
深谷市原郷地内にある「幡羅太郎館跡」(はたらたろうやかたあと・別名:幡羅氏館)を訪ねてみました。
幡羅太郎館は、平安期のものと推測され、関東の名族で忍城主であった成田氏の祖助高の父、幡羅太郎道宗の居館跡と伝わるようです。
当館跡は、昭和33年(1958)11月3日「伝幡羅太郎館跡」の名称で深谷市指定史跡となっています。現在も個人宅になっており中を見る
ことはできませんが、館跡西側に土塁・空堀を見ることができます。指定史跡ではありますが、私有地であり現住ということを考慮して
か標柱や説明版といった類いのものは設置されておりません。
上の写真は館跡北西隅から撮ったもので、右側の雑木林が館跡です。

北側から雑木林の中を目を凝らして覗いてみますと土塁らしきものがどうにか見えますが、写真では上手く収まりません。

フェンス角から南方に

フェンス越しに見てみます。灌木の先にどうにか土塁が見えます。

フェンスの途切れたところが屋敷入口のようです。

屋敷入口前から土塁の端が見えます。

その更に南側は生垣で道路と雑木林(館跡)を遮断しています。

土塁

南側にある東西に延びる空堀と土塁がどうにか見えますが、灌木がこれ以上大きくなったら見えなくなりそうです。

南方から北方に

南西から館跡を・・・
竹や木が繁茂していて中々土塁・空堀が見えません。目を凝らせば木や竹の隙間からどうにか見えますが、写真では無理なようです。
散策日:平成29年(2017)12月14日(木)他1日