずかに歩行すべし。>
 益軒は歩きの達人で、84歳で大往生した(1714年)。
 ウォーキングは、呼吸・循環器系の機能を向上させ、高血圧症を改善し、骨粗鬆症や認知症を予防し、乳がん・大腸がんのリスクを低減させる。
 米国の報告によれば、1週間に2時間半の運動を守った人々は、平均3、4年長生きをする。

□塩宏(医師)「ウォーキングで健康維持 ~散歩道~」(日本海新聞 2014年4月10日)
     ↓クリック、プリーズ。↓
にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ  人気ブログランキングへ  blogram投票ボタン

    おだまき
   

【竹富町教科書問題】法改定で単独採択可能に ~予断を許さず~

2014年06月02日 | 社会
 (1)沖縄県教育委員会(宮城奈々・委員長)は、5月21日、定例会で、竹富町教育委員会を教科用図書八重山教科書採択地区から分離し、今後は単独採択地区とすることを決定した。
 「義務教育諸学校の教科用図書の無償措置に関する法律(教科書無償法)」の一部改定案が、参議院本会議で4月9日、賛成多数(自民・公明・維新、みんな)で可決され、竹教委の離脱が可能になった。同教委もその意向を示したため、県教委が判断。文科省の担当(初等中等教育局企画係)によると、「違法状態は解消される」。

 (2)下村博文・文部科学相は、5月23日の会見で、「採択地区の設定は地域の自然的、文化的、経済的な諸条件や、教科書の調査研究体制の有無等を考慮して行うべき」であるとして、今回の「変更は法の趣旨を十分に踏まえたものとは言いがたく、遺憾」という見解を示した。
 5月20日、玉津博克・教育長(石垣市)が文科省で上野通子・政務官と面会。「八重山地方は教育だけでなく、行政や経済も一体」で、「竹富町の単独採決は理解できず、好ましくない」と「直訴」した。
 玉津は、「国や沖縄県が決めることに私たちが反対・賛成などと言う立場にない」としつつ、教科書無償法の改定は「基本的に良いこと」と肯定する。
 一見、竹教委に有利に働いたかのように見える今回の法改定だが、文科省その他「保守系」文教族にとって何が「良いこと」なのか。

 (3)そもそも、「矛盾多い教科書の共同採択制度」など、「採択地区の分割」を求めてきたのは「つくる会」系側だった。竹富町の「ごり押し」に見せかけて、自分たちの支持自治体の拡大を狙う法改定の意図が透けて見える。
 教科書無償法の改定は、文科省の「教科書改革実行プラン」(2013年11月15日)に基づいて行われた。骨子は、次のようなもの。
  (a)共同採択の際の構成都市町村による協議ルールを明確化する。
  (b)「市郡」単位となっていた採択地区の設定単位を「市町村」に柔軟化する。
  (c)採択結果や理由など、教科書採択に関する情報の公表を求める。
 (b)を巡っては、今後、竹富町以外の各地でも、単独採択地区としての「独立」や共同採択地区の再編など、見直しの加速が予想される。

 (4)一市二町から成る八重山諸島では、2011年8月、中学生向け「公民」教科書の採択に際し、同採択地区協議会総会で「つくる会」系の「育鵬社」版教科書が選定された。
 だが、これを推す石垣市・与那国町両教委に反対して竹教委は「東京書籍」版を採択。3教委が平行線を辿る中、同年9月、共同採択地区の教委全員による八重山教育委員協議会臨時総会は「育鵬社」版を不採択とし、「東京書籍」版を採択した。しかし、この協議も文化省は無効と判断。以後、竹富町は教科書無償法の適用外とさてた。

 (5)慶田盛・竹富町教育長によれば、「私たちの主張は一貫している」。「教科書無償法第13条第4項によれば、地区内に複数の市町村がある場合、同一教科書を使用する、とある。一方、地方教育行政法第23条第6項は、各市町村の教委に教科書選択の決定権がある、としている。2つの法律が矛盾していた」。
 江川三津江・前石垣市教育長/「子どもと教科書を考える八重山地区住民の会」共同代表は、「今後の動きを注視したい」と慎重だ。「歴史認識の改変や愛国心などを盛り込む道徳の教科化、首長が国の方針をもとに『教育大綱』を決定し、教育委員会を従属させる教委制度改定など、一連の動きの中で今回もとらえる必要がある」。

□内藤英聡「予断許さない八重山教科書問題 沖縄県竹富町、法改定で単独採択可能に」(「週刊金曜日」2014年5月30日号)
     ↓クリック、プリーズ。↓
にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ  人気ブログランキングへ  blogram投票ボタン

 【参考】
【古賀茂明】竹富町「教科書問題」の本質 ~原発推進教科書~
【片山善博】文部科学省の愚と憲法違反 ~竹富町教科書問題~

【医療】穏やかな看取りを支える“引き算”の医療 ~訪問看護~

2014年06月01日 | 医療・保健・福祉・介護
 秋山正子・訪問看護師は、東京都新宿区で20年以上訪問看護に関わり、「市ケ谷のマザー・テレサ」と呼ばれる。

 Q:国が在宅医療を強化する中、看護師の働き方も変わろうとしている。訪問看護師は増加しているか?
 A:ある看護師から相談があった。「急性期病院で2年働いたが、機械や薬剤に追われ、自分が本当にやりたい看護とのズレを感じた。ゆったりと患者と接したいが、どうすればよいか」
   国を挙げて訪問看護師を増やそうとしているが、かけ声だけではどうにもならない。訪問看護師不足は、個々の訪問看護ステーションの努力だけでは解消できない。行政の支援が不可欠だ。

 Q:具体的にはどんな支援が必要か?
 A:実現したものが一つある。昨年10月、東京都が全国に先駆けて、訪問看護師を育成するため「訪問看護師教育ステーション事業」を始めた。訪問看護に関心がある看護師たちに、指定教育ステーションでの研修や職場体験を通じて、不安を鑑賞してもらおう、というもの。
   こういう事業のチャンスを活かして、思い切って訪問看護のドアを叩いてほしいと切に願う。

 Q:訪問看護を目指す看護師は、どのような不安を抱えているか?
 A:(1)単独で患者に接する医療上の不安。
   (2)24時間対応という働き方。 
   (3)給与。
   未経験のまま、看取りに立ち会えば戸惑うこともある。だが、現場教育を重ねるし、患者と家族の大切な時間である看取りを通して看護師は多くを学ぶことができる。
   働き方は、比較的恵まれた新宿区の場合、おおざっぱに言って訪問看護師1人当たりの受け持ち患者数は12人で、ぎりぎりだ。訪問看護師が増えて10人ぐらいになれば、もっと余裕を持って看護に当たることができる。
   給与は、夜勤手当がない分、減りはするが、基本給の部分はそう変わらない。

 Q:訪問看護がより役割を発揮するにはどんな改善が必要か?
 A:看取りの現状については、一つも二つも進むべきだ。
   <例>死亡診断書は、医師しか担えない。医師の数が不足しているにも拘わらず。一方で、国は、病院ではなく在宅などで最後を迎えることを推奨している。世代人口的にも病院以外の場所で亡くなる人の増加は避けられない。
   ところが、今でさえ、医師がいないために死亡診断書が作成できず、警察沙汰になることが多々起こっている。そこを看護師が肩代わりできないものか。

 Q:訪問看護の魅力はいかに?
 A:病院の医療は大事だ。ただ、そこでは“足し算”の医療が行われる。ある医療措置をしたら、それによる副作用や合併症が出て、治療や薬が追加される、といった具合に。他方、在宅医療は“引き算”だ。可能な限りシンプルかつナチュラルに、でもケアは十分に、という。看取りも穏やかな過程をたどる。
   Cureよりcareなので、看護師の役割が大きい。その魅力を知ってほしい。看護師免許を眠らせている人が多くいる。フルタイムでなくても参加してほしい。

□秋山正子/聞き手:編集部「穏やかな看取りを支える訪問看護は“引き算”の医療」(「週刊ダイヤモンド」2014年5月17日号)
     ↓クリック、プリーズ。↓
にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ  人気ブログランキングへ  blogram投票ボタン

 【参考】
【医療】医師はとにかく「教授」と呼ばれたい ~病院教授・臨床教授~
【医療】1日30分でも3万円稼げるバイト ~レセプト審査~