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20070121開設/中学高校国語授業指導案/中学校学級経営案/発達症対応/生活指導/行事委員会指導

中学国語指導案・少年の日の思い出研究1・論題17題

2011-02-01 05:32:48 | 中高国語など指導案
2011/2/4up全ページ目次
中学国語指導案・少年の日の思い出研究1・論題17題
作成日2011/2/4
zzrさんへ!
取り急ぎ、思いついたことだけを書きます。
僕も今日明日考えますので、
zzrさんの意図・研究の方向をもう少し詳しく教えて頂ければお互いに勉強になります。
ご友人とも話しあっていただけたら大変嬉しいです。
コメント欄で足りなければ右にある「メッセージを送る」を頂く手もあります。
アドレスを知られたくなければ投稿欄を十でも二十でも使ってください。


<投稿文>
はじめまして (zzr)
2011-02-04 15:17:57
hyokoさんはじめまして。
「少年の日の思い出 実践」で検索してこのブログにたどり着きました。
私は今大学生で、この教材についての指導案を書き、『少年の日の思い出が長年教科書に載っているのはなぜか』というような趣旨のレポートを書こうと思っています。
そこで、質問なのですが
最後のエーミールの家に行き許しを請う場面で「すんでのところであいつの…ところだった」という表現がありますが、「とびかかれなかった」のか「とびかからなかった」のか言い換えるのならどちらの表現が正しいのかわかりません。私は後者の方が合っていると思います。また、翻訳の高橋さんは上記二つの表現では表せないから本文のように書いたのだとも考えています。(昨日友人と話し合って出てきたアイディアなので説明不足です)
原文を見て自分で考えろと言われそうですが、アドバイスがほしくて投稿してしまいました。

<前置き>
1 研究は論点を狭く絞る原則に沿っていらっしゃいます。

2 浅学にてzzrさんの論点は過去拝見したことがなく、
  大変おもしろく、価値ある問題だと感じました。

3 投稿してくださっった文章には幾つかの問題が含まれています。
  デカルトが「難問は分割せよ」と言っています。
  問題が幾つ存在するのかを明らかにし、
  一つ一つの問題の追求することが、全体の論点の解決につながります。

<投稿文の問題点の分割>
私は今大学生で、この教材についての指導案を書き、

(1)『少年の日の思い出が長年教科書に載っているのはなぜか』
  (これは曖昧な問題なので置いておく)

というような趣旨のレポートを書こうと思っています。
そこで、質問なのですが
最後のエーミールの家に行き許しを請う場面で

(2)「すんでのところであいつの…ところだった」
  hyokoの手元の本文では24段落の文章である。
  既の所で、の意味(既のこと。もう少しのところで)
  あいつの(「あいつ」という表現の意味)
       (23段落までは「彼」とある)
  のどぶえに(「のどぶえ」がどこか中学生は知らない)
        (なぜのどぶえか。目でも頭でも腹でもなく)
  飛びかかるところだった(「つかみかかる」「ぶちのめす」「しめつける」との違い)
              (ところだった、はとりあえず飛びかかる行為はなかった)
              (なぜ飛びかからなかったのか・れなかったのか)

という表現がありますが、

(3)「とびかかれなかった」のか「とびかからなかった」のか
  なぜこの二つの表現を思いついたのか。
  この二つの表現を問題にすることの意味・理由は何か
  翻訳文であることの問題点をどう考えるか。
  (当然ヘッセの意図と翻訳者の意図は一致し得ない)

(4)言い換えるのならどちらの表現が正しいのかわかりません。
  なぜ「言い換える」ことを思いついたのか
  なぜ「言い換える」必要があるのか。
   「言い換える」ことによる「授業における」「学習のねらい」は何か。

(5)私は後者の方が合っていると思います。
  なぜ合っているのか。根拠は。
  「合っているか」「合っていないか」を判断することはできるのか。
   根拠を明らかにする手段はあるのか。あるなら何か。

また、

(6)翻訳の高橋さんは上記二つの表現では表せないから
   本文のように書いたのだとも考えています。

  「授業における」作者論と作品論をどう考えているのか。
  翻訳者の考えを考慮する必要があるか、ないか。
   (作者、或いは翻訳者の意図を、教材解釈で考慮する必要はあるのか)

昨日友人と話し合って出てきたアイディアなので説明不足です

(7)原文を見て
  「原文」とはヘッセのドイツ語の文章のことか。
  高橋氏以外の翻訳のことか。
  どの教科書会社の何年度の教科書の翻訳文のことか。
  『少年の日の思い出』は三十年前から少しずつ翻訳表現を変えている。
   (例えば、漢字か平仮名か、言い回し、題名が『少年の日』になったことも)
   最も古い「教科書の」翻訳文から最新版まで、
   すべての教科書の翻訳教材文を調べ並べる必要はないか。

自分で考えろと言われそうですが、アドバイスがほしくて投稿してしまいました。
  (hyoko:とんでもありません。面白くて背筋がぞくぞくします)

<今後>
上記の通り僕の無い頭で分割した問題点は細かく数えると、
『(2)4+(3)3+(4)2+(5)2+(6)2+(7)4』=
『17点』
あります。
もちろん、これきりで終わりにしてくださって結構です。
僕は僕で勉強して答えを出し、他の国語教員に提案してみます。

もっとも重要な点は、zzrさんが、
「教材についての指導案を書き」
と書いていらっしゃる点です。
中学1年生に「授業する」内容・方法について論点を絞ることです。
文学部の文学論ではなく「教材解釈論」「授業技術論」であるということです。

ですから、このように即、反応いたしました。

ただ、もしお答えが頂けるとして、
僕が先にブログ上で答えを公開するのは避けたいと考えています。
お答えを頂けた時点で、僕の答えと並べて更に疑問点を発掘するほうが、
思考は深まるはずですので。
なお、お答えは完璧である必要はありません。
思いついたところまでどんどん出すことです。

数日お待ちします。
一週間たった時点で、僕は僕でブログ上で授業研究をしていきます。

貴重な投稿を有難うございました。

カテゴリー別目次 ・ 記事一覧

国語授業中学少年の日の思い出
研究1・論題17題

研究2・教科書全表記比較
研究3・論題17題の検討
研究4・教科書掲載理由検討
研究5・高橋健二の戦争礼賛
研究6・中学生の頭を悪くするサイト
研究7・プロローグは削除してよい
研究8・小説と物語の違い
研究9・ヘッセノーベル賞の為か
研究10・作者論と作品論
●指名なし討論は有効か・野口芳宏氏の批判に
●国語授業中学・討論の初歩指導手順
●国語授業『さつき』すさまじい高レベルmr.rain's

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2 コメント

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hyokoです (zzrさんお待ちを)
2011-02-08 21:39:19
詳細なお返事有難うございます。
回答作成中です。
しばらくお待ちください。
返信する
Unknown (zzr)
2011-02-08 00:45:31
こんばんは。遅くなりました。
問題点の返答をできるかぎりでしていきます。
(2)の2
授業でもここの二人称の変化に着目しよう。という発問をしました。「この場面以外では、この少年・彼・例の先生の息子・あの模範少年という表現が使われているが、ここでの感情の高ぶりの原動力はなんだろうか?」→エーミールは金持ちで道具も一級品。それに比べ僕の道具は立派ではなかった。でも、蝶に対する情熱は本物で、それをバカにされたのが我慢ならなかった。その感情が「あいつ」に込められていると考えました。
(2)に3と4
「のどぶえ」は言われてみるとおかしいなと感じました。友人とは、「殴りかかりそうになった。がよくある表現だよね?」という話はしました。実際には行動に起こしてはいなく、飛びかかりそうになるほど激怒していることを表現していると考えています。
(3)の1と2
これは授業後の反省会で、プリントと紙板書で一致していないことを指摘されて、二つの表現の違いは何だろう。一文字違うだけでどう影響するのか考えたからです。
(3)の3
本文最後のページに「学習の窓」に「翻訳作品を読み味わう」という手引きがある。この教材で海外の作品に興味を持ってもらうというねらいがあると思う。翻訳作品と言っているが、ヘルマン・ヘッセのドイツの全集にはこの作品は載っていないと聞いた。この作品はヘッセのものであるが、日本で広まったのは高橋健二さんのすばらしい日本語訳によるところが大きいと思う。よって、翻訳者の意図を個人的には優先したい。
(4)の1と2
(3)の1と2と重複しますが、ミスから生まれた考えだったので「学習のねらい」まで考えていませんでした。
(5)の1
前者は誰かに止めに入られ物理的に行動できなかったときなどに使う表現で、後者は僕の意思が入っているので(盗みを犯した後ろめたさ)表現としては適切だと判断しました。
(5)の2
生徒役の学生に「その意見は本文のどこにあるの根拠は?」と言っておきながら、自分自身の意見には根拠がなく個人の推測です。
(6)の1
作者論と作品論がわかりません。語句の解説をお願いします。
(6)の2
教材解釈(教材研究)では考慮するべきだと思います。授業で使うことがなくても、調べておくことで教材をよく知ることができると考えます。
(7)の1と2と3と4
ドイツ語のことです。(3)の3でもありましたが、ヘッセと高橋さんと意図は一致していなかった考えます。高橋さんが読者にいろいろな受け取り方をさせるため、わざと遠まわしな表現をしているのではないかと考えたからです。(書くとしたら、「なぐりかかるところだった。」一般には人間はのどぶえに攻撃をしないと思う)また、高橋さん以外の翻訳が副読本として扱われていた時期があったと認識しています。年度により言い回しが異なるというのは初耳でした。「出版社が」時代により変えていたのならば調べ並べるうちに入れる必要はないと思います。

このレポートは教材研究として提出するように言われていますが、指導案も作ったので入れようと思っています。
中学一年生に「授業する」内容・方法について論点を絞ることを徹底できていませんが、宜しくお願いします。
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